第18話 剣士中将バレン
食事が終るとソルを送り届けるまでが任務だったロホとアスールは帰っていった。残った三人で食卓を片付けるとソルはヴィーダに家の中を案内された。それなりに広い家の浴室やトイレ、それにソルの部屋を案内された。ソルの部屋の隣はヴィーダの部屋だった。
「この家、トイレ以外はどこも鍵がありませんので、お互いにノックは忘れないようにしましょうね。何かあればいつでも呼んでください」
年頃のヴィーダは隣にソルが暮らす事をさすがに意識していた。
最後に案内されたのは、地下にあった魔法陣の間だった。ソルが法王に講義を受けていた魔法陣の間よりはさすがに見劣りがしたが、それでもずいぶんと立派な魔法陣の間だった。魔法陣の間は魔力の高いものが常日頃から魔力を注いで、長い年月をかけて作る。これだけの魔法陣の間を管理してきたのは誰なのかソルは興味が沸いた。
それに民家なのに、魔法陣の間だけは立派で、ソルは違和感を覚える。
「ヴィーダさんのお母さんが作ったんですか? ここは?」
「はい。作ったのは母です」
ヴィーダは答えた。そこでソルは勝手な推測を信じた。
「じゃあ最近までここに下宿していた人がいたんですね。この魔法陣の間、きちんと魔力が送られていて、ずいぶんとしっかり手入れがしてありますから」
「ええ……」
そこでヴィーダは口籠ってしまった。
「ずいぶんと優秀な人が下宿されていたんですね。こんな立派だとは思わなかった」
ソルは無邪気にそう言った。ヴィーダはある隠し事がばれないか冷や冷やしていた。
それにしても純度の高い魔法陣の間だとソルは思った。何人もの魔力を持つものが魔法陣の間を管理していれば、その人柄や心が混ざった魔法陣の間になる。この魔法陣の間を作り、管理してきたのはせいぜい二人だろうと思った。そしてずいぶんと安らぐ魔法陣の間だった。法王が作り、管理してきた魔法陣の間はいつも緊張し、魔力の厳しさを感じるものだった。
「今日はこれくらいで。明日から存分に使ってください。今日は疲れたでしょうから、お風呂に入って、ゆっくりお休みしてください」
「そうですね。ありがとうございます、ヴィーダさん」
ソルはこの魔法陣の間が気に入り、すっかり心がはしゃいで屈託なく笑った。魔法が嫌いと言いながらも、ソルの心は自然と魔法に動くようになっていた。
ビエント達級友と別れたのは僅か数時間前だった。ソルの時間が急速に流れているのがわかる一日だった。
自分の部屋で魔法に関する本を読んでから、ランプを消し、ソルはベッドに横たわった。濃い一日の疲れがどっと出てきて、ソルはすぐに眠りの中に入っていった。
小鳥の鳴き声でソルは目が覚めた。朝がもう来ていた。メンテとヴィーダはすでに起きていて、メンテは料理の下ごしらえをし、ヴィーダは馬の世話をしていた。ソルはヴィーダの手伝いをし、その後で皆で朝食をとった。
一休みしたソルは、魔法陣の間に行く。ソルは丁寧に魔法陣の間を掃除した後、魔法陣の中心に座っていく。自分の呼吸に集中し、意識を無にして、静かにソルは瞑想していく。様々な出来事がソルの頭の中を巡ってくる。一番厄介なのはベルーラスが襲ってきた時の恐怖だ。だが十五歳のソルは瞑想中、それを冷静に受け止める事ができる。
ソルは瞑っていた目をやがて開いた。そして魔力を徐々に解放していく。しかし魔法陣の間はびくともしなかった。小さな魔法陣の間だったが、かなり頑丈にできていた。今日からここで魔力を全開にしてもいいと法王に言われていた。
ソルは魔力を全開にした。魔法陣の間は光に溢れ、急速に暑くなる。しかしその魔法陣の間は微かな振動も起こさず、まるでソルの魔力を吸い込んでいるようだった。
一時間ほどしてソルは魔法陣の間を出た。ソルはぜいぜいと息を切らし、汗だくになっていた。ヴィーダはそれを見越していたのか、風呂場のお湯を温めていた。
昼食後、ソルはヴィーダとお茶をしながら寛いでいた。
「ここはどうですか? ソルさん」
「穏やかでいい所です。なぜか心がとっても落ち着きます」
ソルがそう言うとヴィーダは「良かった」と微笑んだ。
束の間のソルの休息だった。
また次の日だった。
ソルはひたすら森の中を走らされていた。ソルの前に長い棒を二本持ちながら走っている男がいた。名をバレンと言い、共和国軍剣士隊中将だった。ソルが朝の瞑想を終え、ソルが朝食をとった直後に下宿を訪ねてきて、いきなり今日からソルの体を鍛えると言い出してきた。
剣士隊の制服を着て、階級章もつけていたから身分は間違っていなかった。しかし聞かされていない話にソルは戸惑った。
「いいから走るぞ、ソル。こんな細い体じゃ、戦場じゃすぐに体力がなくなっちまう。おまえさんに必要なのは、魔法の勉強よりまず体を鍛えることだよ」
剣士隊の中将だけあって背がソルより遥かに高く、屈強な体は腕回りや腰回りが異様に太く、厳つい顔に口ひげをたっぷりと蓄えていた。
「司教隊の上層部から頼まれたんだよ。おまえさんを鍛えてくれってな」
いつも唐突に話を進めてくる上層部の考えそうな事だとソルは思った。
ともかくソルは「まずはランニングだ」と言われるまま森を走り始めた。もう一時間もソルは走っていた。魔法で体力を回復する事は禁止され、とっくに息は上がっていた。
「良し。休んで良し」
森の中のやや広い野原にたどり着いた時に、バレンはようやくそうソルに声をかけた。
「次は腕立て伏せと腹筋だ。今日は初日だから百回にまけといてやる」
ぜいぜいとあがっていた息が少し落ち着くと、バレンはソルにそう命じた。「いきなりなんなんだよ」と体の苦痛にそう弱音を吐きそうになったが、眼光鋭く睨みつけてくるバレンに逆らう事などできそうもなかった。
腕立て伏せも腹筋もソルは連続でできない。体が苦しくなり、すぐに大地に倒れてしまう。
「頑張れ。百回まで続けろ。今日は連続でできなくても許してやる」
バレンもソルの横で腕立て伏せと腹筋を軽々と続けながら、有無を言わさない厳しい顔をソルに向けていた。
百回の腕立て伏せと腹筋をソルはなんとか終えた。するとバレンは手にしていた二本の棒の一本をソルに投げて渡してきた。
「なんでもいい。どんなやり方でもいい。その棒を俺の体に当ててみろ。ただし今度も魔法で体力を回復させるな」
バレンの声には重さがあり、ソルに拒否などできるはずがない。
「なぜ俺が魔法を禁止するかわかるか?」
ソルは少しの間頭を巡らせた。しかし答えは見つからなかった。
「戦場で体力のない司教がいちいち魔法で体力を回復させていたらどうなる?」
「すぐに魔力が枯れてしまいます」
「そうだ。将官クラスの司教でも魔力が無限に沸いてくるわけではない。戦場にも慣れていない、戦い方も未熟な司教はまず自分の魔力をセーブする必要がある。それには体力だ」
バレンは長い棒を持ち、ソルに向かって構えた。ソルもとにかく言われた通りに長い棒を持ち、バレンに対峙した。体がすでに痛かったが、ソルが本当に棒をぶつけないとバレンのこの訓練は終わりそうになかった。
しかしバレンと対峙しても、どう攻めていいかソルはわからなかった。間合いの取り方すらわからない。そうこう考えているうちにバレンは振りかぶったかと思うと、ソルの脇腹に一撃を食らわせた。激痛が走り、ソルは野原に倒れた。
「今のがベルーラスの一撃だったら、おまえの体はもう食いちぎられているぞ」
激痛に耐えながら、なぜ自分がこんな苦痛を味わっているのかソルは理解しだした。
ソルは立ち上がり、ともかくバレンにむやみに棒を振り下ろしてみた。しかしバレンは巨体をひらりと動かし、それを避けた。
「どんどんこい。とにかく俺の体に一つ当ててみろ」
ソルはどうしていいかわからないまま、棒をふっていった。しかし歴戦を踏み、生き残ってきたバレンに当たるわけがなかった。バレンはソルの棒を軽々と避けるか、自分の棒で払いのけるだけだった。
夕暮れが近づいていた。とうとうソルはバレンに帽を当てられなかった。
「リストーロ、使っていいぞ。もう遅い。続きは明日だ。走って帰るぞ」
すっかり体力が切れて、大地に座り込んだソルにバレンが言った。ソルはリストーロの魔法で体力を回復させる。
「明日もやるんですか?」
「ずっとだ。士官学校を終えて、戦場に出てもだ」
司教軍がなぜこんな訓練をソルに課したのか理解はできたソルだったが、それにしても苦しい訓練だった。ソルは剣士隊の士官学校にでも入れられた気分だった。
リストーロを自分にかけたソルは、夕闇の中をバレンと下宿先へ帰り始めた。リストーロのおかげで体は楽になっていたが、また明日の訓練の事を考えると気分は陰鬱だった。
それがソルの士官学校の生活の始まりであり、愛と憂鬱の日々の始まりでもあった。
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