メイドと子爵と獣人と
「ココミさん、到着しましたよ」
「ん……」
その呼びかけで心美はゆっくりと目を開ける。
「おはよ」
目に映る光景はルチカがユキを撫でている様子。目覚めの挨拶を送る彼女は楽しそうにユキとじゃれている。
そこで心美は自分が眠ってしまっていたことを理解した。
「おはようございます。すみません、眠ってしまって……」
「いえいえ、いくら休息を取っていたとはいえ約三日も森に居たのであれば疲労も溜まっていて当然でしょう」
「私はどのくらい寝ていたのですか?」
「ほんの十分くらいですね。町に入る少し前くらいに眠られてしまいました」
心美はルチカと話していたが、ルミナスの言うように疲労からか町に入る直前くらいでうとうとし出した。
疲労による眠気と温かい日差し、馬車の心地よい揺れが一層心美の瞼を重くさせた。
こうして短い時間ではあるが、居眠りをしてしまったわけだ。
「すみません、すぐ降りますね」
「足元にお気を付けください」
ルミナスの手を借りて馬車を降りた心美。
そんな彼女だったが、目の前に広がる壮大な光景に動きを止める。
「あの……ここがお家なんですよね? ルミナスさんはルチカちゃんをお嬢様と呼んでましたし、御当主様とかも口にしてたということは……もしかしなくてもお偉い方の娘さん……だったりします?」
「ええ、おそらくココミさんの想像通りでしょう。ですが詳しいお話は後程。御当主様がお待ちしておりますので」
悪戯な笑みを浮かべるルミナスに、心美は追及を諦めおとなしくその大きな館へと足を踏み入れるのだった。
♡
心美は館の中の一室へと案内された。
すぐにでもルミナスの言う御当主様とやらに会うことになると思っていた心美だったが、ルミナスにここで待機するように言われたのだ。
ようやく一人になれた心美は念のため額に隠したまま瞳を開き、ここまでお預けとなっていたユキとのコミュニケーションを図れる。
「ユキ、やっと話せるわね」
(そうだよー。ココミが隠し事してるからだよ)
「仕方ないでしょう? 人間誰だって秘密にしたいことの一つや二つ持ち合わせているわ。私が話してもいいと判断した上で、心の準備ができてないとこんな事……話せないわよ」
(そっかー……ココミがそう言うなら仕方ないね)
心美は瞳の存在を隠している。
つまり人前で大っぴらに使うことはできないということだ。
身体の陰や髪の陰などの他人からは見えにくい死角で使う場面も何度かあったが、こそこそ使っていると気付かれる可能性が高まるためなるべく人前では使いたくないと思っている。
意図していないタイミングで見抜かれるより、話すならば自分のタイミングで打ち明けたというのが本心だ。
そのためルチカとルミナス、その両名の前での使用は必要最低限にして、馬車に乗った後はユキとのコミュニケーションを成り立たせる額の心を詠む瞳を完全に閉じていた。
心美はルチカやルミナスと会話の相手がいたが、ユキは心美との会話を封じられて退屈していたようだ。
「私が眠ってから何かありましたか?」
(あのルチカって子にわちゃわちゃされたくらいだよ。あ、でもししゃく? がどうのこうのって言ってたのは気になったかな)
「ししゃく……子爵でしょうか。ということはルチカちゃんは貴族なのかもしれないわね」
(きぞく?)
「私も詳しくは知らないけれど、偉い人だと思ってもらえればいいわ」
(へー、そうなんだー)
心美が過ごした時代の貴族身分は廃れていた。
貴族なんて言葉も歴史の授業で少し触れたくらいで詳しくは分からない。
ユキに大雑把な回答を投げ、心美は少し考える素振りを見せる。
(安易に招待を受けたのは失敗だったかしら?)
この世界における貴族という存在がどのようなものなのか分からない。
故に不安が募る。
(まあ、考えても仕方のないことです。とりあえず迂闊な言動に気を付けておけばいいでしょう)
表情には出ていないが心の内では少しばかり苦い顔をしていた心美だが、起きてしまったことは仕方ないと諦め、気持ちを切り替える。
そんな悩み事から目を背けるためにユキを抱きかかえたところで、扉の叩く音がした。
「……どうぞ」
「失礼します」
ノックが聞こえるとユキは心美の腕を抜け出して身体を駆け上がり、肩へと乗っておとのした扉の方を見る。
心美が返事をすると、一言間をおいて女性が入ってきた。
心美はその女性を見て驚いた。
「どうかされましたか?」
「あっ、いえ。すみません、不躾にジロジロと見てしまって……」
「ああ、なるほど。もしかして実際に見るのは初めてですか…………獣人を」
心美は彼女の姿を見て目を奪われた。
メイド服を着たメイドさんというものを目にしたから、ではない。
もちろんその驚きや好奇心もあるだろう。
しかし、それを上回る興味。
とても偽物とは思えない猫の耳を頭に付けており、スカートの中から飛び出して見える尻尾はフリフリと揺れている。
心美の視線を浴びて彼女は納得したように言った。
これが獣人という未知との遭遇だった。
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