二次審査 PM/湊

休憩室を出て、さっきのホールに着く。

(この男性、さっきの面接の時にもいたな)


さっきの健診の時とは変わり、何も置いていない。


「真山湊さん、こちらに履き替えてください。」

湊はスリッパから靴に履き替える。

「午後は少し体を動かす試験になります。体をほぐすために、一緒にラジオ体操をしましょう。」


男性が言い終わると、ラジオ体操の音楽が流れてきた。

久しぶりのラジオ体操だが、案外体は覚えているものだ。意外にも疲れるな、と思いながら体を動かす。


「真山湊さん、ラジオ体操お疲れ様でした。残りの試験はあと一つです。このホールに、白い線が引かれてるのが見えますか?その外側を全力で3分走って頂きます。3分後に合図が鳴ったら終了です。ただ…時間内に足が止まってしまった時点で失格になります。」


「分かりました。3分ですね。」


「はい。必ず『全力』で走ってくださいね。」


(一番苦手なやつだ…とにかく最後まで走りきらないと。)


手足をブルブルと動かし、心を落ち着かせる。


「では、そろそろスタートしてよろしいですか?」

「はい。」

「はい、では、スタート!」


手足を一生懸命動かし、全力で走る。

だが、数十秒走ったところですでに疲れてきた。

呼吸が乱れ、胸が苦しい。でもここで足を止めたら、全て終わってしまう。

湊は無我夢中で走り続ける。

これまでに聞いたことのない自分の心拍音が頭に響き続ける。



『この世で一番苦手・嫌いなものは何ですか?』

面接後に渡された紙に書いてあった質問に、湊はこう書いた。

『運動が苦手です。特に走るのが一番嫌いです。』



一番古い記憶の運動は、幼稚園の運動会の練習。徒競走ではいつも最後。運動会本番でも最後だった。走っても走っても、追い越せない。今まで、何度も悔しい思いをしてきたが、小学生の高学年の頃には『自分は一生懸命走ってもどうせ勝てない』と諦めてしまった。

それからは、ほどほどに走り、ほどほどに運動してきた。運動は頑張りすぎなくていいんだ、と心に決めていた。


湊は全力で走り続ける。


ハァハァ 苦しい… 早く終わってくれ…


こんなに走ったのはいつぶりだろう。思い出せないくらい遠い昔だ。


汗がとめどなく流れ出る。汗が時折目に入り、ツーンとしみる。


もう限界だ…いつまで走ればいいんだ…

ここで止まれば楽になる。でもそれじゃダメなんだ。顔を歪めながらも、湊は走り続ける。


ブーーブーーブーー!


ブザー音が鳴る。


立ち止まり、湊は崩れ落ちた。


男性が近づいてきた。

「試験はこれで終わりです。お疲れさまでした。しばらく休んで下さい。良かったらこれ使って下さいね。」


湊は会釈をしてタオルを受け取る。顔に当て汗を吸い込ませる。




「…そろそろよろしいですか?」

「はい。タオルありがとうございました。」

「はい。では、移動しますのでこちらへ。」


ホールの右側の扉を開け、中に入る。

テーブル、椅子が置いてあり、面接時にいた二人も座っていた。


「こちらへ掛けてください。これから試験結果をお話します。」


いよいよだ。


「真山湊さん、おめでとうございます。見事二次試験突破しましたよ」

「ありがとうございます。」

「これから、色々と説明させていただきますね。」

「はい、お願いします。」


男性は机に置いてあった資料を湊に渡す。

「この資料は、この場で読んで頂きます。しっかりと覚えてください。覚えるまで我々は待ってますので。」

資料には、交換擬似体験についての留意事項が書かれている。


・交換擬似体験をしている最中でも、これまでの自分の記憶は残っている。


・交換する相手の生活習慣や仕事の基礎情報は脳内記憶に残されているので、交換しても支障はない。


・交換後に自分の姿を見かけても接触しないこと。


・交換擬似体験をしている最中や終了後も例え家族であっても他言してならない。


・11月5日の午前0時に薬の効果が切れて元の自分に戻るため、必ずその時までに交換相手のベッドの上で横になり目をつぶっていること。


・上記以外の行動制限は設けないが、常識にそった行動をすること



(やっぱり他言しちゃいけないよな。彼女にも秘密だな。)


留意事項を読み返し確実に頭に入れる。

数分後、資料を机に置く。

「すべて覚えました。」


男性、女性、男性の3人はニコッと微笑む。

そして小さい木箱に入った鍵が目の前に置かれた。


「これは、休憩室にある机の引き出しの鍵です。引き出しには、交換相手の基本情報が書かれた冊子が入ってます。それを読んでおいてください。その冊子は持ち帰っても結構ですが、他の誰にも見られないように気をつけて下さいね。それと、14時になったら、相手から電話が掛かってきます。お互いに自己紹介をして、自分が相手にこれだけはやめてほしい事を一つ伝えて電話を切って下さい。」

「はい、分かりました。」

「14 時半になったら部屋に迎えに行きます。朝と同じように、車で家の近くまでお送りします。」

「はい。」


しばらく沈黙が続く。


「ここまで説明を聞いて、やっぱり疑似体験を辞めたい、という気持ちになりましたか?」

「いいえ。体験させてください。」


「承知しました。…では、この薬をすべて飲み切って下さい。」

男性はポケットから小さな瓶を取り出す。


「効果が現れるのは、今日の夜中3時です。真山さんが眠ってる間に、相手に成り代わります。そして朝方、相手のベッドの上で目覚めることになります。さっきの資料にあった通り、効果は11月5日の午前0時で切れます。日付を間違えることの無いようお気を付けください。」


「はい。分かりました。資料を良く読んで忘れないようにします。」

「ぜひともよろしくお願いします。」

男性はニコリと笑い、湊に瓶を渡す。


湊は3センチほどの瓶に入った緑色の薬を一気に飲み干した。

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