疲労困憊
「おはようございます。」
笑顔で会釈をし、自分のロッカーに向かう。
住宅展示場『ハッピー秋山ハウジング』の受付をしている『仁井田 奈美』は、笑顔とは裏腹に心が疲れきっていた。
傍から見たら、順風満帆な人生を送ってるように見える。
そんな奈美にも、実はこれまで人に言えない事や、数え切れないほどの苦労をしている。
小さい頃から、親はもちろん周囲の人間から
゛かわいい゛ともてはやされ、それと同じくらいに敵意を持つ人間もいた。
誰が見ても美人な奈美はスタイルも良く、シンプルな格好をしても目立つ。
いつも異性から声をかけられたり、振り返られる。
数え切れないほどの男子から告白されたり、ホワイトデーのチョコをどっさりもらったり、奈美のファンが彼女を放っておかない。
その分、妬まれる事も多く、学校の内履きやジャージ、小物などが無くなることが頻繁にあった。
落書き、無視、仲間外れもされた。
奈美は何もかもうんざりしていた。
普通に暮らしたいだけなのに、普通に友達と遊びたいのに。とにかくいつも普通を求めていた。
一途に好きな人だっていたし浮気もしたことない。
それなのに、一部の女子から、
「あいつはヤリマン」「三股してる」
「彼氏取られた」「先生に媚び売ってる」等々、
被害妄想や妬みがすごかった。
この作られた噂を聞いて、奈美から離れていった彼氏もいた。
小さい時からずっとこんな思いをしてきた奈美は、これがいつまで続くのかと思うと絶望感に苛まれていた。
高校2年生の時に同じクラスになったある女子と仲良くなり、彼女とはずっと親友でいられると思っていた。
だが、彼女も奈美から離れていってしまう。
完全に奈美の心は修復不可能状態だった。
大学に入ってからは、とにかく目立たないようにした。
伊達メガネをかけたり、地味な格好をしたり、髪を染めずに黒髪でいたり、出来ることは何でもやった。
この頃には、人を全く信用できなくなっていたので、親友もいなかったし作る気力もなかった。
地味な大学生活を経て、今の会社に入社し、最初の頃は仕事を覚えるので大変だったが、今までとは違い生きる希望があった。
だが、奈美の事が日に日に関連会社の人達の噂になり、用もないのに奈美と話すために受付に来たり、電話をかけてきたり、ストーカーまがいをする人も出てきたり、出社するのが苦痛になってくる。
(まただ。もう疲れたよ。誰も私に構わないでよ。ほっといてよ。)
辞めたいけどせっかく覚えた仕事を手放すのも惜しいし、また違う所に行ってもきっと同じ思いをする。きっと繰り返す。
生きるため、生活するため、ただそれだけのために辛い思いを抱えながら、耐える日々を送っていた。
そんなある日、『交換擬似体験の薬』のニュースを見る。奈美はニュースに釘付けになった。
(もし体験できるならしてみたい。少しでいいから、この環境から逃げたい。)
一筋の光を感じながらいつもの仕事をこなしていると、近くからある声が聞こえてきた。
「今朝のニュースの交換擬似体験、一般募集するんだって!ヤバくない?応募しちゃう?」
(え?一般募集するんだ!)
昼休みになり、交代で来た受付の同僚に挨拶し、近くの定食屋に行く。お気に入りの野菜炒め定食を頼み、携帯を取り出す。
△□
この度、交換擬似体験の新薬を希望する方を募集します。
… … … …
△□
やっぱり、募集するんだ…。
自分のこの環境を変えたい。
普通の落ち着いた生活がしたい。心から笑いたい。
選ばれるか分からないけど、応募してみよう。
勤務時間が終わり、帰り支度をして会社のフロアを出ようとすると、取引先の男性が奈美に声をかける。
「奈美ちゃん、おつかれさまー。いま終わったの?これからご飯食べにいかない?美味しい店見つけたんだよ〜」
(うわっ、また細川さんだ。)
奈美は一瞬顔がこわばる。
「おつかれさまです。ごめんなさい!これから友達と会う約束していたので…失礼します。」
「えーーまたぁー?残念。じゃあまた今度ね!」
あの人、いつもしつこくご飯誘ってくる。
何回も何回も断ってるのに、会うたびに言ってくる。帰り道にスーパーやコンビニでばったり会うし、まるでストーカーみたい。
こんな事は日常茶飯事で、会社が終わって家に着くまでは気が抜けない。
細川さんもそうだけど、他の男性からもよく誘われる。中には既婚者や彼女持ちもいて、スキあらば誘ってくる。いつも口実をつけて断っていた。
帰り道は後ろを振り返る癖がついて、いつも気を張っていた。
家につき、ふぅーとソファーに座り込む。
やっと一人になれた。家が一番安心する。
冷蔵庫の野菜室からトマトとレタスとブロッコリーを出してサラダを作る。
昨日残った親子丼を冷蔵庫から出しレンジで温め、500mlのビールも準備する。
録画したドラマを見ながら夕飯を食べるのが日課で、お酒も毎日飲む。
この時間が一日で一番大好きな時間。
一時間ほどゆっくりして食器を洗い、お風呂にお湯をためる。
今日は何の入浴剤にしようか少し悩んで、ゆずの香りを選んだ。これも奈美の楽しみな日課。
お風呂上がりにワインを一杯飲む。携帯を見たとき、アッ…と交換擬似体験の事を思い出した。
棚から封筒と便箋を取り出し、ウーンと悩みながら書き始める。
ー応募動機ー
【普通の暮らしがしたい】
幼い頃からずっとそう思ってきました。
学生時代に受けた、友達の裏切りやいじめ。今でも心の傷として深く残っています。
女性からは妬まれ、男性からはストーカーまがいのことをされ、いつも気が休まりません。
みんな容姿ばかりを見て、中身を見てくれない。
私には友達もいません。
気軽に映画を観に行ったり、ショッピングをしたり、飲みに行ったり、普通のことをしたいだけなんです。
この、交換擬似体験で普通の暮らしを体験して、これからの生きる希望を見出したいです。
ー希望の人物像ー
私と歳が近い、普通の暮らしをしている女性を希望します。
祈りをこめて封をし、バッグにしまう。
もしも普通の暮らしが手に入ったら友達と遊びに行って………
そう考えてるうちに、奈美は深い眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます