魔術師オズワルド(2)
ぎ、ぎぎぎぎ……
「うん? そろそろ油をささないと駄目か。何だい」
「来客デス、オズワルド様。オ客様ガ一人、下ノ階ニテ待ッテイマス」
「今日は依頼の予定は無かったと思うけど。まあ、お前が取り次いだなら怪しい奴じゃないんだろうよ。分かった、行こう」
「デハ、応接室ニゴ案内シテ、オ茶ノ用意ヲシマスネ」
ぎ、ぎぎぎぎ……
「おい、待て待て」
身の丈三メートル弱の機械人形を呼び止めて屈ませると、オズワルドは手足の関節部分にさっとグリスを足してやる。これと付き合い続けて数年、最早お互いに慣れたものである。
機械人形は、オズワルドが自ら制作した世話係だ。身の回りの雑事をやらせるには困らない程度の性能で、不便がある度に付加機能を付け加えてきた結果、今では通していい客人かどうかの判断が可能なまでに成長している。特に名前は無いが、それなりに手をかけられ大事にされている機械人形は、滑らかになった身体で扉を開けて廊下へ出ていく。
その歩みから不快な動作音が消えたのを確認したオズワルドは、部屋設えの巨大な装置へ向き直った。重厚な鉄の扉の中から分析を終えた一本の大剣を取り出すと、部屋の隅へ立て掛ける。それは先日の決闘で得た、柄頭に大層な宝石の付いた剣である。
「……出所不明の剣と聞いていたけど、思ってた程古い魔術具じゃなかったな。全く、どいつもこいつも、つまらないガラクタだ」
部屋の一角を埋めている魔術具の山を一瞥して、オズワルドは心底がっかりしたように吐き捨てる。
ここに在るのものは全て、決闘で勝利し奪った魔術具だ。向かい合う竜の意匠が
魔術具そのものを欲しているのではないのだ。オズワルドが必要なのは、魔術具に蓄えられている情報のみ。故に、本当ならば装置で調べ終えた時点で全てを返してしまいたいのに、勝負で奪い返さなくては意味が無いと頑なに拒むプライドの高い魔術師が多いので参っている。そうして行き場を無くした魔法具が、この場を埋めてしまっているのだ。
かといって、同じ魔術師と二度決闘してわざと負けてやる訳にもいかない。連勝を止めれば、魔術具の持つ情報が手に入りにくくなる。
部屋の隅にある、金色の蛇口を捻る。営業所の二階に設けたこの部屋をオズワルドは工房と呼んでいるが、ここは魔術師が魔術の下準備や研究に使う、所謂魔術拠点である。扱っている様々な魔術の痕跡を消す為にも、訪ねてきた誰かに会う為にはまず丁寧に手を洗わなければならなかった。
オズワルドは便利屋を生業としている。ただし便利屋といっても、どんな依頼も引き受ける訳ではない。魔術師の助けの要る、魔術関連の困り事のみを扱うのである。
営業所兼工房としているこの二階建の建物は、目抜き通りの裏にひっそりと建っている。少し日当たりが悪いことを除けばまあまあの一等地、町の中心にある時計塔にもほど近い。我が城は一見の客が入りにくい構えだろうに連絡も入れずによく来たものだと、オズワルドは珍しく他人に興味を抱いた。魔術師への依頼は相場も条件も曖昧な為に敷居が高いと思われがちで、電話での前相談無しに戸を叩く依頼人は数少ない。
斯くして抜かりなく慎重に常の手順で客人に会う準備をして一階へ下りていけば、来客用のソファに所在無さげに腰掛けていたのは十歳くらいに見える少年だった。
これは驚いた。依頼でもそうでなくとも、一人で来た子供の客人なんて初めてだ。
「君がアポ無しのお客さん? ふうん。やるじゃん」
揶揄うような口調で声をかけて、少年と向き合う形でソファに腰を下ろした。びくりと肩を震わせて身体を縮こませた少年が、続けて紅茶を運んできた機械人形にも同じような反応を見せる。
見開かれた瞳は青く、着ている服は貴族のものとはいかないまでも結構な上等品である。青い瞳はこの街では一般的な色で、服装もこの辺りではよく見かける裕福な家庭の子供のものだ。けれど、手入れもろくにしていないような伸ばしっぱなしのダークブラウンの髪を、無造作に後ろで一つに括っているのはいただけない。良家の子息にしては落ち着きが無いし、痩せすぎて腕なんて棒きれみたいに細いし、何ともちぐはぐな印象の少年である。
「そんなに怖がらなくていいだろ。機械人形は君を取って食ったりしない」
「あ……。その、大きいから」
「ああ、これ以上の小型化は無理なんだよね。大分機能を詰め込んで造ったから」
「造った……? これを? す、すげぇ……」
機械人形が紅茶をカップに注ぎ終えて部屋から姿を消すと、少年は幾分緊張を解いた。
これだけ怖がっているにもかかわらず、魔術師に用があると機械人形に告げたのだ。うっかり迷い込んできただけという訳でもないだろう。ならば子供がどんな依頼で来たのかと、オズワルドはひとまず話を聞いてみることにする。
「さて。知っていて訪ねてきたんだろうけど、俺は魔術師のオズワルド・ミーティア。ここは魔術に関わる依頼を受ける場だ」
「ええと……俺は、リゲル」
「フルネームは?」
「リゲル・ジョン・ドゥ」
「……はぁ? ジョン・ドゥだって? 巫山戯てんのかお前」
ジョン・ドゥは氏名不詳者の意、もしくは本名を明かしたくない場合の仮名として使われる。こいつはちゃんと名乗る気も無いのかと、オズワルドは呆れた。この調子ではろくでもない用件に違いない。
「ふ……巫山戯てない! 俺には昔の記憶が無いから、自分の名前を知らないんだ! だから、自分で付けた!」
「へえ、記憶喪失なのか。いつから?」
「八年前だよ!」
「……何だって? 八年?」
「……ッ! そうだよ! 俺は、八年前から何も分からなくて! ずっと一人で! それでも雇ってくれる人を探して何とか今までやってきたんだ! けど、もう限界だよ! 雇い主は大体けちだし、すぐクビにするし、腹は減るし!」
記憶喪失なんて、まずは病院の案件だろうにと斜に構えていたオズワルドも、これでは真剣に少年の話を聞かざるを得なくなった。
堰を切ったように身の上を訴え始めたこの子供が見た目通りの年齢ならば、八年前は物心つく前の幼児だ。その場合「昔の記憶が無い」なんて言い方はしない。まして、はっきりと八年前より以前の記憶が無いと断言出来る筈もない。
つまりは、この少年は。
「……お前もしかしてこの八年、成長してないの?」
「多分それもある。でも、でもさあ! 記憶が無い方が大問題なんだよ! いい加減思い出したいんだ、腹いっぱい食わせてくれる親がいるのかだけでも!」
腹が減ることが兎にも角にも大問題なのだと示すように、ぐう、と少年の腹が鳴る。魔術師の客観的な見解はさておき、当人の日々の生活の中では確かに空腹は切実な問題だろう。肉付きの悪い体つきから察するに、これまでの雇い主は余程食わせていなかったのか。
「じゃあ、俺の見立てを言ってやるよ。お前の身体が成長しないのは十中八九、魔術によるもの。これは呪いと言っても過言じゃない、強力な類のやつだ。重ねて忘却の魔術がかけられているとなれば、どう推察しても穏やかな話じゃない。八年前に何をやらかしたのか知らないが、思い出さない方が身の為かもな」
「……えっ。ええ⁈」
「どちらも相当やばい魔術師じゃないと扱えない魔術だ。お前はさ、そういうのを相手にする覚悟があるわけ? 依頼するにしても、良く考えてから出直して来るんだね」
オズワルドは徐に席を立つ。話を切り上げられたのだと思った少年が、慌ててその背中を引き止めてくる。気に入っているダブルのロングジャケットの腰の辺りを引っ張られて、反射的に眉をひそめた。
「待ってよ! 俺、今日仕事をクビになって、もう行く当てが無いんだ! あんたならそのやばい魔術師だってやっつけられるんだろ? 生身の体のまんまであんなに強いんだから!」
「……? お前、どうしてそれを知ってる」
「どうしてって、クレイシオとの決闘を見たからだよ。だからここに来た。強い魔術師のあんたなら、俺の記憶を取り戻せるんじゃないかって」
「俺が何をして勝ったのか、まさか見ていて分かったなんて言うんじゃないだろうな」
「そんなの、魔術師でもない俺が知る訳ないだろ。でもオズワルドが凄いのは分かるよ」
「魔術の知識は無い、特別目がいい訳でもないのか。じゃあなんで、俺の左腕が生身のものだと? 誰もが、決闘相手のクレイシオだって、これを魔術義肢だと思い込んでるのに」
はたと纏わり付くのをやめて固まった少年が、きょとんとした顔でオズワルドの左腕を見た。決闘の時と同じように、歯車や部品で覆われている。先入観から誰もが魔術師用の義腕だと見まごうであろう、機械だらけの腕。
「……? 聞かれたって分かんないよ。俺、記憶喪失だから」
「何故だか分からないが知っていたとしか、説明できないってこと?」
「うん……? そういえばあの時、オズワルドを見たのは初めてなのに、何だか変な感じだなって思ったんだ。ほんとに、ほんの少しだけど、もしかして知り合いだったのかもって」
「残念だけど、俺はお前の顔に覚えは無いし、リゲルって人間には心当たりが無い」
「それは、別にいい。ほんの少しって言っただろ、何となく、そんな気がしただけだから。本気で俺を知ってるかもって期待して、会いに来た訳じゃないよ」
「……ふぅん。他に何か隠し事してないだろうな。何処かの魔術師に頼まれて、金欲しさに俺を探りに来たとか」
「そんな危ない事しないよ! 魔術師同士のいざこざになんて、絶対に関わるもんか!」
「賢明な判断だ。なら、俺の腕の件も下手に言いふらすような真似はしないな? 口止め料として一度の飯くらいは施してやるよ。そこで待ってろ」
「……やった! ありがとう、大魔術師オズワルド様!」
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