Ⅲ 機械人形は魔術師の夢を見るか
機械人形は魔術師の夢を見るか(1)
『新訂版・三十五年戦争と魔術義肢の歴史』
──以上の外交的理由から、隣国であるニコラシュ共和国と、我がヴェスパー王国との戦争は三十五年に及んだ。うち、激しい交戦が行われたのは初めの五年間である。飛行船や銃器、そして蒸気機関は、この時期に多大な国資を受けて盛んに製造・発明された。
その後、両国は休戦協定の締結を目指して停戦状態に入ったが、第三国の介入により情勢は混迷化の一途を辿ることとなる。これにより水面下での諜報と謀略が頻発し、ニコラシュ共和国と第三国に対抗すべく、我が国にも軍属の魔術師集団が誕生、暗躍する時代となった。
平和条約の締結に至るまでの三十五年間、魔術師集団がどのような活動を行っていたのかは、現在でも謎のベールに包まれている。終戦後に速やかに解散、名簿の焼却が行われた為、メンバーはおろか集団の正式名称も不明のままだ。
唯一の手掛かりとしては、当時軍の中枢機関に所属していたトマス・タイラーの日記が挙げられる。終戦間もなく新聞に掲載され、一大センセーショナルを巻き起こした彼の手記によると、魔術師集団の多くは『独創者』であったという。その一節に名を綴られていた魔術師マグヌス・ディアマンテは実際、天才と謳われた『独創者』であった。マグヌスは歴史の表に名が出た数少ない独創者として注目されたが、奇しくもトマス・タイラーの記事が世に出回る数日前に、何者かに暗殺されている。
しかしマグヌス・ディアマンテが戦時中に残した功績は、間接的にではあるが現在活躍する魔術師達に受け継がれている。世界で初めて魔力を繋いで稼動させる義肢を用いたのは、マグヌスその人であるからだ。
暗殺された際にマグヌスが装着していた義肢は無に還り、彼の魔術師の魂は常に傍に寄り添っていた愛犬リゲルと共に、故郷の墓に永眠している。だが、魔術拠点に残されていた歴代の義肢は軍の手によって回収された。軍はその優れた義肢のデータを開示、近年魔術師の力を飛躍させている魔術義肢の歴史は、ここから始まったのである。
***
「愛犬リゲルか……。俺、もしかして正体は犬だったりして」
本のページを眺めて呟いてから、それは無いかと思い直す。流石に遠吠えをしたい衝動に駆られたことはない。
リゲルは既に顔を洗って、朝食も終えている。卵を三つ使ったベーコンエッグを焼いて、買い置きのパンを十個食べた。それでもオズワルドが来るまでにはまだ時間があるから、自室に戻ってベッドでごろごろしながら、先日買った本を開いている。話し相手になってくれる機械人形も、魔術師が出勤して来ないうちは動き始めないので暇なのだ。
玄関から見て左手にあるリゲルの部屋は、元々倉庫として使っていた空間だけに狭い。住むには最低限必要だと用意されたベッドを入れたら、それだけで一杯になった。でも手ぶらで来たようなものなので私物は無いし、オズワルドの用意してくれた寝具は快適なので、特に不便はしていない。
惰性で次のページを捲る。冒頭部分を読んだだけで、違う本を買えば良かったと後悔している。まず、『独創者』というのが何なのか、まるで見当がつかない。皆は当然知っているものなのか、注釈も無い。他に魔術師のことが分かりそうな本が沢山あったのに、何故こんな小難しい本を選んでしまったのだろう。せめて魔術義肢より身近な魔術具の載っている本にしておけば、自分が貰った物や、オズワルドの使っている物への理解が進んだかもしれないのに。
この本で特に身近でもない魔術義肢に詳しくなっても、クレイシオのあれはこうして出来たのか、くらいの感想しか出てこなそうだ。覚えていない戦争にも、あまり興味が湧かない。
八年前に隣国との平和条約が締結して、戦争が終わったのはなんとなく覚えている。リゲルの持つ記憶の中では、その頃のものが一番古い。
砂漠からの熱波が南の海を渡って押し寄せてきた、暑い日だった。ヴァレリオスの街はお祝いムードになって、そこかしこで花が舞っていた。その中に、リゲルはぼんやりと立っていた。
記憶が空っぽで、何処かも分からないまま蒸気に包まれた街の通りにいるのに、不安で押し潰されなかったのは猛烈にお腹が空いていたからだ。食べる為に仕事を探さなければならないと思った。自分が何処の誰で、今までどう過ごしていたのかを全く思い出せなくても、仕事をすればご飯が食べられるとか、汽車の乗り方とか、文字の読み書きとかの、凡そ生きていくのに必要な知識はどういうわけか残っていた。
戦争が長く続いたわりに町が打撃を受けずに栄えているのも、一度も不思議に思わなかった。停戦期間が長かったせいなのだと見聞きするより前から、そういうものだと理解していたのだ。
「オハヨウゴザイマス、オズワルド様。ヨウコソ、ルカ様、五日ブリノ御訪問デスネ」
「これ本当に利口だな。もう少し小型化出来れば俺も欲しい」
「無理だろ。俺以外にこれが御せるかよ」
「そう挑発されると試してみたくなるな。けど、どのみちこれ以上小さくは出来ないんだろ? この大きさのせいで、持ち主は別に家を借りる羽目になってるんだから」
玄関の鍵を開ける音に続いて、オズワルドと誰かが入ってきた。
聞こえてきたのは随分と気安い会話だ、旧知の仲であるような。動き始めて出迎えた機械人形も、訪問者を知っているようだ。
「ルカ、とりあえず二階の工房で待ってろ。紅茶くらいは出してやる、他に何か食べたいなら機械人形に頼んどけ」
「えーっ。嫌だよ」
「今から依頼人が来るって言っただろ。そもそもお前が、カフェも空いてない時間に押しかけて来るからだぞ」
「俺も早く仕事に取り掛かりたいんだよ。なら先にジョン・ドゥを紹介してくれ、こっちは二人で始めてるからさ」
「ああ、それでいいのか? 同席不要なら手間が省けて助かる。俺の方もかかるだろうから、終わったら適当に帰れよ」
コンコン、コン、と軽快にノックが三回鳴らされる。いつものオズワルドの呼び方だ。玄関での話し声は部屋にいても全部筒抜けであるので、一体何事なのかと考えながらリゲルはドアを細く開いた。
「わお。本当に少年じゃないか──って、あれ? 君、五日前すぐそこを別の魔術師と歩いてなかった?」
「あの日は色々あったんだ。兎に角、こいつがリゲル。言ってある通り記憶喪失で、魔術についても全くの無知だから、余計なことは話すなよ。それと、客に聞こえないよう静かにやれ」
「初めましてリゲル・ジョン・ドゥ。俺は保安局所属の、ルカ・エルムンド。オズワルドとは昔馴染みで、同じ『独創者』の魔術師でもある」
「言った傍からそれかよ。先が思いやられる」
「そう? ただの自己紹介じゃないか」
ドアの前を塞いでいる二人の向こう側で、玄関が開いた気配。続いて、機械人形が客人に対応する声がする。直ぐにオズワルドがその場を離れて、依頼人を応接室へと案内していった。
リゲルからはルカが壁となって見えなかったけれど、今日の依頼人は礼儀正しい夫妻であるようだ。応接室の扉が閉じられ、客人の声が完全に届かなくなるのを待って、ルカが問いかけてくる。
「なあ、オズワルドから魔術具を受け取ってるだろ? 移転ガジェット『ヘリオス』の貸し出しは保安局の特権でね、一応、持ち主の登録をして上に報告する決まりになってる。手続きの為に、ちょっとお邪魔してもいいかい」
「うん。どうぞ」
問われて、リゲルは少しだけ開けていた扉を大きく開く。二階の工房にリゲルは入れず、キッチンでは来客に出すお茶を準備する機械人形の邪魔になりそうだ。狭いが、ここしか使える部屋が無い。
オズワルドはあの魔術具を貰いものと言っていたけれど、実際は貸し出されているものらしい。ならば、必要な手続きはしておかないといけないだろう。わざわざ取り寄せて貰った、身の安全を守るのに必要なものだ。
ルカは、どう見てもあの日すれ違った王都の役人である。今日は軍警察を連れておらず、ゴーグルも外しているが、濃紺のスリーピーススーツに胸の金バッジ、山高帽という服装は以前見たものと同じだった。
部屋に招き入れると、ルカは持っていた四角い鞄を床へ下ろして帽子を外す。銀髪のショートカットで、長めの前髪を右へ流して、左側の髪は耳にかけている。その片耳には一粒のダイヤのピアス、瞳は澄んだ菫色。言われてみれば魔術師らしい稀有な特徴がある。そして知的な雰囲気の、綺麗な顔をしていた。
服装や言葉遣いからルカは男だとばかり思っていたが、リゲルは何だか自信がなくなってきた。先入観無しで見れば、ルカは凄く中性的なのだ。背丈は百七十五センチくらいだろうか、背の高い女性にも、細身の男性にも見える。声からも仕草からも、性別の判別は難しい。
「まずは写真を撮ろう」
小型のレザートランクが開かれると、中には蛇腹式の写真機が入っていた。先日付けていた万能ゴーグルと書類の束らしきもの、万年筆と革表紙の手帳、巻尺、オズワルドが持っているような魔法薬用の小瓶も入っている。
「どうすればいいの? 俺、写真を撮られるの初めてだ」
「顔しか撮らないから、座ってじっとしていてくれればいいよ。しかしまあ、裕福な家庭のお坊ちゃんって格好だな。もっと魔術師っぽい服は持ってないのか?」
「俺、魔術師じゃないよ」
「そうだろうけど、書類上はオズワルドの弟子になるんだよ。その方が申請が通りやすいからな」
「嘘だってバレない?」
「申請に不備が無ければ問題ない。そもそも軍開発の特殊魔術具とはいえ、『ヘリオス』程度に今どき厳重管理は必要ない、というのが保安局の総意だ。これからする手続きは最早、慣習に過ぎない。スパイ活動が盛んだった、三十五年戦争の時代から受け継がれているだけのね」
ルカは自分のゴーグルをリゲルの頭の位置に合わせ、ベルトの部分を縮めてサイズの調整を試みる。一目で高性能と分かるゴーグルで、リゲルを少しでも魔術師の卵らしく見せようという目論みだ。
「なんだか……サイズは兎も角、服のテイストと合わな過ぎて借り物感が凄いな。やめとくか」
一歩離れてまじまじと眺めた末に諦めて、貸そうと考えたゴーグルをあっさりと外す。
それから『ヘリオス』を首にかけるよう指示されたので、リゲルは言われた通りにした。金鎖はオズワルドが縮めてくれたので、今は丁度いい長さになっている。相変わらず、ずっしりと重い。
「この間来てたのは、これをオズワルドに渡す為?」
「それもあるけど、あの日はあいつに頼みたい、急ぎの別件があったんだ。ある品を分解して、元通りに組み立ててもらってね。ああいうのはオズワルドの得意分野だから短時間で終わるんだけど、魔力を大分消費させたから文句を言われたよ」
「ああ、それで疲れてたのか」
蛇腹式の写真機がベッドに座るリゲルに向けられて、シャッターが切られた。印画紙に数分で浮き出てくると説明されて、リゲルはワクワクする。撮影したものがその場ですぐ見られるタイプの写真機は、まだ出回り始めたばかりで珍しい。
写真が出来るまでの間、リゲルは幾つかの質問に答えていく。
記憶に無いことはルカと相談して決めた。名前は魔術師の弟子なら違和感もないというので、自身で決めたそのままを登録。年齢は見た目で判断して十。誕生日は、一番古い記憶が夏だから八月八日。身長はルカが巻尺で測ってくれて、百四十センチ。
備考には魔術師の弟子、師匠はオズワルド・ミーティアと、ルカが悪びれもせず堂々と記した。
「どれ、そろそろ写真が……君、話には聞いてたけど想像以上だな」
置いておいた印画紙を手にしたルカが、顔を曇らせる。背伸びをして覗いてみれば、写っている筈のリゲルの姿はそこに無い。中央の人型を真っ黒に塗りつぶした、奇妙な写真が出来上がっていた。
「……これさ、不備ってやつになる?」
「いや。寧ろヘリオス以上の魔術具を申請したって通るよ。この写真一枚で、魔術的な危険に晒されてるのが証明される」
「なら良かった、これ、持ってていいんだね!」
喜ぶリゲルを、ルカが少し驚いた表情で見詰める。それから長い溜息をついて、写真を挟んだ手帳と書き終えた書類、最後に写真機を、トランクに仕舞い込む。
「他人に興味が無いあのオズワルドが、君を放っておけなかったのも理解出来るよ」
「写真に写らないのは、やっぱり俺にかかってる呪いのせい?」
「呪いか。俺でも久しぶりに聞く言葉だ。確かに力ずくで重ねがけした至極強力な魔術は、悪意の塊でしかない。呪いと呼んで差し支えないだろう」
「オズワルドは、誰でもない少年として俺を殺したいんだろう、って言ってた」
「あいつ相変わらずだな。普通、子供相手にそこまではっきり伝えないぞ」
「うん。脅されるし変な機械には入れられるし、鬼かと思ったよ」
「……機械ってまさか、あいつの魔術拠点にあるデカいやつ?」
元通りにトランクを閉じたルカが、少し驚いた顔でリゲルの顔を見上げる。
「うん、多分それ。二階の工房にあるやつ」
「は? 正気か? あれは人間を入れるものじゃないだろ」
「俺も、何で入れられたのか分かんないよ」
「理由くらい聞いてみろよ。君、相当能天気だな」
「聞いても教えてくれないんだ。でもあれから、薬は作ってくれるんだよ。毎日」
「薬? ……オズワルドが?」
「俺、凄くお腹が空くんだ。でもオズワルドの薬を飲むようになってから、お腹がいっぱいになるってこういうことなんだって、初めて分かった」
「じゃあ、ちゃんと効いてるんだな。良かったじゃないか。そうか、オズワルドが魔法薬を──ふ、ははは……!」
堪え切れずに笑い始めたルカが、続けて言う。
「あいつ、やばい魔術具はポンポン作るくせに、魔法薬の調合はすこぶる苦手なんだ。どうにも手際が悪いから昔一度教えてやったら、不貞腐れてそれ以来作らなくなった。俺には必要ないって言ってさ」
「へ……? 苦手なことなんてあるんだ? オズワルドは『独創者』なんでしょ? この本にも載ってたけど、独創者って戦争でも活躍した、なんか凄い感じの、選ばれし魔術師とかじゃないの?」
リゲルは読みかけの『新訂版・三十五年戦争と魔術義肢の歴史』の表紙を見せた。ルカはおや、という顔をして、本を手に取りパラパラと捲る。
「随分難しいの読んでるんだな。あいつのか?」
「ううん、自分で買ったんだ。魔術師のことを全然知らないから、何か読んでみようと思ってさ。けど、他の本にすれば良かったかも。それを読んだって、オズワルドのことが分かる訳でもないし」
「成程な。余計なことは言うなって、そういう意味か」
「え、何が?」
「なんでもないよ。なあリゲル、君はオズワルドをどう思ってる?」
本をリゲルに返したルカは、ベッドに座るリゲルの隣にどかりと腰を下ろして、唐突に聞いてくる。答えにくい質問だ。第一、意図が掴めなかった。
「どう、って?」
「雇い主を信用してるのか、って聞いてる」
「ううん……? ここで働いて一ヶ月経つけど、仕事は楽だし、昼は満腹になるまで食っていいし、それなりには……あ、機械人形は好きだよ。お菓子くれるから」
「君の判断基準が食い物なのはよく分かった。とはいえだ、ここにいるのは君の意思で、間違いないんだよな?」
「意思っていうか、正直、他に雇ってくれる所がない。それになんとなく、オズワルドといれば何かを思い出せそうな気がするんだ」
「……忘れている記憶か。そりゃ、思い出したいよな。それには刺激が必要だ、例えば新しい知識なんかも、思い出すきっかけになるかもしれない。『独創者』が何なのかくらいは、俺が教えてやろうか」
足を組んだルカは、まるで楽しい悪巧みをしているみたいな顔をしている。リゲルが知らなくてもいい「余計なこと」を、少し教えてやろうと考えたようだ。
すると、部屋に星座が瞬いた。真昼の部屋が突然星の世界になって唖然としていると、「幻想だ、普通に説明しても退屈だろうから」とルカが微笑む。頭上に見知った星座が現れて、あの青く光る明るい星もリゲルだ、と教えられた。犬の名前だけでなく、星にもリゲルと名付けられているものがあったとは知らなかった。世の中には案外、沢山の「リゲル」が存在しているのかもしれない。
「──通常、魔術というのは、適性ある者が受け継がれてきた技術を学ぶことで会得していくものだ。魔力を持って生まれた子供はなるべく早いうちに師を定めて、独り立ちするまで教えを請う。正しい使い方と法則を学ぶことが、魔術の才能を伸ばす為には必要不可欠だから。けど、俺達はそうじゃない。『独自の魔術を創れる者』である『独創者』は、生まれながらにして自分だけの魔術法則を持ち、誰に教わらずとも全く新しい魔術を揮うことが出来る。戦時中に独創者が重宝されたのは、一般的な魔術法則とは違って解析困難である為に、対抗策を取られにくかったせいだろう。俺もオズワルドも招集されずに済んだ世代だから、詳細は知らないけどね」
星座の無い部分に、様々な色の光点が現れた。それぞれが、星としては不自然な位に強く光っている。独創者とは星座に与しないこの星々のように、魔術師の中でも規格外の存在なのだろう。
「戦場を独創者を始めとする魔術師が引っ掻き回したおかげで、火力頼みの戦争は最初の五年で済んだ。その後の国内外での暗躍も功を奏し、多くの町が焼かれずに保管され、命が守られた。三十五年戦争で活躍した魔術師達は、俺達の世代なんかより何倍も勇敢だったに違いない。それでも、これだけは言えるよ。オズワルドは歴代の独創者の中でも、随一の奇才だ」
空一面に、きらきらと星が流れる。オズワルドのミドルネームでもあるミーティア、流れ星。沢山の星が降る中で、リゲルは頷いた。
「オズワルドが他と違う魔術師なのは、なんとなく知ってた。独創者なのを見抜いて、弟子にして欲しいって言ってきた魔術師もいたから……」
「はは。自業自得だな。それが煩わしいってあいつは周囲に明言しないけど、度々決闘なんかしてりゃ、勘のいい奴に気付かれるに決まってる」
「独創者の弟子になりたい魔術師って、そんなに沢山いるの?」
「いいや、普通は逆に、なりたがらない。俺達独創者の魔術は法則の独自性が強過ぎて、他者が受け継ぐのは不可能に近いからな。でも極々稀に、優秀な弟子が解析に成功して、一部を受け継げることがあるんだ。そうしてこれまでに無かった新奇な魔術を継承可能な形に昇華させた者を、『革命者』と呼ぶ。独創者の魔術を一部でも後世へ繋げる革命者の出現は、魔術の発展を意味する偉業に他ならない。師弟共々、歴史に名を連ねることになるだろう」
リゲルから少し離れたところに並ぶ二つの星、ポルックスとカストルが、ピカピカと一際強く輝く。
「だからクレイシオは、あんなに必死だったんだ」
「革命者となって名声を得たいが為に、独創者の弟子になりたがる大人が一定数いるのが困りものなんだ。魔術師の弟子というのは、次世代を担う子供がベストだって分かりきってるのにな。俺達独創者は極端に数が少ないから、戦時に活躍した連中ってイメージばかりが先行して、不可能すら可能に出来ると思い込まれてる。全く、夢を見過ぎだ」
後世に残る偉業を成し遂げねばならぬ。クレイシオはそう言っていた。
弟子にして欲しいと頼むにしても、大袈裟な言い回しだと思っていた。でもオズワルドの弟子になるということは、本当に偉業を遂げられる可能性を持っているのだ。クレイシオは、オズワルドに師事して革命者になることを望んでいるのか。
「魔術を次の世代に受け継いでいくのは、大事なこと?」
「まあ、そうだね。可能な限りそうあるべき、というのが世論らしい。魔術適性のある人間はどの国でも減り続けていて、我が王国でも今や全国民の十二パーセント程度だ。血筋に関係なく、生まれ持った魔力量と才能で適性が決まるから、作為的に増やせるものでもない。知識豊かで優れた魔術師程、これと決めた弟子へ技術を継承するべきだと、国も推奨し続けている」
「ルカもいつか、弟子を取るの?」
「俺か? どうだろう。戦時は強制だったけど、今はそこまでじゃないから、取らないかもな。独創者はそもそも、他の魔術師とは勝手が違い過ぎる。余程の幅広い知識でも持っていない限り、教える側に致命的に向いてない。一般的な魔術と根本から違う自分の魔術を、後世に残せるとも思ってないし。だから一代限りの特殊な魔術を持つ者らしく、自分の好きにやるだけだ。多分オズワルドも、似たような考えでいる」
さあっと、暗闇の色が薄くなる。足元も天井も、曇りの日ばかりのこの町ではあまり見かけない、澄みきった
「王都の空だ。本物は見たことがあるかい?」
「ううん。俺、ヴァレリオスの外に出たことがないんだ」
「トリアングルム・エクスプレスで二時間半だ。あいつに万が一のことがあったら、俺のところへ来るといい。いつでも弟子にしてやるよ。勿論、書類上のな」
「……? うん、ありがとう……?」
危険な魔術師同士の決闘でも、負け無しのオズワルドだ。たとえ血を流そうとも数分後には平然としている姿を、リゲルはあの日ウィザード・コロッセオで見た。あんなに強いのに、万が一のことなんてあるだろうか。
「おや。あっちの依頼人は、もうお帰りになったのか」
ルカの視線を辿って目を向ければ、スッと縦に真っ直ぐ、青空を割く切れ目が一本。幻想を切り開いて入ってきたのは、オズワルドと思わしき形をした虹色に輝くシルエットだった。
ルカがさっき見せてくれた星座に与しない幾つもの強い光、あれを全て混ぜたような眩しさだ。写真に写ったリゲルとはまるで真逆である。
「何を見せているのかと思ったら、ただの遊びじゃないか」
「懐かしい空だろ。お前は、リゲル少年に何を見せたい?」
「そうだな……。今は
パチン、と指を鳴らす音。これがオズワルドが魔術を揮う時の合図だと、リゲルもそろそろ覚えてきた。
音と同時に、空が割れる。高い所から落とした花瓶みたいに粉々になって、幻想の風景が消えた。視界に戻ってきた狭い自室。オズワルドの姿も、いつも通りに見えるようになった。
「遊びは終わりだ。急だけど、今夜ケリをつけなきゃいけない依頼が入った。俺はその準備でこれから工房に籠る。リゲル、お前は今日、外へ出るなよ」
「は? なんで、買い出しは? 昼飯用のジャガイモだって減ってきてるよ」
「駄目だ、地下倉庫に貯蔵してある小麦粉でも食ってろ。集中して完成させたいものがあるんだ、魔力を他に割けない」
「ああ、成程ね。護身用の、このヘリオスが作動しなくなるってことだな?」
首から下げたままにしている魔術具ヘリオスを、ルカがとんとん、と指で叩く。リゲルはずっしりと重いそれを両手で持って、ゆっくりと裏返してみた。裏面にある二重の目盛環は、預かった時そのまま。二つの目盛りの数値で、転送先をこの場所と定めているらしい。
「これって、オズワルドが魔力をくれなきゃ使えないの?」
「魔術具なんだから、動力が魔力なのは当たり前だ。普段からそのヘリオスと機械人形は、使う必要の無い夜間、魔力の供給を止めてるだろ?」
「へえ……? 機械人形が夜になると動かなくなるのは、そういう理由だったんだ」
「当然だ、機械人形も俺の造った魔術具だからな。魔術師が魔力を供給して使う物は、大きくても小さくても、みんな纏めて魔術具って言うんだよ」
「うわぁ……驚いた。お前、リゲル少年には優しいんだな」
「えっ……優しいって、これで?」
「だって、君に分かりやすいように説明してるじゃないか! 持たざる者とは違う世界を見ているから凡人の常識は理解しない、自らの理論を他者に説明することすら不要としている、端的に言えば他者を相手にしていない。そう保安局でも評されている、あのオズワルドがだぞ!」
「余計な話はするなって言っただろ、ルカ。今日はもう営業所を閉める。終わったならさっさと出てけ」
「はいはい」
部屋を出ていこうとする二人をベッドへ座ったまま見送ろうとしていたリゲルは、ふと、一つだけ気がかりがあることに気付く。
「ねえ、オズワルド」
「なんだよ?」
「今日って俺の薬、作れるの? 忙しいなら無くてもいいよ?」
「そういう訳には──いや、そうだな……あれを先にやってから…いつもと同じ時間に仕上がるとは、言いきれないけど……」
唇に手を当てて段取りを考え始めたオズワルドの隣で、ルカがにんまりと笑う。
「俺、今日一日スケジュール空いてるぜ。魔法薬ならお前より何倍も早く作れる。この前の借りがあるし、力を貸してやってもいい」
「……。一緒に上に来い」
わざとらしいまでに勝ち誇った顔のルカに、今にも舌打ちしそうな顔を向けてオズワルドが告げた。
二人が部屋から姿を消して直ぐに、玄関の鍵を閉める音。営業所は臨時休業だ。それから、階段を上る二人分の足音。
することが無いので、リゲルはベッドへと寝そべって『新訂版・三十五年戦争と魔術義肢の歴史』の続きを読むことにする。独創者の魔術師マグヌス・ディアマンテと愛犬リゲルの部分の、次のページからだ。
「えーと……、『戦時は魔術師の育成が、現在よりも重要視されていた。有能と見做された成人以上の魔術師は、すべからく弟子を取らねばならなかった。国からの強制であったので、単なる名目上の弟子であったり、師弟関係とは言い難い利益目当てである場合も度々あったが、後の魔術義肢発展にはこの魔術師達の繋がりがプラスとなり──』……なんだ、俺みたいな書類上の弟子って昔からいたんだ? なら、全然気にすることないや」
本当にオズワルドの弟子になりたい人がいるのを知っている分、書類上とはいえ少し気が引けていたのだ。でも前例があるならばそれ程異例でもないのだろうと、気楽に考えることにした。読んでも全く身にならなそうだと感じていたが、意外な部分が役に立ったものだ。
昼前にはルカが二階の工房から下りてきて、自作の魔法薬を得意気にリゲルに差し出した。見た目はいつもと同じだけれど、飲めばほんのり甘くて美味しい。なんと、後味まで苦くない。味の感想を伝えると、ルカは微笑んだ。
「そうか、いつものは苦いか。調合のコツを叩き込んでやったから、あいつが作る魔法薬もこれからはマシな味になるだろうよ。なあ、機械人形も止まってることだし、外に飯食いに行こうぜ。俺と一緒なら外出していいって、許可も出てる」
「いいの? 俺、いっぱい食べるよ」
「それがいいんだよ。オズワルドの奴は極甘党だから、俺とは食の好みが合わない。ならどう考えても、何でも食べるいい子の君が俺の食事に付き合うべきだろ。どうせここにある材料じゃ、作ってもニョッキかドーナツが関の山だしさ。俺はそんな炭水化物オンリーの食事は嫌だね、肉が食いたいんだよ。オズワルドにはシロップ漬けのドーナツでも持ち帰ってきてやればいい」
「うん、うん。なら、しょうがないなぁ。行くよ」
そこまで言われたら行くしかないと、リゲルは頷いて上着を羽織る。あくまでもルカの付き合いだ、目一杯食べるのはやめておこうと自戒しながらも、楽しみで頬が緩む。店に入って食事をするなんて何年ぶりだろう。肉料理は大好きだ。
と、ルカが楽しそうに、食事とは別の話題に触れた。
「そうそう。俺達は夜までここに居座るからよろしくな。今夜のあいつの仕事、面白そうだから俺も付いてくことにしたんだ」
「いいなあ。俺なんて毎日、すぐそこまで買い出しに行って帰って来るだけで退屈だよ。オズワルドとは一緒に出掛けたことも無いや」
「……そういえば、今夜は君の知ってる奴がもう一人関わってるな。見学したいなら、あいつに内緒で絶対に存在がバレない魔術をかけてやるけど。どうする?」
「……! 今夜は、どんな仕事するの?」
「ふふ。楽しい楽しい、秘密の夜のお仕事だ。飯を食いがてら詳しく話してやろう。行こうかリゲル少年」
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