第19話 鬼教官

 司教士官学校の今年の入学生八十人のうち、入試の成績の良かった上位四十人がすでに教室に集まり、その時を待ち続けていた。そのクラスでソルは十五番目だった。すなわち入試の成績が十五番目だったという意味だった。

 黒板に一言、教官の命令が書かれていた。

「一番の者、号令をかけよ」

 教官が来るまでまだ三十分以上あったが、すでに全員が集まっていた。そして誰一人言葉を発していなかった。異様な緊張感が教室に充満していた。

 ソルの顔は昨日までのバレンとの特訓で傷だらけだった。その顔を見て不審に思う者もいたが、なぜそんな傷だらけなのか尋ねる者はいなかった。

 教室に充満する緊張感のある静寂は、これからの生活をベルーラスとの戦いに捧げる覚悟を決めた者達の決意の現れだった。

 やがて静寂を破るように、教室の扉が開き、ソル達士官候補生を担当する教官が入ってきた。士官候補生達は固唾を飲む。少年を英雄にするためのしごきの始まりだった。

 教官はやや小太りの白髪の老人だった。その眼光の厳しさに教室の緊張感は増す。

「起立!」

 入学試験一番の者が大きな声で号令をかけ、士官候補生全員が立ち上がり、教官に礼をする。

 教官は名をサビドと言った。サビドは黒板に今日の予定を大まかに書き、それからその予定の詳細を説明していった。今日は慰霊の日であり、その式典に士官候補生として参列するのが教室に集まった者達の役目だった。

「式典に参列するまでまだ時間があるな」

 サビドはそう言ったかと思うと一人一人の目をじっと見つめた。

「今日の慰霊の式典で、読み上げられる一般人、魔導士官、剣士官、司教士官の数を誰か答えよ」

 厳しい声でサビドは質問した。しかし誰一人も立ちあがり、声を上げられなかった。

「どうした。配られた式典のパンフレットに正確な数字が書かれていたはずだ」

 しかし誰も答えられなかった。答えは一般人三名、魔導士官十名、剣士官七十二名、司教士官四名だった。

「大馬鹿者だな、君達は。それでも今日から士官候補生の一員なのかね。こんな簡単な覚えやすい数字さえ覚えないとは、士官候補生としての自覚がまるでない」

 サビドは大声を上げたりはしなかったが、十分に教室の士官候補生達を脅していた。むしろ優しく語りかけるような声が、ずっしりとした威厳を持っていた。

「この世界の平和は多くの犠牲の上で成り立っている。一般人は労働という犠牲、そして魔導士、剣士、我々司教は命を犠牲にする。君らが昨日笑いながら夕食を食べられたのも、誰かが犠牲となり、この平和を守ったからだ。それがわかっていれば、こんな簡単な数字を胸に刻むのはあたりまえの事のはずだ」

 淡々とサビドは言った。サビドの怖さは感情が見えないところだった。そして次の質問がなされた。

「では一般人を除くと司教の犠牲が一番少ない。それが答えられる者はいるか? 高等魔法学校の実技訓練で叩き込まれたはずだ」

 一人の士官候補生が立ち上がり答えた。

「戦場では敗戦が決まった時に、まず剣士官を見捨て、魔導士官を守ります。それでも魔導士官を守りきれないとないと悟った時は、司教は自分だけでも助かる道を探さなくてはならないからです」

「そうだ。それが我々の戦い方の基本中の基本だ。ではなぜそんな鉄則がある」

「それが一番犠牲を出さない方法だからです」

 今度は入学試験でトップの成績を収めた、番号一番の者が立ち上がり答えた。

「そうだ。しかし今すぐ、君らにそれができるか? 剣士を見殺し、魔導士も見捨て、それでも生きていかねばならぬ十字架を背負えるか? 君達は最後まで生き残らなければならない存在だ。しかし同時に多くの犠牲の上に立つ。その覚悟は本当にあるのか?」

 教室の士官候補生達は黙り込む。大人の扱いをされても彼らはまだ少年にすぎない。

「十五番、ソル・ゴンザレス」

 唐突にソルが名指しされた。

「君の姉はすでになかなか偉大な魔導士だ。その姉と共に戦う事もあるだろう。ならばもし戦場で敗戦が決まった時、剣士官を見殺し、姉を見捨て、自分だけ生き残る覚悟が本当にあるのか? ここに来た以上、それをせねばならんぞ」

 ソルはサビドの話を聞くと、すぐに過去のトラウマが溢れてきて、すくみ上った。過去の強大な恐怖に心が包みこまれてしまう。

「どうした? それをせねばならないのだぞ?」

 尚もサビドは問い詰める。ソルの体は恐怖で震え始めた。すでにしごきは始まっていた。

 答えられないソルをサビドは無視した。

「君達にまず必要なのは高度な魔法でも、優れた戦術を覚える事でもない。司教士官候補生としての自覚だ」

 サビドは強く言い切った。慰霊の日の式典に参加するにはちょうどいい時間となっていた。

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