枯れずの薔薇

 冒険者稼業も行わない完全な休暇。

 自宅にてのんびりと過ごす時間。


 そんな当たり障りない時間を過ごしながら、心美はふとリビングに飾ってある花瓶に視線をやった。


「そういえばあの薔薇……ずっと綺麗なままですね」


 レヴィン家に居候していたころに薬師ルミナスの薬作成の手助けのため、材料の一つであるジュエルローズ採取に赴いた。

 その際にその薔薇園から持ち帰った色とりどりの薔薇。

 それが未だに美しさを保ったままでいた。


 心美は薔薇に関する知識はそれほど持っていない。

 しかし、枝から切った薔薇が長く持たないことくらいは知っている。


「せいぜい一週間から十日。上手に持たせても二週間くらいでしたっけ? でも素人のお手入れですし、ここまで長持ちするのは不自然……いえ、この世界の薔薇はこれが普通なのでしょうか?」


 花瓶に水を入れ、その水も定期的に交換している。

 しかし、していることといえばそのくらいだ。

 薔薇を長持ちさせるにはいささか不十分なお手入れだろう。


 だが、それでも薔薇は枯れる様子もない。

 採取してからすでに三か月は経っているのにもかかわらず、その薔薇はあまりにも美麗な姿を保ち続けるため違和感を覚えるのに時間を要してしまった。


 心美は自分の知る常識と照らし合わせてその薔薇を不自然としたが、この世界での薔薇はこうなのかもしれないとも考えた。

 魔力があれば状態を保っていられるかもしれないなどと考えて、左目を光らせてみるが、その瞳が確固たる証拠を得ることはない。


「心があれば何か分かるかもしれないのに……なんて」


 ゆっくりと開く瞳。

 心を侵す瞳は心がなければ何も見えない。

 ただの植物からは何も読み取れない。

 そのはずだった。


「ん……? かすかに何かが聞こえる。でも……何か変な感じね……」


 興味本位で開いた瞳には何かが映りこむ。

 しかし、見えない。まるで暗闇を覗き込んでいるかのように分からない。ノイズが入ったように聞こえるのだ。


「そこに心があるはずなのに……この瞳だけでは読み切れない……?」


 まるで繋がらないような感覚。

 たった一つパズルのピースが足りていないようなもどかしい思い。

 そこに確かにあるはずの心に到達するまでに何かが不足している。


 その事実を認識して心美の身体は震えた。

 かつて己に刻み込んだ、見るという行為に対する自負が瓦解する可能性。

 見ようという意志があるのに、見ることができないという恐怖。


 いつもできていたことができない不安。

 手足が突然動かなくなるような喪失感。

 見れない、見えないというのは心美にとってのそれだ。


 それほど心美にとって瞳は正常に作用しなければいけない絶対的なもの。

 もはや身体の一部である瞳が自由に働かせられないなんてことは決してあってはならない。


「見る……絶対に!」


 なりふり構わず見透かそうと血眼になるのは久しぶりだった。

 見えないのが恐い。だから見る。

 かッと見開いた瞳が薔薇を射貫く。


(……を…………て……)


「大丈夫。さっきより聞こえる……でも分からない。もっとよ」


 うっすらと聞こえるがまだ見えない。

 ならば、もっと深く。


(……を……づ……て……)


 目を凝らせば近づく。

 しかし、至らない。

 まだ足りない。

 最後のピースを埋めなければいけない。

 そんな心美の強い意志に呼応して、ビクンと


 ――――ボクを見つけて――――


「っ! 聞こえた! でも、この感じ……あの時と一緒……!」


 心美の意思とは関係なく左手は動いた。

 その感覚はかつて心を読む瞳の力を初めて発揮した時のような、心美の意思を伴わない開眼。

 そして訪れる本能的な理解。


「やっと、ボクに気付いてくれたね」


 心を読む瞳と今までずっと開くことのなかった左手の平の瞳。

 二つの瞳に収まる美麗な薔薇のその隣。

 そこには淡い蒼色の髪をしたが佇んでいた。


「なるほど……。まだ確信は持てませんがあなたが見えるようになったのは左手のこの瞳のおかげでしょう。この瞳の検証は後にして……さて、お待たせしました。色々と聞きたいことはありますが……まず、あなたはいったい何者ですか?」


 新たな瞳の開眼。

 それによって見えるようになり、心も聞こえるようになった目の前の蒼髪少女。

 その少女を見定めるように、四つの瞳がじっと彼女を見つめていた。

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