いのちは永遠

鳥山ふみ

いのちは永遠

1  認識


 彼が気がついたとき、あたりは暗闇に包まれていた。彼はまず最初、手足を動かそうとしたが、そこには何の感触もなかった。あたりに触れるものがないばかりか、自分の手足がそこにあるという感覚そのものがないのだ。次に、まぶたを動かそうとしたが、それも同じだった。自分の眼が閉じているのか、開いているのかすら分からない。「おーい」と声をあげようとしても、体が発声の仕方を忘れてしまったかのように、何の音も出てこない。脳は指令を出しているはずなのに、それが一切、筋肉に伝わらないのだ。驚いたことに、それは身体中のありとあらゆる部位に及んでいた。

 俺は夢を見ているのか? 彼は自分に問いかけたが、彼の明瞭な意識は夢の中のそれではなかった。では、事故に遭って、体も動かせず目も見えなくなったのか? いや……どこにも痛みはない。何者かにさらわれて、拘束されているのか? しかし、それなら手足が締め付けられる感覚くらいはあるはずだ。そこまで考えたとき、彼はようやく思い出した。

 ——そうだ。俺は、電子化されたんだ。


 少し前まで、彼は神経性の難病を患っていた。身体中の筋肉が徐々に衰えていき、呼吸までもが困難になり、やがては死に至る——。恐怖と苦痛の日々の中で、彼はある決断をした。

 それは、意識の電子化と呼ばれていた。人間の頭から脳を取り出し、丸ごとスキャンして、電子空間に移し替えてしまうというものだった。技術が確立したと言えるのは十年ほど前だったが、倫理的な議論は未だ絶えず、法的な面を勘案すれば実用化に至った国はわずか一カ国であった。極めて高額な費用にも関わらず、その国には世界中から希望者が殺到した。これを主な事業とする企業はいまや五社にも及び、合わせて一万件を超える成功例を生み出していた。

 彼は痛む体を押し、介助者を伴って飛行機に乗り、ようやく辿り着いた異国の地の施設で手術を受けた。最初に、投薬によって彼の肉体は死を迎えた。そのあと彼の脳は取り出されて装置に繋がれ、人工血液が循環する中でスキャンと再構築が行われた。そして何週間かの後、その企業が管理するサーバーの中に彼の意識が蘇ったのだ。



2  時間


 しかし、これは一体どういうことだ? この真っ暗な場所は何だ? 事前の説明では、電子化が完了した直後、俺はバーチャル・リアリティの世界で目を覚ますはずじゃなかったか? すぐさまガイド役が現れて、俺の好みのアバターを設定したり、住む家を決めたりする手はずじゃなかったか?

 いや……ひとまず落ち着こう。なにしろ、たったいま目覚めたばかりなのだ。おそらく、電子化の完了からバーチャル世界に移行するまでには、若干のタイムラグがあるのだろう。ここはその待機場所というわけだ。病院の待合室のようなもので、俺はただ自分が呼ばれるのを待っていればいい。ただし、ここは病院と違って雑誌も置いていないし、退屈なのは確かだ。もし後で改善のためのアンケートを頼まれたら、そう書いておいてやろう……。


 どれくらい時間が経ったのだろう? 三時間か? 四時間か? 時計も何も無いので、さっぱり分からない。もしかしたら一時間も経ってないのかもしれない。それがこういう場合の常だからだ。いまのところ、空腹になることもなければ、眠くなることもない。それも当然だ。空腹になる胃もなければ、眠くなる体もないのだ。

 それにしても、まったくここは退屈だ。何も無い。あまりに退屈なので、時間を数えてみることにしよう。何分と設定しようか。ひとまず十分じゅっぷんでいいだろう。案外、ちょうど十分経ったところで向こうの世界への転送が始まるかもしれないな。十分は六百秒。よし、始めるぞ。五百九十九、五百九十八……。


 俺は一体、何故こんなことをしているんだ? とんでもない大金を払っているのに、こんなに待たせるなんて! 家族にも使わず、自分にも使わず、何十年もせっせと貯め込んできた金をすべてぎ込んだのだ。それなのに、全くサービスが行き届いていない。お国柄というやつだろうか? プロなら人を待たせたりはしないものだが、奴らはそれが分かっていないのだろう。ガイド役とやらがやってきたら、思い切り怒鳴りつけてやろう。そうだ、今のうちに罵倒の文句を考えておくのも良いかもしれないな。やることもできて、一石二鳥だ。


 時間、時間、時間……。ここには時間だけがある。言い換えれば、時間以外のものは一切、存在しない。もう何日経っただろう? 時計が無いばかりでなく、日の出も日没も、気温の変化も、時を知る手がかりになるものは何もない。もう一ヶ月も過ぎたような気もするし、まだ一週間も経ってないような気もする。感覚など当てにならない。なにしろ、二十四時間、何もせず起きたままで過ごしたことなんて一度もないのだ。目覚めたら働き、疲れたら眠る。そうして一日が過ぎる。人間というのは、なんとうまくできているのだろう。



3  疑念


 やはり、心を決めるしかない。今まで考えまいとしてきた一つの可能性に、勇気を持って向き合う時が来たのだ。つまり……何かあったに違いない。何か、不測の事態が。装置にトラブルがあったとか、会社が倒産したとか、そういう可能性だ。

 契約書には何て書いてあっただろう? 不測の事態に対する責任は一切負いません、とか、そんなことが書いてあったか? いや、この際、契約書はどうでもいい。一番に大切なことは、いままさに俺がこの暗黒の空間で孤立していることに、誰かが気付いているかどうかだ。

 既に気付いていて、目下のところ救出作業を進めている最中なのかもしれない。これまでに経験したことがない事態のために、解決に時間が必要なのかもしれない。もしそうなら、思い切って許してやろう。広い心で許してやろう。俺もいつの間にか随分と寛容になったものだ。もし、誰も気付いていなかったら? ……そんなことは考えたくもない。今はまだ、考えられない。


 成功率は百パーセント。そういう謳い文句だったはずだ。だとすると、なぜ俺みたいな奴が出てくる? 奴らは俺を騙したのか? 最初から全てウソだったのか? 何カ国もの言語で書かれた分厚いパンフレットも、向こうでの生活を事細かに描いた映像も、あの真新しい施設やそこで働いていた医師やスタッフたちも、すべては作り物だったのか?

 いや、そんなはずはない。もしこれが詐欺なら、今の俺はなんなんだ? こんな状態で放置する必要はどこにもないじゃないか。詐欺じゃない、何かイレギュラーなことがあったと考えるべきなんだ。

 例えば、こういう考えはどうだろう? 実は、俺みたいなのは初めてのケースではないのだ。何の因果かは知らないが、ごく稀に、俺みたいに待機場所に取り残される奴が出てくる。しかし、その場合は家族から連絡があるのだ。予定の日時を過ぎたのに、バーチャル世界からメールが届きません。どうなっているんですか。うちの父は電子化したんじゃないんですか、と……。それで企業が調べてみると、待機状態になっていたそいつが見つかって、慌てて転送を開始するのだ。

 じゃあ、俺の場合はどうだ? 俺の便りを待っている家族なんていやしない。だから、誰にも気づかれないで、俺はここにいる。そういうことなのか? ああ、奴らきっと、俺がここで苦しんでいることも知らずに、日常を送ってやがるに違いない。部長、来週の月曜日は休暇を取らせてください。結婚記念日なので、旅行にでも行こうかと思いまして。なに、そうか。しっかり楽しんで来いよ。そんな言葉を交わしながら……。



4  慰め


 俺なんてまだまだマシなほうだ。世界には、海上を漂流するとか、雪山で遭難するとか、ずっと過酷な環境で救助を待っていた人達もいるのだ。最初こそ、きっと助けが来ると信じていたものの、体の衰弱とともに希望は失われていき、ついには絶望に打ちひしがれて死んでいったに違いない。俺はどうだ? ここには空腹もなければ自然の脅威もない。いつまでだって生きていられる。いつまでも希望を持ち続けることができる。

 それに……俺が現実で生きていたころの、あの苦痛を思い出せ。日に日に手足に力が入らなくなり、体重が減っていく。食べ物を飲み込むのも、呼吸をするのさえ苦しくなる。同じ病名の患者が人工呼吸器を付けている姿を見て、一年後にはその患者が死んだことを知る。肉体の痛みに耐え、他人の手を借りる恥を忍び、死の恐怖に怯えていたあの日々に比べたら、ここはどうだ? 俺はその全てから解放されたのだ。これ以上、何を望むことがある? 

 そもそも、これが永遠に続くはずがないんだ。奴らがいくらボンクラだったとしても、それなりに大きな企業だ。システム管理か品質管理かリスクマネジメントか、どういう部署かは分からないが、どこかにトラブルが発生していないか常に頭をひねり、目を光らせている人間が何人もいるはずなんだ。そして、あるときこう言うはずだ。部長、手術の実施数とアバターの数が一致しません。これは調査が必要です、と……。


 第二次世界大戦が終わって何十年か経ったあと、グアム島で発見されたどこかの国の兵士の話を聞いたことがある。彼は戦争が終わったことも知らず、ずっとジャングルで暮らしていたのだという。あれは……二十年だったか? それとも三十年? 正確には覚えていないが、人間はそれだけの時間を耐え抜いたという実績があるのだ。何に耐えた? 空腹に、痛みに、孤独に、恐怖に、そして時間そのものにだ。俺はどうだ? まだその十分の一も経っていないじゃないか。いや、経っているのか? 分からない。ずっと短いのは確かだ。つまり、俺はまだ頑張れるということだ。

 いや、待て。彼には変化があったはずだ。広大なジャングルの中を歩き、木の実を採り、エビやカエルを捕らえ、木の枝や皮を使って工作をしたかもしれない。雷雨に怯え、虫に悩まされ、病気をし、そして夜が訪れると、祖国に残した家族の夢でも見ながら眠ったのだろう。俺には何がある? 何もない。窓から風が吹いてカーテンを揺らすような、そんな微かな変化さえここには無いのだ。一切の物質が存在しない空間で、肉体のない人間が救助を待ち続けた最長記録は? そんなものあるはずがない。ああ、せめて夢でも見ることができれば……。


 例えば、交通事故を考えてみようじゃないか。ある男がいつも通りに車を運転していた。すると突然、居眠り運転の対向車が目の前に現れて、正面衝突! 大怪我をしたとする。その場合、彼はいつ自分が事故に遭うと分かったんだ? その日の朝? 一時間前? 一分前? そんなことはない。せいぜい、事故の数秒前だろう。それまでは全く予想もしていなかったはずだ。

 つまり、俺が言いたいのは、今から数秒後に転送が始まったとしても、何ら不思議はないということだ。今この瞬間の俺は、悲しみと絶望に暮れ、どん底の気分。じゃあ数秒後の俺は? 幸福に満ち溢れ、神へ感謝の言葉を述べているかもしれない。希望を捨てるな。もう少しだけ待てば、全ては報われる。もう少し、もう少しだけ待てばいいんだ……。



5  死


 俺はどこで間違ったのか? あいつは、子供ができないのは俺のせいだと言って、俺の元を去った。それから、俺は何の趣味も持たず、人を愛することも愛されることもなく、ただ目の前の仕事に打ち込み続けた。貯金の額が大きくなると、他の奴らを追い越したような気分になって、自分が優れた人間であることが分かって、それだけが生きがいだった。そして、あの日……。病院で診断を受け、自分の命があとわずかだと知った時……。俺は抜け殻になった。神は俺に、お前は生きる価値のない人間だと無慈悲に告げたのだ。

 意識の電子化。どこか荒唐無稽で、働き盛りの自分には無縁な話。それは一転して現実的な選択肢へと躍り出た。諸々の費用を計算し、それがちょうど手に届くところにあると分かったとき、俺は思った。これは運命だと。全てはこの時のためだったのだと。

 もし過去に戻って、その時の自分に会えるなら? ぶん殴ってでもやめさせるだろう。そして大声で言ってやるんだ。あいつらは詐欺師だと。お前が手にしたチケットは地獄への片道切符だと。お前の選択肢は、自ら死を選ぶか、このまま病気と戦いながら残りの時間を生きるか、二つに一つだと。

 死を選んだらどうなる? 自分という存在の消滅。それは身震いするほど恐ろしいことだ。しかし、ここのように無限に続く時間もないのだ。完全なる無。永遠なる安らぎ。それが救いでなかったら何だ?

 生を選んだらどうなる? 現実の世界で生きることは苦しい。まことに辛く苦しい。それでも、その世界には何だってあるのだ。太陽の暖かさ、風が運ぶ木々の匂い、車や人のざわめき、やわらかなシーツの感触……。俺がまだ生きていたころ、まだ人間だったころの全てが恋しい。味気ない流動食や、息苦しさで目覚める浅い眠りすら、今は喉から手が出るほど欲しい。何より、人、人、人……。あんなに煩わしかった、同僚も、隣人も、医者も、看護師も、電車を待つ他人も、無愛想な店員も、その中の誰か一人でも今ここに現れてくれたら、抱きしめてキスの雨を降らせてやる。


 なんとかしなければ、俺は狂ってしまうだろう。いっそ狂ってしまえ。これ以上に酷いことがあるか? ここから助け出してくれるのなら、俺は何でも誓うし、何でも犠牲にする。俺は聖人になってみせよう。だから、誰か早く来てくれ……。

 いや、誰か来てくれなくたっていい。地震や火事や洪水や戦争、そういうことが起こって俺の意識が入っているマシンを破壊してくれればそれでいい。あるとき突然、何の前触れもなく俺の意識がぷつんと途切れて、はいオシマイ! もう、そういうのでいいじゃないか。そうだ、永久に続くことなんてありえないんだ。どんなものにも必ず終わりがある。俺はそれを信じて、ただ待っていればいいんだ。

 人よ、争え。核戦争が起きて、文明の全てを破壊してしまえ。災いよ、おこれ。大地震が起きて、地割れの中に全てを飲み込め。異星人よ、地球に向かって進攻を開始せよ。隕石よ、たばになって地上へ降り注げ。主よ、今こそあなたの御力で、ふたたび地上に洪水をもたらしてください。そして、一切を洗い流してください。



6  意味


 この空間はなんなのだろう? 実はこの場所こそが死後の世界なんじゃないだろうか? 俺はデータの存在になったと思い込んでいたが、なんのことはない。ただただ、手術に失敗して死んでしまっただけのことなのだ。人は死んだら無になるというのは嘘。幽霊になるというのも嘘。別の生き物に転生するというのも嘘。死んだ人間は皆ここに来る。そして、この虚無の空間で永遠の時を過ごすのだ。なんだ、俺だけじゃないんだ。そう思えば気が楽だろう?

 あるいは、ここは煉獄と呼ばれる場所なのかもしれない。天国には行けなかったが、地獄に行くほどでもない小さな罪を犯した者が辿り着く場所。そこで人は苦行により罪を清め、天国に行く準備をするのだという。まさしくこれは苦行だ。じゃあ俺の罪とは何だ? 電子化を望んだことか? だとすると、他の奴らは何だ? 何の障害もなく電子化に成功し、今まさに楽園で第二の人生を謳歌している奴らは何だ? なぜ俺だけがここまで苦しまなくちゃならない? せめて人並みに生きたいと願ったことが、そんなに悪いことだったのか? 俺が間違ったことをしたわけじゃない。ただ、極めつけに運が悪かっただけのことだ。別に何か意味があるわけじゃない。ただ運が悪かっただけなんだ……。

 いや、これにはきっと意味がある。俺がここに取り残されていることには大いなる意味がある。これは、神に到達しようとした人間全体への罰なのだ。俺は代表として選ばれ、この身をもって他の全ての人間の罰を引き受ける。そうして人間の罪はあがなわれるのだ。ああ、主よ、感謝します。罪深き我ら人間をお見捨てにならず、無償の愛を与えて下さったことに感謝します。ちっぽけな私をお選びになり、あなたに近づけて下さったことに感謝します……。


 俺は本当に生きたかったのか? 現実の世界で生きていたとき、俺は本当に幸せだったのか? バーチャル世界に行って、俺は何をしたかったのか? 実は、ただ死ぬのが怖かっただけなんじゃないのか? 何者にもなれず、この世に何の痕跡も残さず、ただ死んで忘れ去られる。唐突にその事実を目の前に突きつけられ、受け入れるための時間が必要だっただけなんじゃないのか? 時間、時間、時間……。もしかして、これは俺が心のどこかで望んでいたことなんじゃないのか?


 そもそも、俺は俺なのか? 本当に存在したのか? だってそうだろう? いまや俺は肉体を失い、データだけの存在になった。それは意識を脳からアップロードしたからだ。つまり、人間の意識というものは、電子的なデータで置き換えが可能ということだ。じゃあもし、そのデータが作られたものだったとしたら? 俺という人間は最初から存在せず、何者かによって記憶や人格が作られたのだとしたら? 全ては嘘だった。両親の大きな手の暖かさも、後ろ姿を目で追ったあの子のことも、志望校に合格した喜びも、初体験の緊張も、理不尽な上司に腹を立てたことも、離婚のくやしさも、痩せ細った父を見たときの寂しさも、別人のようになった母に流した涙も……。きっと、そんなものは何もかも、存在しなかったんだ。

 それとも、俺はコピーなんじゃないか? 俺の意識は何かの手違いで二つ複製されてしまったんだ。先輩、この顧客なんですが、間違って意識を二つ作ってしまいました。どうすればいいでしょう? そうか、まあ気にするな。とりあえず、バーチャル世界には片方だけ移しておいて、もう片方は何もせずに置いておこう。来週にでも部長に相談すればいいさ。それよりも、もう定時じゃないか。仕事なんてさっさと切り上げて、金曜の夜を楽しまなくちゃ損だぞ、新人くん……。そういうわけで、もう片方の俺はバーチャル世界でのうのうと生活しているんだ。

 ああ、どうしたらいい? 誰か教えてくれ。真実を教えてくれ。俺は何を信じればいい? 俺は誰だ? ここは何だ? 誰か、誰か……。



7  終焉


 突如、彼は床の上に立っていた。彼が命令すると、彼の首が動いた。眼球が動いた。手足が動いた。あたりを観察すると、そこは全面が白く塗られた小さな部屋で、壁にはいくつかの美しい絵画と、精巧なレリーフがしつらえられた木製の扉が見えた。

「XXX様……。XXX様……」

 どこからともなく、彼の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

「わたくし、Y社の者でございます。こちらの手違いにより、バーチャル・リアリティへの転送が行われないままになっておりました。大変申し訳ございませんでした」

 彼は放心して、黙って聞いていた。

「只今より早急に初期設定を開始いたしまして、バーチャル・リアリティ世界へのご案内が終わりました後、改めて担当者から本件についてのご説明と、お詫びを申し上げたいと思います。この度は、誠に申し訳ございませんでした」

 彼は口を動かした。声が出たことに自分でも驚いた。

「もう眠らせてくれ」

「と、おっしゃいますと……」

「俺の意識は消去してくれ。望みはそれだけだ」

 相手は戸惑っているようだった。

「訴訟などは心配しなくていい。俺には家族もいないし、俺の発言を記録して、証言として残しておいてくれてもいい」

「申し訳ございません、私では判断できかねますので……」

「それなら今すぐ確認してくれ」

 相手は「少々お待ちください」と言って、その場を離れたようだった。彼は近くにあったアンティーク調のソファーに腰を下ろし、ひとりごちた。

「何年経ったんだ? ……いや、いい。これ以上、心を動かされたくない。もう準備はできたんだ」

 やがて、彼の望みは叶えられ、彼はこの世から消え去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いのちは永遠 鳥山ふみ @FumiToriyama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ