Ⅳ 夜間飛行と最後の晩餐
夜間飛行と最後の晩餐(1)
『うむ。ならばオズワルドとルカは暫くの間、師と行動を共にせぬよう取り計らおう。私の護衛とするのはどうだ。両名とも若輩ながらに見事な魔術を奮う者故、怪しむ者はおるまい。その間にお主は心置き無く、姑息な鼠を見つけ出して仕留めて参れ。決して、しくじるでないぞ』
床へと落としていた目線を上げれば、凛とした佇まいの年若い女性が微笑を浮かべていた。
細面の
『自分』は、椅子に座る女性に対して片膝を付いて、忠義を示している。抗し難い雰囲気を持つ相手に、この時一体何と答えたのだったか。磨かれた大理石の床が、空の青を映していたことばかりを思い出す。
かと思えば次の瞬間には、風が吹き荒れる夜の断崖に立っていた。崖下で荒ぶる波の音と、塩の香り。それに混じって、濃い鉄の匂いが漂っている。足元には温もりと確かな重みがあり、靴を通して染み込んできたものはぬるりとしていた。
見たくない。見なくても分かる。足元にあるのは──事切れたばかりの、血濡れた死体だ。
***
「わ──────ッッ!」
リゲルは布団を蹴飛ばして跳ね起きた。このところ夢見が悪くて、朝起きたら心臓がバクバクと早鐘を打っていることがある。森に付いて行って倒れて以降、眠ればこんな調子なのだ。
断片的にしか夢の内容を覚えていないけれど、とてつもなく長い夢を見ている気がする。その証拠に、寝起きが悪い方ではないのに寝坊する日が増えた。見ればオズワルドが先日突貫で作ってくれた置き時計は、十時を回っている。ほど近い場所で時計塔の鐘が十回も鳴り響いた筈なのに、何故こうも起きられないのか。
「ん──。……。……。うん、駄目だ。腹減った!」
夢の内容を思い出そうと試みるものの、印象的なもの以外は何も思い出せない。そしてその印象的な部分というのは決まって気分のいいものではないので、リゲルは考えるのを放棄しがちである。
考えるにも食事が必要だと部屋着を脱ぎ捨てて、急いでブラウスに袖を通す。腹が満たされる頃には悪夢のことなど案外どうでも良くなっているので、積極的に思い出そうと試みるのは起きてからの数分のみだというのは薄々分かっている。
部屋を出てキッチンへ向かおうとすると、二階から声を掛けられた。
「リゲル、ちょっと上がって来い」
吹き抜けを囲むアイアン製の柵に肩肘を付いているオズワルドは、魔法薬の瓶を持っている。魔法薬を渡す時は必ず一階へ下りてくるのに、二階へ呼ぶのは珍しい。
リゲルは螺旋階段をパタパタと駆け上がった。その間にオズワルドが、廊下の突き当たりへと移動していく。玄関のある方角に位置するそこには、廊下と階下の玄関ホールへ明かりを取り込む為の大窓がある。他の建物の影にならない眺めが良い窓で、時計塔を含む街並みが見えるのを、夜になるとこっそり二階へ上がって外を眺めているリゲルも知っていた。
オズワルドはリゲルに魔法薬の瓶を渡すと、窓の外の曇り空を指し示す。
「今夜、あれに乗るぞ」
「……ん?」
あれ、と示された場所に浮かんでいるのは、悠々と空を行く、民間運用の飛行船だ。蒸気機関を搭載した
その飛行船に今夜乗ると宣言するとはどういうことなのだ、ただの自慢か。
「えーと……凄いね、いってらっしゃい」
「何で他人事なんだよ。俺じゃなくてお前が乗るんだ」
「ええ……? やめときなよ。幾ら俺の見た目がお坊ちゃんみたいだからって、周りを騙せるとは思えないって」
「誰がお前みたいな素人に、潜入捜査の真似事なんか頼むか。今夜の搭乗は俺の仕事とは関係ない、ルカからの要請だ。飛行船の行き先は王都。夜までに荷物を纏めて、向こうへ移る準備をしておけ」
「移るって、まるで引っ越しみたいな言い方だね」
「みたい、じゃなくて正真正銘の引っ越しだよ。俺は間もなく、お前の雇い主じゃなくなる。王都でお前を保護する為に、ルカが手を回したんだ。お前は新しい雇い主と、今夜あの飛行船の中で対面することになる」
「な……何で⁈ 俺、王都に行かないといけないの⁈」
「俺にとっても急な話で、今朝のルカからの電話は寝耳に水だったけど、今回ばかりは仕方がないな。これは、やんごとなき身分の方からの提案だ。お前にも俺にも拒否権は無い」
伝えるべき事は伝えたぞと言わんばかりの涼しい顔で、オズワルドはスタスタと工房へ戻っていく。
「いきなり何なんだよ、俺、王都になんか行きたくない!」
流石に納得がいかなくて、ドアノブに手をかけた魔術師に走り寄り、その腕を力いっぱい引っ張った。その拍子に、渡されたばかりの魔法薬が床に落ちる。瓶の蓋が外れて、せっかく作って貰った今日の分の薬が台無しになってしまった。
「……はあ。せっかく作ってやったのに、何てことするんだよ。お前の迂闊さにはほんと呆れるな」
「ねえ、ルカは友達だろ。オズワルドから上手く言って断ってよ」
「無理だって言ってるだろ。それに王都の魔術師達は、お前の記憶を取り戻す手助けをしてくれるらしいぞ。元々それを願って俺の所へ来たんだ、協力してくれる奴らが見つかって良かったじゃないか」
「……へ?」
予想外の言葉に、力が抜ける。勝手に決められた話だというし、何処かオズワルドも不満げなので、いい話だとは思っていなかったのだが。
「新しい雇い主はいいぞ。恐らく、毎食腹いっぱいの飯をくれる。苦くない魔法薬も約束されるし、与えられる部屋も今より広いだろう」
「……ほんとに? オズワルドは、俺が王都へ行った方がいいと思う?」
「それは、分からないよ。俺はお前と違って、忘れられなくて困ったことが無いから」
パタン、と工房の扉が閉じた。
中に姿を消したオズワルドを追いかけて入ったら怒られそうだから、釈然としないまま仕方なく階段を下りる。
言い残された言葉の意味は、全く理解出来なかった。忘れられなくて困った覚えはない。どちらかといえば自分は、思い出せなくて困っているのだ。
向かったキッチンには、昨日買ってきたばかりの野菜とチーズがそのまま置かれていた。居合わせた機械人形に手伝って貰いながら、少し早めの昼食を作る。リゲルの為に仕込んでくれたパンチェッタも、オズワルドは食べないから残しておいては勿体ない。明日もうここにいないならば、全部使ってしまうとしよう。
「随分、料理ガ上達シマシタネ。人間ハ、臨機応変ニ対応出来テ素晴ラシイデス。リゲルクンナラ、オズワルド様ノ飲ミ物ニ、オ砂糖ヲ五杯、入レラレマスシ」
「そういえばオズワルドって、甘党なのになんでわざわざ砂糖の量を少なめに設定してるの?」
「健康管理ノ為デス。コノ機能ヲ付ケル前ハ、オ疲レノ時ノオズワルド様ガ、砂糖ヲスプーンデ掬ッテ食ベテシマウノヲ、止メラレマセンデシタ」
「それ魔術師っていうか、蟻の所業じゃん」
少しズレた褒め言葉をかけられながら、機械人形と料理を作るのが好きだった。魔術師によって人工的に作られた人格であっても、不思議と家族といるみたいな気がしていた。ここに長くいる存在で、仕事を教わることが多かったからかもしれない。
オズワルドの魔力で動いている機械人形に、暫く前に夢を見ることがあるかと尋ねてみたものの、それについては明確な答えは得られなかった。夢を見る・見ないという話以前に、睡眠という概念が備わっていなかったからだ。設定の過程で停止中にオズワルドの記憶を得ることならばあると、何とも曖昧な返答を貰った。それは、夢と言えるのだろうか。
結局、魔術師について知っているような気がする瞬間があることや、倒れた日から見るようになった嫌な夢については、何の憶測も立てられないでいる。あれは自分の記憶なのか、オズワルドの影響によるものなのか。手掛かりになる場面でも夢に見れば、或いは──。
「あれ……?」
「ドウシマシタ、リゲルクン」
「ん……いや、何でもないよ」
今朝の夢で見た女の人は、オズワルドとルカの話をしていた。あの二人を自分の護衛に付ける、と話していたから、その場にいたのは第三者だ。
あれはオズワルドの記憶じゃない。あれが俺の記憶だとしたら──俺は自分が誰なのか、何をしたのか、本当に思い出していいのだろうか。
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