Oswald―オズワルド―
リオン
Ⅰ 魔術師オズワルド
魔術師オズワルド(1)
低く垂れ込めた雲の隙間から、一筋の淡い陽光が洩れている。僅かばかりの温かみのある光は、ゆるりと空を行く
魔術師達の決闘場「ウィザード・コロッセオ」は、高層建築物がひしめく街の中心から僅かに外れた場所にあった。二重に結界の張られたそこがまさに今、不穏な地響きを周囲に轟かせたところである。
「は……! 勝負あったなオズワルド! 若輩の魔術師に慢心は付きものよ、今日のところは、その機械の腕一本で勘弁してやろう!」
魔術決闘で優位に立った壮年の大男が勝ちを宣言し、妖しく光る宝石を埋めた大剣を、仰々しく掲げてみせた。男は隻眼で、少なくとも逞しい体の三割は機械仕掛けであるようだ。常人ならば有り得ないその奇異な見目も、魔力で義肢を巧みに操れる魔術師にあっては珍しくない。
いよいよ決着の時と、結界に守られている観客席がわっと湧く。特に壮年の魔術師に賭けている男達は興奮状態になり、勝利の瞬間を見逃すまいと前のめりになる。決闘中の魔術師と客とを隔てる結界は、音は通すが物理的な衝撃は通さない。コロッセオ内でどんなに魔術が荒ぶろうとも、それを囲む客と街の安全は確保されていた。
「坊主、見えるか。魔術師同士の勝負ってのはな、相手の魔術具か、身体の一部を獲ることで決着させるんだ」
続々と立ち上がって騒ぎ始めた観客達の中で、先程からリゲルの存在を何かと気にかけていた隣席の男が耳打ちしてくる。ウィザード・コロッセオは賭け事のメッカである。おまけに魔術師の決闘は最悪相手を殺してしまっても合法なので、本来ならばリゲルのような子供が観客席にいるのは場違いも甚だしいのだろう。
実際のところリゲルは自分の年齢を知らないので、「子供」であるという確信は持てない。だが、鏡で見慣れた発育不全気味の体つきとあどけない顔立ちは十歳前後のものと思えるので、周りから子供として扱われるのは妥当なものである。
「俺はオズワルドに賭けてるんだ。あいつは自分から申し込んだ決闘しかしない玉無しだが、戦歴だけで判断すりゃあ負け無しだからな。お前さんは、どっちに賭けた?」
聞かれて、ポケットの中から券の束を取り出し確認する。リゲルが買ったそれには全て『クレイシオ・ヴァレッド』という名が印字されていた。先程の勝利宣言の台詞から察するに、現在有利にある壮年の魔術師の名前だろう。雇い主の代理で来ているリゲルは、これまで魔術師の勝敗に特別な興味も持たずにぼんやりと観戦していたのだ。
「なんだ、クレイシオの方じゃねぇか。それも随分な額を張ってやがる。お前さん、ちゃんと分かってんのかい? それがもうすぐ全部、勝ち券になりそうなんだぞ」
初老の男の顔つきが怪訝なものに変化する。男はリゲルが座ったまま現状に盛り上がりもしないので、勝敗の決め方を知らない無知な子供か、負けそうなオズワルドの方に賭けた同志と思い込んで話しかけてきたのだろう。けれども賭けた方の魔術師が勝ちそうだと教えても、リゲルはコクリと一つ頷くだけで、相変わらず反応が薄い。これは知恵の足りない者かもしれぬと思ったのか、男は腫れ物にでも触れるような目付きだけを残して、隣から離れていった。
全てはあちらの勝手な誤解であるが、リゲルはそれでいいと思った。他人にどう思われようと興味はない。ただ、このお使いを終えたら雇い主から与えられるであろう、食事だけが楽しみだった。それがどんなに足りないものであっても、辛い空腹から逃れるたった一つの手段であることには変わりない。
今の雇い主は裕福層のわりにけちで、自分のような小間使いが仕事をどんなに頑張っても、腹いっぱいになる食事をくれたためしがない。
だが、特に理由もなく服を与えてくれたりする、気分屋なところもある。クレイシオが勝つのならば、案外簡単に機嫌を良くして、いつもより量の多い食事を振舞ってくれるかもしれない。
ならばこのまま、何事もなくクレイシオが勝利して、決闘が終わってくれればいい。俺は一刻も早く、一口でも多いパンが欲しいんだ。
リゲルは空腹に鳴く薄い腹を抑えながら、立ち上がっている人々の隙間から見えたオズワルドの様子を確認する。
常人が受ければ即死であろう魔術攻撃を受けたオズワルドは、大量に吐血して服を赤く染めていた。苦しげに肩で息をしているのが、遠目にもはっきりと分かる。背は高いが、線の細い男だ。あれでよく膝も付かないで持ち堪えていられるものだと不思議に思った。
顎下の長さでぱつりと切り揃えられた髪が印象的な、青年の魔術師である。昨今は杖を用いないタイプの魔術師が多いのに、オズワルドは古風な魔術杖を右手に握っていた。左腕には肩から手の甲にかけて剥き出しの部品が多数並んでいる、あれが魔術師用の義腕の一部であるならば、最先端のすっきりとしたものには程遠い。
古いものが新しいものの性能を超えられないのは、蒸気機関の発展を鑑みても明らかだ。あの装備でクレイシオより強い筈がない。
リゲルは、魔術師として生まれなくて良かったと心から思った。今よりいい暮らしが出来るとしても、あんな風に服一面を赤い血で汚してはおしまいである。そもそも決闘と称して軽々しく命を賭ける魔術師なんてものは、頭がおかしいに決まっているのだ。まともな人間ならば、痛いのも死ぬのも怖がるものなのだから。
敗勢のオズワルドはクレイシオに向けて、何か話しているようだった。クレイシオは、気は抜かぬままに翳した大剣を宙で止めて、話に応じてやっている。
二人の会話は、騒ぎ立てている最中の観客の耳には届かない。やっちまえ、クレイシオ。そんな腰抜け魔術師に用はねぇ、首を跳ねちまえ。一部の輩から過激な発言が飛び出す。それに反応して客席をギロリと睨みつけたのは鋭いひとつ目、オズワルドではなくクレイシオの隻眼だった。
その刹那、決闘は突然の決着を迎える。
頭のゴーグルに触れたオズワルドが、次の瞬間一気に間を詰めて、宝石の嵌め込まれた大剣を奪ったのだ。
攻撃らしきものは見えなかった。自身に回復魔法を使った様子もなかった。なのにクレイシオの逞しい体はどさりと倒れ、先程までのオズワルドと立場を代わるようにゴボリと吐血している。想定外の勝敗逆転は、魔術の知識がない者には到底理解の及ばぬものだ。それでも魔術具を奪われることは、決闘に於いて絶対的に負けを意味する。正当なルールに則り、決着は着いた。決闘終了を告げる鐘が、ウィザード・コロッセオに鳴り響く。
クレイシオの剣を手中に納めたオズワルドは、もう微塵も苦しげな様子ではない。駆け寄ってきた魔術師治癒班への説明義務を淡々と果たし、自身の体は問題ないとばかりに首を横に振る。治療班はすぐさま倒れているクレイシオの巨躯を魔術で浮かせ、軽々と回収していく。
場に一人残されたオズワルドは、戦利品となったクレイシオの大剣を品定めするかのようにじっと眺めていた。不意に性能を試したくなったのか、闘技の場を囲んでいる結界へ向けて軽く構えると、魔術による一撃を放つ。偶然か、意図があってのものか知らないが、攻撃の矛先はオズワルドの首を跳ねろと野次を飛ばしていた男の真正面だった。結界が無ければ無事では済まなかった男が、さっと顔を青くする。
勝利した後、観客に向けて勝利の決め手となった魔術を解説してくれる魔術師は案外多い。勝利者には賭けられた総額から算出した金額が渡るので、人気取りをしておいた方が儲かるからだ。
けれどもオズワルドは、観客に目もくれない。彼の興味は、手に入れた大剣にのみ向いているらしい。試した結果に首を傾げて一考する素振りを見せただけで、そのままスタスタとウィザード・コロッセオを去っていった。
「何だ今の勝ち方は。どうなってるんだ」
「知るか。だからあいつは好かないんだ、コロッセオの客を盛り上げようって気が更々ねえ!」
「あの野郎は本業の便利屋で稼ぎたいんだろ。この賭け事が許可されてるおかげで、魔術師は決闘で強けりゃ大儲け出来るってのにな」
好き勝手なオズワルドへの文句が飛び交う人の流れに乗って、リゲルもコロッセオの外へ出た。雇い主が賭けたクレイシオが負けたので、換金所へ寄る手間は無い。ならば空腹を満たす食事にありつく為に、早足で屋敷へ戻るだけだ。
ちょっと残念だな、どうして勝っちゃうんだよオズワルド。
途中までは全然強そうに見えなかったのに。
けれどあいつは、魔術にかけては鬼才なのだから負ける筈もない。あの左腕はギミックを詰め込んだよくある魔術義腕ではなく、古い魔術を応用した複雑な──
「……っ?」
ぽつりと、冷たい雨粒が頬に当たって我に返る。
何だろう、今のは。
お使いで何度か来るうちに決闘のルールは覚えてしまったけれど、魔術師になんて興味が無いし、魔術の知識も全然無い筈なのに。
「魔術師……オズワルド・ミーティア……」
ああ、駄目だ。考えると頭がくらくらする。きっと空腹が限界なのだ。
こんなところで立ち止まっている場合じゃない。雨も降り始めたことだし、早く、早く屋敷へ帰らなければ。
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