眠れない科学者

 カリカリ、と机上に散らばる紙にペンを走らせながら、大口を開けて体に空気を取り入れる。ふぁっと間抜けな声が口からこぼれ視界もぼんやりとにじむが、頭の中に突如として浮かんできた新兵器案について忘れる前に書き出すべく、ひたすらに手を動かし続けた。


 カリカリ、ガリガリ


 ペンを走らせる音だけが静かな室内にこだまする。


「ここは、こうよりも……」


 書いた文字、数列をシュッと2重線でかき消す。書いては消して、書いては消して。そんな非生産的な行動を何度も何度も繰り返す。化学はそうやって日々進化していくんだ、仕方ない。


 カリカリ、ガリガリ


「……なんか、違うな」


 ぐしゃぐしゃ、ポイ


 頭が痛くなるほど字や数字がぎっしりと羅列する紙を乱雑に丸めると、後ろの方へと放り投げる。カサリ、と音を立てて着地したのを耳だけで確認すると、再びペンを握り直して机上に新しい紙を広げた。


 カリカリ、ガリガリ


 この作業を始めてから何時間過ぎただろう。気が付くといつのまにか日が変わっており、さらに数時間が経過していたが、眠気が襲ってくることはなく、むしろ過去1番に目がさえている。


「ここを、こうして……と。しゃっ、できた!」


 暗号ともとれるような、ぐちゃぐちゃに線の立ち並ぶ紙を両手で掲げ持つ。と同時に、雄叫びに近いような声を上げて新兵器開発図案の完成を1人喜んだ。

 ちなみに腕を掲げた時、肩や首元からバキバキッと嫌な音が鳴り思わずうめいたが、先ほどチラリと見た時計から机に向かい合っていた時間を察するに、まぁ妥当そうだなと納得した。


「できたはいいが、これコスト結構かかるな」


 出来上がった手書きの資料を、隅から隅まで再度目を通してそうこぼした。うちの財政状況を考えるとこれはしばらくお蔵入りだな、なんて考えながら辺りに散らばっている紙片を片づけていく。もちろん、ごみ箱に捨てる為に席を立つのが面倒だからと、後ろに放り投げていた没案の山もしっかり片づけたのは言うまでもない。







「あ――……やぁっと片付いた」


 腰に両手を付き長く思いため息を吐いた。そんな俺の周りには、俺を囲うようにしてパンパンに膨れ上がったゴミ袋が3つ転がっている。

 武器の開発や新薬の研究は3度のメシよりも好きだが、その後に待ち構えている後片付けほど面倒なことはない。毎度のことではあるが慣れないし、本当に面倒だ。

 そろそろ助手とか欲しいなぁ、そう思いながらぐっと両手を上に伸ばすと今度は腰から嫌な音がした。思わず、うぐっと鈍いうめき声をあげる。


「いって~……。体中がバキバキだなぁ」


 歳か? 歳のせいなのか? と腰をさすりながら戦々恐々と呟く。

 確かに軍の幹部連中の中では最年長だが、それでも俺だってまだ20代だ。体にガタが来るにしては早すぎやしないだろうか。


「ま、いっか。湿布張って一晩寝ればなんとかなるだろう」


 ごみを焼却炉へ捨てた後、一服してから医務室へ湿布を取りに向かおう。そう予定を立てながら、破れんばかりに膨張している袋を3つ両手に持つ。

 塵も積もれば山となる、とは故郷にある『ことわざ』だがよく言ったものだ。山を実際に持ったことがある訳でもないが、両手にかかる重量は確かに紙の重さではなかった。現によいしょと言う掛け声とともに持ち上げた腕は、悲鳴を上げている。しかしこんな時間にこんなくだらないことで人を呼ぶわけにもいかず、綺麗になった研究室に満足しながら、1人で焼却炉へと向かった。







「台車使えばよかったか」


 腕にかかるずっしりとした重みにため息をつく。いろいろと危険物を取り扱うことの多い薬理研究室は、隠し扉に閉ざされた地下に位置している。焼却炉があるのは、その隠し扉から遠く離れた城塞北西の端。歩くたびにガサガサと喚く袋にげんなりしながらも、静かな石廊下を一人歩いた。

 日中であれば幹部たちがあわただしく走り回ったり、一般兵が訓練に精を出したりとずいぶん賑やかなのだが、今はもう明け方の3時だ。こんな時間に起きている奴と言えば仕事人のカイと、警戒心たっぷりの野生動物のようなロドルフくらいだろう。

 そういえばハリマンもといハリーが嘆いていたな。「カイもロドルフも、自分の身なんて顧みずに仕事、仕事、仕事! きっとそのうちアルメンの人たちみたいに過労死しちゃうよ~」と。心優しい我らが軍医こと医務室の天使は、いつでもあの2人に悩まされている。たまには俺のことで頭をいっぱいにしてくれてもいいのにな、なんて。こんなこと口にしたら、きっとハリーはリンゴみたいな顔をしてそっぽを向くだろうけど……そういうとこが可愛いんだよなぁ。

「もう、ウィルのバカ!」と生娘でもしないような上ずった声と火照った顔をして、ポカポカと力のこもってない握り拳で俺を叩くハリーを想像する。


 これは、イイな。


 ふ、と1人で笑っていると、いつの間にか炉の目の前までたどり着いていた。やはり好きなことというのは時間を忘れさせてくれる。

 やっぱりハリーを手にしたいな、と邪なことに考えを巡らせながら、ポイポイっとゴミを炉に投げ入れた。途端にゴォっと激しく炎が吠え、パチパチと赤い火花が舞う。


「あちっ」


 踊る火の粉に魅入られて思わず近寄ると、チリッと毛先を焼かれ慌てて数歩あとずさった。実を言うとここ数日の間うまく寝付けていない。そのせいだろう。大口を開けている炉に不用心にも歩み寄ったのは。


「昔は3徹くらいなんてことなかったのになぁ」


 ぎぃと不満そうにうめく扉を無視して炉に蓋をする。今日は嫌になるほど歳を実感する日だ。なんとなく重苦しい気分になったが、それごと一緒に吐き出してしまおうと、ゆるく背を丸めて喫煙所の方へ、とぼとぼ歩を進めた。






 ガラス張りの小屋にたどり着くと、取っ手を引いてその中へ体を滑り込ませる。驚くべきことにトップである総統を含め幹部連中には、俺以外に喫煙者がいない。一般兵にはちらほら見当たるというのに一体どうしたことか。おかげ様で「副流煙ダメ絶対!」という我らが天使のスローガンのもと、数少ないスモーカーたちは城塞内に限ってだが、このガラスの箱以外の場所で煙をふかすことは禁止されている。

 まぁ愛しのハリーの言うことだからもちろん遵守しているのだが。


「ふぅ――……」


 肺一杯に吸い込んだ空気をゆっくりと吐き出す。ここ数日の疲労や鬱憤さえも晴らすように、煙の中に織り交ぜながら。

 日のある時間帯ならば一般兵たちと他愛もない話題で盛り上がるのだが、あいにくと今の空の支配者は月だ。声もなくひたすら1人で煙をゆらゆらと遊ばせる。口から息を吐きだすたび視界に靄がかかり、煌々と輝く月さえも遮った。


「月、か」


 紫煙に見え隠れする夜の王を見てポツリと呟く。


 月を見てまず思い浮かべたのは、殺戮兵器や血に飢えた狼と他国から恐れられている実働じつどう部隊隊長の顔だ。アイツは夜がよく似合うし、本人もそこに身を潜めることを得意とし、あの暗がりを好んでいる。そこで静かに殺意を光らせる様はさながら夜空に照る月。太陽には決してない恐怖と狂気がその瞳にはある。古来より人を惑わせるとされている月、そこにある魔性のナニカをロドルフもその身に宿しているのだ。


 次に思い浮かべたのは、月の落とし子かと見間違うほど柔らかく滑らかな金糸の髪をなびかせる俺たちのトップ。ロドルフと同じく、しかし彼よりも明度の高い黄金色の瞳を持つジークフリートは、けれどもロドルフほど不穏なものをその瞳には飼っていない。言うなればロドルフが月の影を、ジークフリートが月の光を、それぞれが背負っているような感じだ。あとは、ふっとした時に消えてしまいそうに見えるあの儚さなどもまさしく月である。

 ついこの間の暗殺未遂事件もそうだった。俺たちの知らぬ間に襲撃されていたかと思えば、気づいた時には虫の息。ハリーがいなければおそらく、あのまま亡くなっていただろう。今思い返しただけでもぞっとする。生気のない蒼白い顔、常よりも低くなった体温、体に繋がれた管。

 それから、人の形を留めることなく千々に散った襲撃者の命。


「キレイなんだがなぁ、月」


 月はやはり人を狂わせる。ジークフリートもロドルフとは違うモノをその身に飼っているのだ。ロドルフは自身が狂気を体現しているのに対し、ジークフリートはその身の内にあるカリスマ性などで人を狂わせる。


 つまりどういうことか。


 この国の幹部及び軍に所属する一般兵は彼に、ジークフリートに傾倒してしまっているのだ。恐ろしいくらい純粋に、真っ直ぐに。彼が傷つけられると我を忘れて獲物を振るうくらいには。


「末恐ろしいもんだよ、月ってのは」


 なぁお前さん、と紫煙の向こうからこちらを覗く王様にぼやく。もちろん返事が帰って来る事がないなど分かり切っていたことだが、こうでも言っていないとやり切れない。半分ほどになったタバコを咥え直すと、ぽつりぽつりと独り言をこぼしながら、甘い香りの煙を纏った。






 カツリカツリと石廊下を歩く。

 本当はタバコの臭いを落としてから医務室へ向かおうと思っていたのだが、喫煙所の外を駆ける風の冷たさに負け、結局そそくさと城塞内へと足を向けてしまった。自室に臭い消しを取りに行こうかとも思ったが、それを思いついた時にはもう医務棟は目と鼻の先だったのだ。清潔を保つここにこんな状態で踏み込むのは少し腰が引けたが、すまんハリマン、と心の中で謝りを入れながら医務棟のエリアに入り込んだ。

 次いで向かったのは『医務室』というプレートの提げられている扉。両開きの扉をそっと押してその中へと足を踏み入れる。消毒液と愛しいハリマンの香りに包まれ、ホクホクしながら診察机付近の設置されている棚をあさる。ガーゼに包帯、ピンセットに注射器。ここにあるはずなのになぁ、と見当違いなものばかり目につく棚を家探しよろしくかき回す。


「あっれ、おかしいなぁ」


 がさごそ、がさごそ

 

 消毒液に痛み止め、止血帯にビニール手袋。いくら探せどお目当ての湿布は見当たらない。


「……ないな」


 荒らした棚の中を元通りに整頓しながら呟く。いつもなら分かりやすいところに数枚重ねて置いてあるというのに。悲鳴を上げる首回りや腰に手を当てて途方に暮れた。


「明日、いやもう今日だな。朝一でハリマンに頼むか」


 結局そう諦めた俺はトボトボと医務室を後にした。部屋を出る直前、入り口に掛けられている白衣がまたおいでとでも言うようにゆらゆら揺れた気がする。


 ダメだな、さっさと寝よう。






 扉を引いてふらりと廊下へ歩み出る。今更になって睡魔が襲いかかってきたのか、ふぁと間抜けな声が口端からこぼれ落ちる。医務室内で時計を確認した時、確かもう明け方の4時前だったはず。眠くなるのも無理はないよな、と目を瞬かせながら自室へ向かおうとした。が、奥の方へと続く廊下、病室が立ち並ぶ廊下に光が漏れ出ていることに気づき、そちらに足を向けた。


 カツリカツリ

 

 静かな廊下に俺の足音だけが響く。1号室、2号室と過ぎて光が漏れ出ている病室、5号室へとたどり着いくと、そこで足を止め扉に手をかけた。


 ガチャリ、ぎぃ


「なにしてんだ、フォルカー」


 その病室にいたのは、ベッドの上で上体を起こし、右手を不自然な形で空中にとどめている赤眼鏡ことフォルカーだった。


「お、はよ~」

「いや、まだ夜なんだが?」

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