第5話 最初の奇跡

 魔導士と女剣士はボロボロだった。傷つき、体力を激しく消耗し、本来は立っていられなかった。だが座り込むわけにもいかなかった。司教が必死にアクリラの体に生命回復の魔法を送り続けていた。アクリラは右のわき腹を食いちぎられていた。こうなってしまってどうにもならないはずだが、その司教は無駄であっても生命回復の魔法をアクリラに注ぎ込んだ。

「アクリラ! アクリラッ!」

 テレノは横たわるアクリラの手を握り、必死にアクリラの名前を呼んでいた。ベルーラスとの戦闘が終わったのを見計らって、街の人達が集まり、遠くからそれを見守っていた。

 シエロがソルの手をひいてやってくる。そしてアクリラの状態を見るなり、立ち尽くしてしまった。アクリラは生命回復の魔法のおかげでかろうじて息をしているだけだった。

 その司教の魔力に限界がきた。魔力はだんだんと小さくなっていく。そしてとうとう魔力は尽きてしまった。それは同時にアクリラの息も途絶える事を意味した。

 テレノはさらに絶叫する。シエロはしゃがみこんで手で顔を覆った。司教達は己の罪深さと無力さで心が踏みにじられてゆく。

 ソルにも何が起こっていたかわかっていた。硬直が始まるアクリラの体にソルは触れる。

「お姉ちゃん……。アクリラ……。ダメだよ。起きて! 起きて!」

 何が起きたかわかっているのにソルは叫んだ。ソルはアクリラの体を揺らす。だんだんと現実が怖くなり、泣きじゃくりながら、それでもアクリラの名を呼び続けた。

 それから不思議な事が起りだした。ソルの手から光が発せ始めた。それは白い光だった。白い魔力の光だった。

 司教達は驚いた。五歳の子供が魔法に目覚めていた。魔力を持って生まれても、魔法に目覚めるのは早くても八歳だった。それも白い魔力。司教も魔導師も魔力の光は虹の七色しか知らなかった。

 白い魔力の光は復活の魔法のものだった。そんなものは伝説にさえなかった。

「ソル、何をするんだ」

「静かにして、父さん。静かに」

 語りかけたテレノに、五歳のソルがまるで成熟した大人のような口調で答えた。

 光はどんどん大きくなっていく。ソルの魔力がアクリラの体に注がれていく。誰に習ったわけでもないのに、ソルは目を閉じ、精神を集中させていた。食いちぎられたアクリラの体が元に戻っていく。やがて硬直し始めていたアクリラの体に柔らかさが戻り、白くなっていたアクリラの顔に赤みが戻った。テレノは自分の耳でアクリラの心臓の音を確認した。さらには周りの司教や魔導士の魔力も回復していた。

 アクリラの命が助かると同時に、ソルは無言で横に倒れてしまった。白い魔力も瞬時に消えた。

「その男の子と女の子をすぐに治療院の魔法陣の間に運びなさい」

 野太い声が響いた。ソルとアクリラを見守っていた群衆が別れて、一本の道ができ、そこから長い髪と長い顎髭の老父が現れた。この国を束ねる法王だった。その後ろには軍部の将官らが並んでいた。

「法王様!」

 普段は階級の低い軍人は法王と対面する事など許されない、ベルーラスと戦った司教達は思わず跪き、敬服の意を示そうとしたが、法王は片手で制した。

「急ぎなさい。女の子はともかく、男の子はさっきの魔法のせいで、精気と体力を使い果たしている」

 将官の司教達が黄色の魔力を解き放ち、ソルとアクリラを魔法で包み始めた。回復の魔法「リストーロ」の最高クラスのものだった。回復の魔法に包まれ、ソルの呼吸は一気に安定する。

「きっと二人の意識が戻るのは長くかかります。ですが今度こそ我々が二人を助けます」

 法王はテレノとシエロに平静ながら、力強く告げた。

「馬車を用意します。すぐに二人を共和国政府の治療院に運ぶので、お二人も来ていただきます」

 共和国政府の治療院は怪我や病気を治す最高機関だった。

 テレノとシエロは状況がまだ飲み込めなかった。小さなソルがなぜ魔法を使い、なぜアクリラが息を吹き返したのかまるで理解できなかった。自分の頭が空想の世界にでも入り込んでいるような気分になった。産まれた時に魔力を持たない者は、魔法など使うはずがないとされてきたからだ。

 ともかくすぐに二台の大きな馬車が現れ、将官達に守られながらソルとアクリラは馬車の中に移された。ソルを乗せた馬車にはシエロが、アクリラを乗せた馬車にはテレノが付き添った。

 テレノが馬車に飲み込もうとした時、法王はテレノの左肩に痣があるのを発見した。何かの紋章のような形をしていた。

「お父さん、その痣はいったい?」

「法王様までこんなものに興味があるんですか? よくわからないんですよ。子供の頃はなかったのに、昔ある日突然出てきて、おかしな刺青だって皆に笑われるんですよ。別に刺青ではないし、病気でもないんです」

 テレノの声は法王と会話する畏怖の念でやや強張った。

「そういう事だったのか……」

 法王はその刻印が何か瞬時にわかった。賢者の刻印だった。数百年前にありとあらゆる魔法を操り、ジーナクイス共和国をベルーラスから救った賢者がいた。その賢者が愛した印がテレノの左肩に刻印となって浮かんでいた。テレノ、そしてソルとアクリラは賢者の末裔だった。

 治療院の魔法陣の間。そこは特別に認められた司教と魔導士だけが、魔力の回復に使う事の許された魔力でできた格別な場所だった。そこに法王のはからいでベッドが置かれ、ソルとアクリラの回復が始まった。

 二人の回復を待つ間、テレノとシエロはジーナクイス共和国の役人から、様々な事を質問された。出自に魔法を使えた者はいなかったか、魔力に触れた経験はあったか、不思議な体験をしたかなど、魔法と魔力に関する事を入念に聞かれた。しかし二人ともそういった経験は全くいっていいほどなかった。

 しかしそれでも賢者の刻印が全てを物語っていた。

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