魔術師オズワルド(3)

 機械人形に調理と給仕を言いつけて、まずは買い置きしてあった果物とビスケットを山のように積んでやった。次に運ばれてきたのは、ペンネとポルチーニを茹でてクリームソースを絡めたもの。それから、捏ねたパン生地の中にナッツペーストと胡桃とドライフルーツを詰めて焼いたもの。まだ食えると言うので、ジャムを添えたバゲットと茹で卵もありったけ出してやる。

 少年は遠慮が無かった。異次元にでも吸い込んでいるのかと疑う早さで、薄い腹に食べ物がどんどん納まっていく。とうとう非常用に買っておいたジャガイモの大袋までもが空になった時、オズワルドは察した。

「お前……すぐ首になるって言ったけど。解雇の理由は聞いてる?」

「さあ。いつもはっきり言われないから。俺、これでも仕事の覚えはいい方なんだよ? お使いも小さい子供の世話も、この年齢にしちゃよく出来るって、最初は重宝されるんだ。掃除だって洗濯だって、手際がいいって褒められたことがある。でも、褒められるのは最初だけ。だんだん皆よそよそしくなって、そうなったら大抵雇い主に呼ばれるんだよ。もう雇い続けるのは無理だって」

「三食付きで、金持ちの屋敷へ住み込み。そんな条件の仕事ばかりしてきたな?」

「勿論! だって兎に角、腹が減るから!」

「これだけ食べりゃ首にもなるだろうが! 燃費がクソ程悪いんだよお前は!」


 バンッ、と両手をテーブルに付いて、オズワルドは思わず立ち上がった。魔術師の突然の剣幕に少年がフォークを持ったまま縮み上がるが、だから何だというのだ。こいつが自身の身体の状態をまるで自覚していないのが悪い。


 貴族や役人は側仕えとして置く者にも、ある程度確かな身分を要求する。この街で素性の知れないこの少年を雇う裕福層といったら、蒸気機関で儲けている一部の商人だ。彼らはわりと、使用人への態度が温い。豊かな暮らしが先々まで約束されているが為に、心にも懐にも余裕があるからだ。技術の発展がめざましいお陰で王都に次ぐ豊かさを誇るこの街では、由緒正しき貴族よりも商売で成功した者の方が、より大きな屋敷を所有している事は珍しくない。

 少年の言う「雇い主はけち」が個人の所感による食事の少なさで判断されているならば、世界中の人間がけちだ。いい服を与えられている時点でおかしいと思っていた。こいつの前の雇い主は吝嗇家でも何でもない。年端もいかぬ子供を不憫に思い最大限に施し善処したのだろうが、それでも無理だったのだ。こんな常識外れの大食らいを満足させられる訳がない。

 ──普通の人間達が、こんな呪われた命食らいを八年も養って生き延びさせていただけでも、奇跡だ。


「ちょっと調べてやる、来い」

「ど、何処に?」

「二階だ。お前の血を採取して、俺の見立てを立証してやる」

「血⁈ やだよ、俺痛いの大嫌いだもん!」

「さっさとしろよ。こっちは善意でやってやるんだから」

「い、いらない! やめてよ、依頼は取り消す、もう頼まないから! ひいぃぃ⁈ やめろぉ、悪魔あぁぁ!」


 ソファにしがみつく少年を引き剥がし、肩に担いだ。見た目通りに軽い身体は大した負担にもならない。オズワルドは悠々と歩みを進め、二階へ続く螺旋階段を上っていく。


「鬼! 人でなし! 魔術師!」 


 少年は棒きれみたいな脚をばたつかせてオズワルドの腹を蹴り、右手に握ったままのフォークで背中をガツガツと刺している。あまりに暴れるので階段の中頃でバランスを崩しそうになり、アイアン子柱の手摺に左手を添えた。魔術が使えない奴ならこの高さから落ちるリスクを考えるべきだと、オズワルドは眉間に皺を寄せる。


「魔術師はその通りだろ。莫迦なの?」

「バカはどっちだよ! 痛い思いまでして決闘してる魔術師の方が、絶対頭おかしいだろ!」

「その頭がおかしい奴を訪ねてきたのはそっちだろ。やっぱり莫迦かよ」


 呆れた声で吐き捨てて、二階の工房へ入る。少年は装置と魔法道具だらけの怪しげな雰囲気に恐怖したのか、一層高い悲鳴を上げた。これ以上騒がれたら近隣の誰かに通報されかねない。オズワルドは仕方なく指を鳴らして魔術を発動させ、少年の一切の動きを封じた。これで口もきけなくなる。

 人形を扱うかのように、動かなくなった小さく細い身体を椅子に座らせた。片手で足りる小ぶりな頭を掴んで上向かせると、オズワルドは少し屈んで、見開かれたまま微動だにしない瞳孔を覗き込む。


「はぁ……嫌だなあ。これじゃ、まるきり俺が犯罪者みたいじゃないか。勘弁してくれよ全く」


 苦々しい顔で溜息をついたところで、反応はない。見えていて聞こえているのに、目の前の少年は何も出来ないのだ。


 この状態の恐ろしさを、魔術師はよく知っている。

 拘束の魔術は決闘をする上で一番に警戒すべきもの、そうでなくとも魔術師であるならば、回避する手段を複数持っていて然るべきものだ。その分、魔術師同士では容易にかけられるものではない。

 けれど対抗する魔力の無い普通の人間が相手ならば、この術をかけるのはあまりに容易い。オズワルドがその気になれば、拘束した少年をどうにでも出来る。軽く一週間はこの状態で保つことすら出来てしまう。

 無意味に犯罪めいた行いをする趣味は無いが、可能であるというだけで恐れられ、警戒される。魔術師とはそういう存在だ。


「針を刺すだけだ。この装置内にお前の血を循環させて、体内に残存している魔術の質と量を計測する。実測は時間がかかるから、今回は十分間で終わる予測式にしてやるよ」

 

 計測装置は禍々しさを感じさせない慎ましやかなものだ。家庭用の救急箱ほどの大きさで、計器と記録紙、内部へ繋がるチューブの部分を除けば、美しい真鍮の箱である。オズワルドはそれを、少年の見開いた瞳に映るように掲げて説明した。それから椅子の隣の台に置き、二本のチューブの端に新品の針をセットして、少年の袖を捲ると躊躇いもせず一思いに刺す。

 そうして少し離れた場所にある椅子を真正面へ引きずってきて、背もたれの部分に両腕を乗せて逆座りした。長い脚は行儀など何処かへ置いてきたとばかりに開かれている。


「終わったらちゃんと解放してやるから安心しろ。それからな、お前。ジョン・ドゥなんて名乗るのはもうやめておけよ。魔術師でもそうでなくても悪人はいる、そんな名乗りを続けてたら、消えても誰も探しやしない奴だって勘づかれて売られ兼ねないぞ」


 内ポケットから取り出した懐中時計を開いて、オズワルドは時間を確認する。何もしないと十分間は長い。手を焼かされた少年が動けないのをいいことに、説教を続けることに決めた。


「改めて言うまでもないが、魔術師という呼び名は一つの特性を示しているに過ぎない。医療に携わる者、政治に関わる者、詐欺師に泥棒、それを取り締まる側。魔術師の職業は一般人と同じで、千差万別だ。大事なのは状況と相手の人となりを読むこと、魔術師か否か以前に、それが一番重要だと思わないか? 囚われのジョン・ドゥ」


 問いかけるように首を傾げてみたが、聞いている少年が何を考えているか分かる筈もない。今後の為にもう少し忠告してやるかと、懐中時計のチェーンを背もたれに引っ掛けて再び口を開く。

 

「お前が記憶を失くした原因は、きっとその迂闊さにあるんだろうよ。名乗りもそうだけど、魔術師に秘密を知っているって打ち開けるのもいただけない。秘匿が多い程いざという時に有利になるから、魔術師は手の内を隠せるだけ隠しておきたいものなのさ。まあ俺の腕のことは特別隠そうとしていた訳じゃないから、今回は下手に言いふらさないなら大目に見てやるけどね。魔力で繋いで動かす魔術義肢は急速に普及し、昨今は魔術補強の為に自ら身体の部位をすげ替える魔術師も少なくない。それで皆、勝手に勘違いしているだけなんだから」


 話しながら体勢を変え、横を向いて脚を組む。反応が無い相手に話し続けるのはオズワルドも初めてで、どうにも居心地が悪い。しかし黙れば、余計に恐怖心が募るだろう。適当な話題を振ってみる。 

 

「ウィザード・コロッセオではどちらに賭けた? 当然俺だろうな、決闘じゃ負け無しなんだから。俺の師匠もよく言っていたよ。お前は魔術にかけては鬼才だから、自分以外に負ける筈がないって──おっと、少し話し過ぎたな。反応が無いと、どうも独り言みたいな気分になる」


 懐中時計を見れば、計測が終わるまでまだ五分近くある。

 オズワルドはもういいかと諦めた。元々他人に興味が湧かない性分だ、動かない者を相手にこれ以上話すのは苦行が過ぎる。

 話を聞いてやって食事を与え、秘密の多い二階の工房へ入れてまで原因の特定をしているのだ。おまけに今後の為のアドバイスまでしてやった。これで少しは、魔術師が怖いばかりではないと少年にも伝わることだろう。


 無言を決め込んで暫くすると、記録紙が止まった。測定が終わったのだ。オズワルドは立ち上がって記録紙の端を破り、上がってきた数値を確認する。


「さて……覚悟して聞けよ少年。データで見る限り、俺の推測は正しい。お前にかけられている呪いはあまりにも強い、必要以上の強さといっていい。異常な空腹の原因もこれだ。呪いの効力を維持させるのに、食い物に含まれるエナジーが大量に消費されるせいで、体の方に栄養が行き渡らない──この魔術をかけた奴の望みは、お前が誰でもない少年として餓死することなんだろうよ」 


 データから読み取れる事実を、少年に伝えた。

 数値の出方から魔術が一つや二つでなく、幾重にもかけられているのが分かる。それら全ての数値が並外れて高いが、一定を保っていない。数値に揺れがあるのは、精度に粗さがある証拠だ。この装置では魔術の種類までは特定できないものの、強い魔術師に冷静さを欠いた状況下でかけられた魔術であるのが見て取れる。


 現状やれることは、もう残されていない。幾重にも重ねがけされた層の分厚い呪いは、かけた張本人でなければ解除が不可能だ。つまり当の魔術師を生け捕りにして、無理矢理にでも言う事をきかせなくてはならない。

 無論、幾らオズワルドでも、呪いの解除なくして記憶を戻すことは無理である。


 針を抜き取り、拘束の魔術を解こうと指を合わせたところで、オズワルドは思い直してぴたりと止まる。

 指を鳴らさぬままに少年を担いで、その軽い身体を部屋備え付けの巨大装置の中に押し込んだ。


「もののついでだ。こっちも試すとしよう。お前のサイズはさっきまで入れていた大剣と同じ位だから、窮屈じゃないだろ?」


 足を伸ばして仰向けに寝かせ、瞳に手を当てて目を閉じさせる。


「人で試すのは初めてだけど、これは人体に害は無い造りだから安心していい。ただし最速の簡易分析コースで動かしても三時間かかる、そこは我慢してくれ。じゃあな」


 ダン、と重い鉄の扉を閉じた。レバーを下ろせば、いつものように装置が順調に動き始める。


「どの程度記録が取れるか楽しみだ。まさか人の身体が、魔術具と同等の数値を弾き出すとはね」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る