夜間飛行と最後の晩餐(2)
夕食はどうするのかと問えば、面倒だから出掛けに食べに行くと告げられた。
「飛行船への案内までが、俺の役割だ」
姿を隠して森へ付いて行った時を除けば、オズワルドと一緒に出掛けるのは初めてだ。好きなものを食えと言われたので、唯一行ったことのある、大通りの店を選んだ。ルカに誘われて食事をした場所だ。
肉料理は二度目も美味しい。前回と違うのは、食事を共にしている魔術師が始終無言であることだ。最初は好みの甘味がメニューに無いことに不機嫌なのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。何か考え事でもしているみたいに、オズワルドは上の空だった。
食事を終えると、一緒に飛行船の乗り場を目指す。汽車で向かったのは、森へ向かった時とは別の方角だ。引越しといってもリゲルの持ち物は読みかけの本が一冊と少しの着替えだけで、荷物は使い古しの紙袋ひとつに入れて、片手で持てる分しかない。あまりにも呆気なくて、これでヴァレリオスの街とお別れだなんて嘘みたいだった。
町を離れる実感が湧いたのは、町外れに着いて飛行船を目前にしてから。
間近で見る飛行船は想像していたものよりもずっと大きくて、人という餌をひと飲みにする銀の鯨のようだった。飛行中には見えにくいプロペラも、目視して数えることが出来る。四枚羽のプロペラが大小合わせて十二。どれも今は、回転せずに止まっている。
聳え立つ係留塔の上で待ち構えていたルカは帽子こそ被っていないが、以前見たどの時よりもきちんと正装していた。
「お前も同乗しろ。顔が見たいと仰っている」
「断る、と言いたい所だけど、そうもいかないんだろうな」
オズワルドは溜息混じりに答える。そうしてルカに、夜の森で手に入れた魔術銃を手渡した。
「どうだった、何か出たか?」
「出たよ。でも、お前も直に知ることになる情報だ。リゲルの記憶を戻してやるんだろ?」
「……気になること言うなぁ。やあリゲル、君も早く乗って」
さっさと搭乗したオズワルドを追って、リゲルも飛行船の船首で口を開いている搭乗口へ向かう。船体は空中待機している状態なので、乗り込んだ途端、浮いた心地がした。
狭めの通路を下っていくと、思いがけず広い部屋に辿り着く。ラウンジと呼べばいいのだろうか。二十人は座れそうなソファと、奥にはライトアップピアノまで置かれている。ルカと同じ金のバッジを胸に付けた、正装の中央機関の人物が数人。床の一部はガラスのように透明で、窓だけでなくこそからも眼下の景色を見渡せるようになっている。
「リゲル。荷物はこっちだ」
オズワルドが、更に奥の方へ手招きする。そこには、キャビンと思わしき部屋が六つ。一番手前の一室へ入れば、リゲルのいた物置部屋と同じくらいの広さだった。でも、置かれているベッドは大柄な大人でも眠れる大きさだから、もしかしたらキャビンの方がほんの少し広いのかもしれない。
荷物をそこへ置いてからラウンジへ戻ると、ルカがやって来た。
「間もなく出発だ。陛下は空に上がってからお呼びする。そこに掛けて待っていてくれ」
「……陛下?」
帽子を外してソファに身を預けたオズワルドに倣って隣に座ったリゲルは、聞き間違いだろうかと耳を疑う。ふかふかの座り心地と、機体が上昇し始めた感覚も手伝って、ルカの言葉にも現実味が持てない。
「オズワルド。俺達、誰を待ってるの?」
「ウィステリア女王陛下だ。お前の新しい雇い主だよ」
あんまり驚くと、声が出ないものなのだと知った。値段も標高もお高い場所で中央機関の連中に囲まれているから、緊張感から叫びが出せずに、喉に引っかかったとも言える。平然としているオズワルドの隣で、開いた口が塞がらない。
早く言えよ、何でそんな大事なこと黙ってたんだこの魔術師は。そこまで考えて、離陸の直前までルカの説明にも主語が無かったことに気付く。我が国、ヴェスパー王国の女王陛下が民間の飛行船に搭乗しているなんて、絶対にお忍びというやつだ。飛行船が飛ぶ準備が完了するまで誰も名前を出さなかったのは、保安対策というやつか。
ルカが最奥のキャビンをノックして、こちらの準備が整ったことを知らせる。程なくして扉が開き、華奢な女性が姿を現した。エスコートを申し出たルカの掌にほっそりとした白い手を乗せて、ウィステリア女王陛下がこちらへ歩いてくる。カモフラージュの為か、女王は中央機関の者達と同じスーツを着ていた。しかし立ち振る舞いには優雅さが漂っている。ドレスを着慣れた貴婦人の歩き方だ。
身長は、ルカよりもずっと低い。けれども背筋がぴんと伸びた姿勢の良さと、凛とした表情が美しい。編み込まれてすっきりと纏まった、淡い藤色の髪。オズワルドとルカと、そう変わらない年齢に見える貴婦人。ラウンジ内を進んできたその姿に、リゲルは確かに見覚えがあった。夢で見た、あの女性だ。
「久しいな、オズワルド」
「ご無沙汰しております、ユア・マジェスティ」
声を掛けられると、オズワルドはソファから立ち上がって歩み寄る。宙に差し出された女王の手を取ると、恭しく唇を近くまで寄せた。普段の足癖の悪さからは想像もつかない、完璧な作法の挨拶である。
「ふふ。相変わらず、お主のオーラは痺れて適わぬ。以前より強さが増したのではないか?」
「いえ、こちらは研鑽を忘れて気ままに暮らす身。威光眩い女王陛下の御前では、己の衰えを思うまで」
「つれない返答よ。お主はそのようにのらりくらりと躱すばかりで、一向に国の為に働こうとはしてくれぬ」
「公人には向いていない男です。陛下は即位後の法改正にて、独創者にも職業選択の自由を与えてくださった。感謝の念に堪えません」
「とはいえ、お主もそろそろ安寧を求めても良い歳であろう。未だ、中央機関で働く気にはなれぬのか」
「堅苦しいのは苦手なもので」
「うむ、昔からそうであったな。良い。今宵は私的な場ゆえ、そう畏まらず楽にせよ」
「……気遣いは有り難いけど、ルカとお仲間が黙ってないぞ。君は今や女王陛下だしなぁ」
「当たり前だ。限度というものがある、昔のような振る舞いが許されると思うなよ」
一気に砕けた話し方になったオズワルドを、横からルカが咎める。どうやらオズワルドは、ウィステリアが女王となるより以前からの知り合いであるらしい。
「いや、許そう。今宵はお主の本音が聞きたい故、その調子で話して構わぬ」
オズワルドに告げると、女王は置き物のように固まっているリゲルを気にかけ、ちらと視線を流す。すかさずその機微に反応して、ルカがリゲルの真正面のソファへと女王を促した。
女王が座ると同時に、オズワルドもリゲルの隣に戻ってくる。
「彼がそうか」
「イエス、ユア・マジェスティ。彼がリゲル・ジョン・ドゥです」
女王の後ろに立つルカが告げる。
夢の中と同じように、女王はリゲルを見て微笑んだ。
「写真で見た通り、オーラが黒い靄で覆われておるな。まずは手を握っても良いか、リゲルとやらよ」
「は……はい」
「余は偶々、魔術師の素質を持って生まれてな。王室では初めてのことで一悶着あったのだが、独創者としての力が有用であったので、こうして無事女王の座に着いておる。オズワルドが機械、ルカが光と、それぞれ得意とする分野があるように、この私はオーラを用いて人の本質を見ることに長けておるのだ」
握られた右手が、血の巡りが急に良くなったみたいに、ほんのりと熱い。
「オズワルドの魔術拠点にある装置に、入れられたと聞き及んでおるぞ。あれは余のこの力を参考に作った一品でのう。とはいえあちらの方が遥かに乱暴に、深部の情報を抜き取る。負担も大きい故に、生ける者以外を対象にしていると聞いていたが、さて」
女王は長い握手を終えると、黙って考え込んでしまった。
「ウィステリア。こいつは阿呆だ、真剣に考えなくていい」
「阿呆……と、お主が言うのも止む無しの事態だが……やはりお主は、一目見てリゲルの正体に気付いたのか?」
「そんな訳ないだろ。あの装置にぶち込んだのは思いつきだ、俺だって想定外だった」
「そうか。ルカよ、お主もこちらに座れ」
「仰せのままに」
女王の後ろに立って控えていたルカが、呼ばれてその隣に座った。何故今このタイミングでルカが座らされたのだろうと、リゲルは不思議に思った。
言いたいことを言い出せない雰囲気が、もどかしい。女王の前でさえなければ、今すぐ隣に座っている魔術師にぶつけたい疑問が湧き上がっている。だって今の会話から察するに、何者なのかを知りたいと依頼したその日のうちに、オズワルドはリゲルの疑問に答えられたことになる。
……うん、無理だ。隣にある平然とした横顔に、物凄く胸がムカムカしてきた。女王の前だからとか、知ったことではない。
リゲルは立ち上がると、オズワルドの胸倉を引っ掴んだ。まさか、この場で詰め寄られるとは思わなかったのだろう。ペリドット色の瞳が瞬時に大きく見開かれる。
「……! リゲル、待て」
即座にルカから、行動を咎める鋭い声がかけられた。構わずリゲルは服を掴んでいる拳にぐっと力を込めて、オズワルドを睨みつける。
「誰が待つか! 何で言ってくれなかったんだよ! 俺が誰なのか知ってるなら、今すぐ言え! 言えよオズワルド!」
「落ち着くんだリゲル! 陛下の御前だ、大人しく座って話を聞け!」
ルカに覆いかぶさるようにして腕を捕まれ、抵抗も虚しくオズワルドから引き剥がされた。
「済まぬな、オズワルド。リゲルをこちらで引き取る前に、まずはそれぞれの考えを確認せねばと思ったのだが」
「……気を回さなくていいよ。こいつは記憶を取り戻したいんだ、予定通りそっちで引き取ってくれ」
「しかし、事が事だ。お主の意見を軽視するわけにもいくまい」
「俺の意見か。そうだな、記憶が戻ったら俺の文句を聞きに来い。とか、どう?」
軽く言うわりには、オズワルドの目は本気だった。ルカに羽交い締めにされているリゲルを真っ直ぐに見て、そう言ったのだ。
その手にはヘリオスがあった。いつの間にかリゲルのポケットから抜き取られていたらしい。意図に気付いたルカが止めようとする。
「おい、話はまだ終わってないぞ」
「こんな護衛の目が光ってる所に、いつまでもいたら息が詰まる。ウィステリアと二人きりでなら、また会ってもいいよ」
帽子を目深に被り直したオズワルドの姿が、小さな旋風に巻かれて消えた。女王への許可も取らずに、ヴァレリオスに帰還してしまったのだ。
ルカと女王は、揃って大きな溜息をつく。
もしかして──これって俺のせい? 俺がキレたから、三人で何かを話し合いたかったのに、オズワルドに離脱されちゃったってこと?
リゲルが早まったかもしれないと少し気まずく思い始めた時、ルカの羽交い締めが緩められた。
「……リゲルや。改めて握手を。余は、お主の新たな雇い主となる、ウィステリア・シャルロット・ヴィエルジュ。我が王宮の雑務を任せるつもりだが、お主は何よりも、失われた記憶の獲得を優先して良い。そちらはルカが主導するのでな、良く言うことを聞くのだぞ」
女王は説明しながらも、はあ、ともう一度溜息をつく。オズワルドが話の半ばで帰ってしまったのが、相当残念らしい。
「ルカよ、この場を設けたお主の手回しを無駄にしてしまったな。あやつの考えを聞き出せなかったのは、余の力不足よ」
「いいえ。あいつが我々の思う通りになった試しはありません。いつものことです、気を取り直しましょう。 ……そろそろ王宮に、到着します」
船首側の窓辺に寄り、外の景色を確認したルカが告げる。もう王都の上空にいるのかと驚いて、リゲルも夜景に意識を向けた。
ルカの隣に並んで外を覗くと、眼下には沢山の街の光が広がっていた。遠くにある地面が、きらきらと輝いて見えるのは何だろう。水辺のように見えるが、海はもっと遠い筈だ。ルカがその輝きの上の白い建築物を指して、あれが王宮だと教えてくれた。飛行船が近付いていけば、徐々にその全貌がはっきりしてくる。
荘厳な王宮が、王都の中心にある広い湖の上に浮いていた。
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