第17話 ヴィーダとメンテ

 共和国政府北部にある森は、魔法学校からそんなに遠いわけではない。一時間も歩けば着く場所だった。ただ森に入れる道にはいくつかゲートがあり、必ず司教士官、魔導士官、剣士官の三人が警備をしていた。

「お勤め、ご苦労様です」

 ゲートの度にソルを警護する二人と警備の者達は挨拶をしたが、無駄口は叩かなかった。

 森の奥への道の先に一件の木造の民家が見えてきた。

「とうとう今日までベルーラスはソルを襲わなかったな」

 魔導士官のロホが口を開いた。私情を口にするのは始めてだった。

「気を抜くな。任務はこれからも続く。明日からも俺達はソルを守らねばならん」

 剣士官のアスールが魔導士を咎めた。

「ソル、気づいているといたと思うが、もしベルーラスが襲ってきた場合、我々三人で戦う事になる。街には司教がわんさかいたが、これから士官学校との往復の道は、司教はソルだけだ。いつでも覚悟はしておいてくれ。まぁ、万が一の話だが」

 魔導士官のロホに言われ、ソルは「はい」と返事をした。ソルもベルーラスの襲撃を想定し緊張していたが、現実にそういう事だと知るとさらに恐怖を覚えた。

 目的地に近づくにつれ、森の空気がやけに穏やかになる。小鳥の鳴き声がよく聞こえ、西のほうの今日の終わりを告げる太陽の光が柔らかに森を包んでくる。

 木造の民家にたどり着く。そこが目的地のソルの下宿だった。同時にスープの匂いと肉が焼ける匂いの混ざったものがソルの嗅覚に伝わってきた。建物の側には馬が一頭、木で囲われた柵の中にいた。

「無事に着いたな。今日からここがソルの下宿だ」

 剣士官のアスールはそう言うと下宿の玄関の呼鈴を鳴らした。

 玄関はすぐに開いた。中から一人の少女のような女性が現れた。長い髪は艶やかで黒く、大きく澄んだ目に、なにより肌の色が透き通りそうなほど白い女性だった。

「お待ちしておりました。街から歩いてきてお疲れでしょうから、まずはお入りください」

 女性は穏やかな口調で三人を招き入れようとした。

「私と魔導士官はこのまま外で見張りの任務がありますので、中には入れません」

「大丈夫ですよ。お二人にも食事をしてほしいと政府から言われていますので」

 女性の声はソルには耳障りのいいきれいな声をしていた。ソルは女性に見とれてしまう。

「ソルさんですね。今日からお世話をさせていただく、ヴィーダです」

 ヴィーダのほうからソルに声をかけてきた。ソルには齢を言わなかったが、十九歳とソルより年上だった。

「ソル・ゴンザレスです。よろしくお願いします」

 ソルの声は上ずってしまった。それを聞いたロホとアスールは小さく笑う。

 下宿の中に入ると男が一人、スープの味を確かめていた。ヴィーダの父のメンテだった。

「うん、今日も俺のスープは最高だ」

「お父さん、ソルさんです」

「わかっている」

 メンテはそう言うとお玉と小皿を置き、ソルに近寄ってきた。

「メンテだ。今日からよろしくな」

「娘のヴィーダです。よろしくお願いします」

 メンテに続いて、ヴィーダが改めて挨拶をしてきた。ソルは「こちらこそよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。

「今日からお母さんと離れて暮らすのは寂しいだろうが、仲良くやろう。時期にここの生活に慣れれば、楽しくなると思うぜ」

「寂しくはありません。決まっていた事ですから」

「おっ、意外と男だな」

 そう言うとメンテは大きく笑った。メンテは父のテレノと同じぐらいの年齢のようだったが、言葉数はメンテのほうが明らかに多そうだった。

「とりあえず飯にしよう。ソルの荷物は全部運ばれてきたから、ソルの部屋に置いておいたからな。置いたというか、ヴィーダが勝手に箱を開けて、全部適当に並べてある。まずかったかな?」

「いえ、本と洋服ぐらいしかなかったので大丈夫です。あ、手紙が少しありましたが……」

 ソルは手紙の存在を思い出して、怖くなる。アクリラの滅茶苦茶な文章は絶対に読まれたくなかった。けれどもそれは杞憂だった。

「手紙って、まずいだろ」

「読んでいません。手紙は机の引き出しに入れておきました」

 ヴィーダはきっぱりと否定した。

「本当か? ヴィーダ。ラブレターだったろ」

「読んでないから知りません」

「大丈夫です。手紙は僕しか読めないよう、姉さんが魔法で封をしていますから。あっ、手紙は全部姉からなんです」

「へぇ、そんな魔法があるのかい」

 メンテはロホのほうを見た。ロホは知らないと首をふる。

「姉さんがあみ出したんです。そういう発想は得意なので」

 それを聞いてメンテとヴィーダは感心する。だがロホが感心よりも驚いた顔をしたのを、アスールが見ていた。誰も使った事のない魔法を生み出せる事こそが、アクリラの能力の高さの証拠だった。

 まもなく食事が始まった。ヴィーダが最初に神への感謝を述べる。

「いいもんだな。こうして大人数で飯を食うのは。いつもヴィーダと二人だったからな」

 食事の最中もメンテの口数は多かった。

「ソルの話は結構前から聞いていたんだ。昔奇跡を起こした子が士官学校に入るから、うちで預かってほしいと話が来たんだ。半年ぐらい前かなぁ」

「半年前?」

 ソルはその部分が気になった。

「違ったか? ヴィーダ」

「半年前で合っていますよ。去年の秋が来る頃、剣士中将の方がその話をしに、ここに来ましたから」

 自分にはついこの間試験を受けろと言い出したのに、やはり裏ではずいぶんと早く話が進んでいたんだなとソルは思った。共和国軍が何を考えているのか、何をどう進めているのか、ソルにはどうもちゃんと伝えられていない。

 食事は楽しいものだった。メンテはよく食べ、よく飲み、よく喋る男だった。ヴィーダはメンテの話に程よく相槌を打ち、気の利いた返事を返した。ロホとアスールはなるべく表情を崩さないようにしていたが、それでもメンテの話には時折笑ってしまっていた。

 もう食事が終わる頃だった。ソルはヴィーダの母の存在が気になった。ソルは思い切って聞いてみる事にした。

「ここにはずっとお二人で住んでいるんですか?」

「ヴィーダの母親の事が気になるのか? 安心しろ、ちゃんと生きているぞ。ただ滅多にここへは帰って来ない。アルマっていうんだが、医者の司教で、最近は仕事に夢中になって、ここへ帰ってくるのは、月に一度か二度なんだ」

 なるほどと思ったソルだが、次にはヴィーダの事が気になりだした。

「じゃあヴィーダさんも司教なんですか?」

 魔法の能力は遺伝しやすい。

「私は全然ダメなんです。ただの普通の人間なんです」

「そうなんですか……」

 ソルは早とちりをして、急に恥ずかしくなった。

「魔法に関しては普通の人間の俺に似ちまったんだよ。他はアルマに似て、いい女になってくれたけどな」

「褒めても何も出ませんよ」

「最近生意気なところもアルマに似てきたんだ」

 そう言うとメンテはまた大きく笑った。

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