三題噺「カメラ」「鈍感」「ユートピア」(NOVEL DAYS)

不都合な未来

 スペイン最大の港街。

 ほろ苦い人生の折り返しに船旅も悪くなかった。

 踵を返し、海を背にする。観光地に用はない。


  旧市街ビーゴ。迷うはずなく最短で目的地を目指す。

 なのに、知らぬまに、バルからただよ牡蠣油オイスターソースの香りに歩みが鈍っていた。 

 クスッと笑ってしまう。



 高鳴る胸を抑え、錬鉄れんてつのインサートの扉をひらく。


「やぁ、この扉も昔のままだね」

 作業していた男は怪訝に一瞥し、直ぐに破顔した。


「悪ガキがスプレーで落書きしやがるんで落とすのが大変さ」

 ハグを交わす。


「俺らの頃はもっとひどかった。それよりすっかり老けちまって。おやじさんと勘違いしたぞ。店を継いでるなんて……てっきり学者にでもなっていると」

「しがない骨董屋に大学に行かせる余裕はなかったのさ」

「勿体ない。君の成績は抜群だった。教育なんか無償にすべきだ。優秀な人間が……」

「まあ座れよ。バルの予約には時間がある」

 勧めらるまま腰を降ろす。


「楽しみだ。イギリスはとにかく飯がまずくてね。シーフードなんか植木職人がハサミでちぎってるようだ。それより誰が来るんだい?」

「トニョ、セベリアノ、リノ、エミディオ、アントニオ……亭主持ちは中々抜け出せないけどフロリタは来るってさ」

「勢揃いじゃないか」

 胸が熱くなる。


「嬉しいよ……こんな俺のために」

「その話はよそう。君が街を出てどれだけ皆が悲しんだことか」

 言って、磨いていたカメラを差し出す。


「? 売りつけようってのか?」

 俺は笑いながらそれを受け取る。


「なに、ただの暇つぶしさ」

「二眼レフカメラ? これに合うフィルムなんてもう存在しない。映らないカメラの骨董としての価値……」

「撮った写真なら」

 見せてくる。トランプを弾くように。


 白黒の写真にはワンピースを着た妊婦にんぷの姿があった。


「う~ん。写真の善し悪しはわからないな。とても幸せそうではあるが」

「当時、11歳だった少女を撮影したものだ」

「ぅん? 若い女性ではあるけれどそんなはずない」

「だね」

 またカードが切られる。今度は……


 カラー写真だった。岬と入り江がサメの歯のように連なる青く輝くリアス式海岸をバックに、オレンジ屋根の家並みとすすけた茶と白と青の外壁。


「おい勘弁してくれよ。帰るまでに自分の目で観たかったのに……みんなでよく行ったあの丘からの絶景だ。故郷ふるさとビーゴ……変わらないね」

「いや少し変わってる。電波塔がある」

「ん?」

「観光客が増えて作ろうって話になるが反対も多くてね。建設する法案が今年も否決された」

「? なに言ってる。なら存在するはずがない。それとも何かの例え話か?」

「納得できなくて当然さ」

 巧みなシャッフルで数枚の写真が並べられる。


「これがニューヨーク。ロンドン、上海、シンガポール、メルボルン、東京……」

「……っ!」

「まるで地獄絵図。デストピアさ。けど物事は複雑で、この景色も誰かにとってのユートピアなのかもしれない。いや……ユートピアを実現する過程なのか」

「ありえない。ニュースにもなってない」

「無論、今ある現実じゃない」

「意味がわからない」

「そう。我々にも仕組みはわからない。シャッターが切られ網膜のようなフィルムに光が届くまで10数年? けれど自然科学における観察するという行為が観察される現象に与える変化だろうと観察されてしまったものは仕方がない」

「ぷっ。俺が馬鹿なのは知ってるだろ。もっとわかるように」

「君は馬鹿じゃない。成績は悪かったが」

 一体、何を言ってる?


「アメリカ国務省から依頼が舞い込んだのは世界の都市の中でなぜこの街だけが無傷なのか……それが唯一の手掛りだったからだ。今はAIなんてのを使う。分析して驚いた。運命を感じたよ。旧市街は変わらないことが観光資源さ。だから、悪ガキでさえ恐れて落書きしない惨劇のあった建物も取り壊されることはない。電波塔の他に、一カ所だけ、現在と違う場所がある。この街が美しく保存され、なぜ君の実家だけが……それが意味する事をずっと考えてる」

「……何か目的があって俺を招いたのか?」

「すまない」

「君は一体?」

「家業を継いだのは本当だが骨董屋じゃない。父も同じ仕事をしてた」

 俺は話の半分も理解できない。

 けど……鈍感な俺にもわかることがある。


「バルには……誰も来ないのか?」

「声をかければ、30分で集まるさ。みんな君のことが大好きだった。君には人を惹きつける魅力がある。カリスマ性。講堂で演説をぶてば、教師でさえ聴き惚れた」


 この街で続くはずだった物語を夢みた。

 君達との思い出は俺の光だった。

 なのに……この仕打ちは俺が殺人者の息子だからなのか?


「友情に嘘はない。事件後、君が傷つきどう変わったか不安だった。変ってなどいなかった。嬉しかった。未来の君もそうであると願う。君が第二のヒトラーであるはずがない。だから、一つだけ頼みがある」


 友よ。

 

「バルを予約する前に、写真を一枚撮らせてくれ」



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