うめぼし 土方歳三と
箱館の住民から梅干しの差し入れが届いた。それも大量の。受け取りに出た土方は思わず口をぽかんと開けて、そこそこ大きな樽たちを見回した。
「いやぁ助かりましたよォ。傷んじまったら勿体無いんでねェ」
住民は意地悪くにやにや笑って、樽をポンポン叩いた。
「なんせ最近余所へ引っ越しちまう奴が多いでしょう? そんでお裾分けする相手がいなくて困ってたんですよォ」
住民は土方の反応を伺った。突然の差し入れは、蝦夷共和国への嫌がらせ目的であったからだ。相次ぐ引っ越しは一団の横暴のため。こっちはとんだ迷惑してんだぜ、というのが住民の魂胆であった。
土方はぱちりと瞬きをして、そうして住民に笑いかけた。
「成程、そういう事なら喜んで貰い受けよう。いや助かった。礼を言う」
そうして土方はすぐに部下にてきぱき指示を出して、樽を蔵に運びだした。住民は困惑したような顔をして、こっそり舌打ちをした。
「そういう訳で貰ってきたんだ」
土方は自室でウンウン頭を抱えた榎本を引っ張り出し、蔵に連れてきた。米より多そうな梅干しの量とにこにこ顔の土方に、榎本は苦笑いした。
「お前さん、皮肉って分かるかい」
すると土方は少しむすっとして榎本の肩に肘をかけた。
「舐めるなよ。直接言ってこないモンは思ってないのと同じだろ」
榎本は、馬鹿じゃなくて阿呆の方か、と内心ごちた。まったく、担がれ奉行並の割にはいい性格をしている。とりあえず榎本は、今日の夕飯に一人一つずつ梅干しを配ることにした。
さて夕飯時。やる事とやる事の間に榎本は梅干しの反応を伺ってみることにした。これでまた毒なんかが盛られていたら、たまったもんじゃない。兵士たちの集まる部屋へ近づくと、なんとも賑やかな声が聞こえる。
「うめぇけど、おふくろの味とはなんだか違げえな」
「なぁ! 俺んとこはもうちょっとシソが効いててさ」
なるほど梅干しにもお袋の味があるらしい。今まで味の違いなんて意識したことが無かったな、と思いながら榎本は部屋を覗いた。
「おう、食べてるかい」
すると言ったか言わないかで腕をグンと下に引かれる。なんだ、と見れば上機嫌の土方であった。榎本はぎょっとした。奉行並がこんな所にいるとは思っていなかった。
「よく来たな! 食ってけよ、どうせまだだろ?」
榎本は非難の一つでも言ってやろうかと思った。やっぱり君は馬鹿か、毒見は、紀律は。口を開いたときに、周りの兵士たちと目が合った。類は友を呼ぶのか、無邪気な目でこちらを見つめていた。そりゃあそうか、こんなに近くで総裁を見る機会もなかなか無いだろう。
「……ご相判にあずかろうかね」
わっと上がった歓声に、榎本はこっそり息を吐いた。
さて梅干飯を食べてみると、なるほど確かに慣れ親しんだ味とは少し違うかもしれない。かもしれない、なのは家の味をそこまでしっかりと覚えていなかったからだ。もしかしたらこんな風だったかもしれない。ともかく榎本は久しぶりに梅干を味わって食べた。
「な、榎本さん。折角だからなんか面白い話してくれよ」
土方が肘で榎本の脇腹をつつく。じとりと土方のほうを向けば、やっぱり目がころころ無邪気に笑っている。
「なんだい急に言われてもなあ」
「急っつっても、何かあるだろう。経験がちげぇんだ。あ、俺たちでも分かる話にしてくれよ」
勝手な奴だ。榎本は箸を持ったまま、うぅんと考えた。土方と、周りの兵たちはわくわく榎本の言葉を待っている。分かる話、ったってねぇ。榎本は空の茶碗に残った梅干しの種を箸でつまんだ。
「お前さんたち、どうしてものは下へ落ちるか知っているかい」
榎本は種をぱっと離す。種はコロンと茶碗へ落ちる。兵たちはお互いに顔を見合って、首をひねる。
「どうしてったって、ものは落ちるものだからなぁ」
「考えたこともなかった、落ちるのには訳があるのか」
いい反応をする兵たちに、榎本は少し笑ってしまった。
「そう、訳があるんだな。地面があらゆるものを自分のほうに引っ張ってんだよ」
すると幼さの残る兵の一人が手を挙げた。
「地面には腕もねえのにどうやって引っ張るんです!」
榎本はますますにこにこしてしまった。もう忘れてしまったが、自分もはじめはきっと、不思議でたまらないと思ったのだろう。榎本はたまらず立ち上がった。
「見えない力で引っ張るのさ。まやかしじゃないぜ、見えない力ってのは割と身近にある。例えば石を坂で転がしたら、ひとりでに止まることがあるだろう。あれ誰が止めてんだ? そう、見えない力だよ」
兵は分かっているのかいないのか、はぁ、と手を下ろしてしまった。榎本の口もとがごにょつく。もう少し反応をくれた方が話しやすいんだけどな、なんて思いながら、榎本はごにょっとした口を開く。
「ここで問題だ。夜空を回る月があるだろう。あれはどうして落ちてこないんだ?」
今度こそ兵たちは眉を寄せて互いの顔を見た。今まで考えたことも無いし、だいたいさっきから小難しい話ばかりしやがって。そんなところだろう。実際土方がゴホンと咳払いをして、榎本をじっとりと見上げてきた。
「榎本さん、分かる話って言った筈だぜ」
榎本は苦笑いをして、あぐらで座り直した。
「要は、月は回っているからさ。石を掴んで腕をブン回して、途中で手を離したら石はポーンと遠くへ飛んでいくだろう。地面が月を引っ張る力と、月が飛んでいく力が同じくらいだから、月は落ちても来ないし飛んでもいかないって寸法さ」
案の定、土方や兵たちはピンとこない顔をしていた。けれどさっき手を挙げた少年兵が、静かになるほど、と頷いていたのを見つけて、榎本は胸がすかっとした気がした。
湯飲みに梅干しの種と昆布の欠片、それからあっためた酒を入れて、榎本と土方は縁側に腰かけた。空には丁度月が見える。何も言わずにちびちび酒をすする榎本の隣で、土方はさっきの話を思い出す。月は、回っているから落ちてこないのか。
「……榎本さん、北極星は回ってねえのにどうして落ちてこねえんだ」
榎本は少し驚いたように土方を見て、それから夜空を見た。
「星はな、遠くにありすぎて地面の見えない腕が届かねえんだ。だから落ちてこないんだよ」
土方はなるほど、とストンと納得した。言われてみれば星は小さい。あれも、遠くにあるから小さいのかもしれない。
「星はすげえなあ」
どうやっても落ちてこない、手に届かない。追い求める理想のようだと土方はらしくもないことを思った。梅こぶ酒は、はじめからろくな味がしなかった。
「土方くん」
呼ばれて何の気なしに榎本へ向く。すると彼はじっと土方の目をとらえた。
「梅も星も変わらねえよ」
は、と土方が聞き返すより先に、榎本は続ける。
「梅の実だってうまく回せば月みたいに、遠くにあれば星みたいに落ちてこない。逆に星だってやりようによっちゃ地面に落ちてくる」
土方は、その言葉がトンチキだとは思えなかった。榎本が言いたいのは、それだけではないと思った。ただ、なんと返せば榎本の意に合うのかが、なんとも皆目見当がつかない。いや、分かる気はする。けれど言葉がみつからない。
「……梅は星になり得るし、星も梅になり得る、ってか」
そっと慎重に、土方は言葉を置いた。榎本は頷いて、また目を空へ移した。
「土方くん。やりようによっちゃ、誰でも梅に、星になれる世が来るぜ」
もう土方には分からなかった。じっと続きを待つ。榎本はチビリと杯に口をつけ、ふぅ、と息を吐いた。
「やりよう次第だ。人間だってどうにでもなれる。ただ、そうさな、むつかしい所は、やりようが分からねぇンだな」
そうして榎本は杯を置き、ぐっと土方に顔を近づけた。その動作があまりに自然だったから、土方はすんなり瞳の底を榎本に見せてしまった。
「なァ、土方くん。俺たちは、星になれると思うかい」
土方は榎本の目の底が迷いや不安も無く、ただまっすぐであることに、腑みたいな、なにかが落ちた思いがした。
「……なれるさ。俺を見てみろよ」
土方の目が笑った。いつだかの、ころころ、とはまた別の、どしりとした笑い方である。
「梅が狼になったんだ。んじゃあ、星にだってなれる。なれんだよ」
榎本は目を瞬かせて、違いねェな、と笑った。
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