病室で


 目の前でこちらをジトリと睨みつけている男から逃げるように視線を泳がせる。蛇に睨まれた蛙っていうのはこんな気分なんだろうなぁ。

 つぅと冷たい汗が背を滑り落ちる。


「いや~、ね? ほら、あのぅ……」


 言い訳を並べるために口をもごもごと動かす。しかしこれといっていい言葉も思い浮かばず、無意味な言葉が零れ落ちるばかりだった。


「というか、どうしてバレたの?」


 もういっそ、そう思い開き直って気になっていたことを尋ねる。

 だって寝具の上に仕事道具をばら撒いている訳でも、サイドテーブルに書類を広げている訳でもなく、足音が聞こえた瞬間にすべて布団の中にうまく隠したはずなのに。

 どうして? と首をかしげてみせると、こちらを見る月のような瞳がもう一段階冷えた気がする。

 ひぇっ。


「ハリーならこれで騙せたかもしれないけど。俺は耳がいいから」


 トントン、と自身の片耳を軽く叩きながら答えをくれたロルフ。耳がいい、ということはつまり……。


「焦って咄嗟に隠したけど、意味なかったってことかぁ」

「そういうこと」


 おそらくロルフにはすべて聞こえていたのだ。倒れる直前に手に入れた情報をまとめるため手帳にペンを走らせていた音も。起きていたことを隠すために慌てて布団を被り直した音も。

 常人では決して聞き取れないような音を彼は察知していたというのだ。彼の五感が並外れて優れたものであるといことはもう周知の事だが、それでもその事実を突きつけられると、そうだと知っていても驚く。


「くそ~、ハリーならなんとかなってたろうに」

「……報復のためとはいえ、無茶して体壊したら元も子もないよ」




「え」




 咎めるように言ったロルフの言葉に開いた口が塞がらない。


 なぜ、ロルフがソレを知っている? 誰にも言っていないはずなのに。


「隠密行動は俺の得意分野。ルカがあの国と一緒に、寝る時間を削ってこの間の刺客について調べていることくらいバレバレ」


 バレないようにちゃんと気を付けていたのに、本当にかなわないなぁロルフには。

 周辺国がこぞって恐怖するほどの一騎当千の戦闘力、電子機器も難なく操れ情報戦でも非の打ちどころのない成果を上げ、そのうえ頭もキレるだなんて。


 本当に。


 ヘラリと笑顔を貼り付ける。

 胸中を渦巻く醜い感情を覆い隠すように。


「バレてたのかぁ。他にも知っている人はいる?」


 僕は、ちゃんと笑えているだろうか。こちらの心を見透かすようにじっとこちらを見る金の双眸から逃げるように瞳を弓なりにする。

 できるかぎり眉尻を下げて、口の端はきゅっと吊り上げて三日月に。


「ミロスは多分気づいてる。他は大丈夫だと思うけど」

「あぁ~、ミロス!」


 ロルフが出した名前を反復する。ミロスとは、紅茶と甘味をこよなく愛する物腰の柔らかな好青年、というのがこの軍に所属する一般兵たちの共通認識だ。

 だが、彼をよく知る僕からすれば好青年という言葉には納得がいかないし、なんなら似合わなさ過ぎて寒気すら感じる。

 僕から見た彼はこうだ。甘味狂いの腹黒毒舌外交官長。むしろ幹部間でのミロスの認識は揃ってこうである。一般兵は彼の外面にまんまと騙されているのだ。

 ミロスは国同士の架け橋である外交官を担っているためか、はたまた元からの質かは分からないが、自分の感情を隠し、そして他人を見抜くことに長けている。今回の僕のことも、持ち前の対人情報収集スキルと観察眼で気づいたのだろう。

 全く、この軍は優秀な人間が多くて困る。隠し事すら満足にできないなんて。







「犯人見つけたらどうするの」


 なんてことない愚痴を頭の中でぐるぐる呟いていると、ふいにロルフがそう尋ねてきた。


「どうってそりゃあ」


 ね? とニッコリ笑って見せる。

 その続きは口にしなくともこの軍の人間なら、ロルフなら分かるだろう、と。だってジークを、僕らの主を傷つけたのだ。それ相応のお礼を用意してあげないと失礼でしょ? 


「そう」


 何をどうするか明言はしなかったのだが、さすがロルフ。合点のいった顔をしているという事は、これから僕がやろうとしている事もしっかり理解してくれたのだろう。察しが良くて助かるなぁ。


「もし犯人見つけたら俺にも教えて。手伝う」

「え?」

「多分、単独犯じゃなくて組織ぐるみ。ルカが強いのは分かってる。でも心配だから、俺にも手伝わせて」


 先王を処断し、ジークが長となってやっと一年。必要最低限の業務連絡でしかコミュニケーションを取ろうとしなかったロルフが、殺戮人形として幼いころから先王や国王兵に弄ばれ酷い人間不信に陥っていたあのロルフが、まさかこんなことを言ってくれるなんて。

 じんわりと胸のあたりが温かくなる。


「ロルフ~!」


 思わずベッドサイドで突っ立っているロルフの腰に抱き着いた。

結構勢いよく抱き着いたのに、びくともしないのにはちょっと悔しかったり。

 でも彼は前線を駆けまわる武官で僕は情報戦を得意とする文官。

 仕方ないよね。



 「ルカの手伝いをしたい」と言ったとたん、ルカは大きく目を見開くと不思議な表情を浮かべた。かと思えば急に抱き着いてきた。「ロルフ~!」と俺の名を叫びながら。


「声大きい、ルカ」


 お腹にぐりぐりと頭を押し付けてくるルカに軽くチョップを入れながら咎める。もう明け方なんだし隣の部屋には休んでいる病人もいるのだから。「いて」と間抜けな声を上げた後、満足したのかふわりと腕をほどいてルカは俺の腹から離れて行った。


「なに、急に」


 さっき自分が口にしたセリフに、今更ながら恥ずかしさがこみ上げちょっとぶっきらぼうに尋ねる。

 心配だから、か……。久しぶりだな、こんな感覚は。


「んふ。いやぁ、なんていうか嬉しいなって」

「何が?」

「なんでもないよ」


 まただ。

 急に笑い始めたかと思えば「なんでもない」。今日はそれが流行っているのだろうか。


「ジークにもそれ言われた。みんなして何なの」

「ジークも?」


 こくりと頷く。それを見たルカは一瞬、不思議そうに首をかしげていたが、やがて思い当たることがあったのかポンッと一つ手をたたくとまたあの顔をした。見ているとこっちがぽかぽかするような顔。先王兵時代には向けられたことのない、温かい表情。


「きっとね、ジークも嬉しかったんだよ」

「嬉しかった?」


 何が嬉しかったのだろうか。会話を思い返してみるも分からない。俺が兵として使える駒だから嬉しかったのだろうか?


「何のことか分からないって顔してるね、ロルフ」


 おいで、と言いながらルカはベッドの淵をぽふぽふと叩いた。誘われるままルカの隣に腰かける。と同時に頭の上に柔らかい重みが加わった。


「え、ぁ」


 ぽかぽか、ぽかぽか。頭の上に乗せられているルカの手から彼の温度がじんわりと伝ってくる。


 ……あったかい。



 ピシッと石のように固まり、されるがままに頭を撫でられているロルフを見ながら懐かしむようにちょっと目を細める。思い出すのは初めてロルフにあった日の事と、革命軍で再会した時の事。

 僕の父は、先王という蜜に群がるハエのような汚い貴族の男だった。だから幸か不幸か、僕自身も小さいころから王城に出入りする機会が少なくはなかったのだ。






 確か十二歳のころだっただろうか、あの日もいつものように父に連れられて王城に向かった。そして城の廊下を歩きながらぼうっとしていると、眼前にキラリとナイフが突然現れた。あ、死ぬなと迫りくる凶器を眺めながら、諦めつつも呆然とそれを受け入れていたのをよく覚えている。多分、僕はそうなるしか仕方のない存在だと本気で思っていたから。

 痛いのは嫌なんだけどなぁ、父の焦ったような大声が耳に響いてうるさいなと思いながらも目を閉じたが、痛みは一向にやってくることはなく。ただキンッという鋭い音と、重たい何かがドサリ地面に落ちるような音が聞こえて、はたと目を開けた。

 気が付くと、目の前にはボサついた髪に濁った瞳をした、同い年ぐらいの少年が佇んでいた。頭からしとどと紅い雫を滴らせて、地面に横たわる真っ赤な人をじっと見つめながら。


「フォルカー、フォルカー!」


 父が僕の名を叫び、走り寄ってきて抱きしめる。肉厚な腕でぎゅうぎゅうと僕を潰すアイツは、まくしたてるように何事かを耳元で喚いていたが、僕はそんなことを気にも留めず、血濡れのヒーローをずっと見つめていた。


 だって……だって、初めてだったのだ。


 あんなにも美しいアカを見たのは。

 あんなにも綺麗にナイフを振るう人を見たのは。


 あんな風に、僕を守ってくれたのは。


 だから忘れられなかった。日にかげる灰色の髪も、ちょっとくすんだ金色の瞳も。

 これがロルフと僕が初めてあった日。とはいっても、きっとロルフは覚えていないだろうけど。それからというもの王城に来るたびに僕はあのヒーローを探した。もちろん、二度と目にする機会は訪れなかったのだけれど。


 次に彼と再会したのは革命を起こす一か月前、革命軍の面子が続々と集結し、いよいよ革命へのカウントダウンも秒読みになった頃だった。革命軍が基地と称し使用していたバーの地下に、彼はジークに手を引かれて姿を現した。


「国王陛下直属部隊隊員、ロドルフ」


 フードを目深に被りそう言った青年は顔こそ見えなかったが、隙間から覗く瞳と髪色で彼だと気づいた。あぁ、あの時のヒーローだって。けどあの日の少年よりも見るからに彼は擦り減り、人としての何かが損なわれているように感じた。あの日の少年はわずかながらも瞳に光を、景色を映していた。けれどこの時に再会した青年は、まるで人形のようだった。

 正直ぞっとした。何があれば人はこんな風になってしまうのだろうか、と。しかし、それと同時に抑えようのない怒りも覚えた。僕のヒーローをこんな風にしたのはあの王達だと、直感にも似た何かでそう悟ってしまったから。そうやって彼との再会は人知れず過ぎて行った。







「ジークやみんなに会った日の事なら覚えてる」


 過去に浸り思考を飛ばしていると、ポツリとロルフが呟いた。相変わらず僕の右手は彼の上でゆるく左右に行き来している。


「僕も、覚えているよ」


 忘れる訳がない、忘れられるはずがない。震えるような歓喜も、吠えたくなるような怒りも、自分の感情に呑まれて暴れそうになるのを必死に押さえつけるような経験は、後にも先にもこの日だけだった。


 それを忘れるだなんて、あり得ない。

 僕のヒーローを忘れるなんて、絶対にない。


「あの日、ジークに手を引かれてやってきたロルフを見た時、僕はね、悲しかったんだ。ロルフがあんまりにも暗い瞳をしていたから」

「くらい目?」

「うん。暗い、暗い瞳」


 目の前に立ち並んでいる革命軍のことさえも移さない、どんよりと淀んだ瞳。僕も「お前の目のハイライトは家出中か」と揶揄われることが多いが、それでもあの時のロルフはその比じゃなかったのだ。


「そうなの? それはちょっと覚えてないかな」

「覚えていなくて良いんだよ。ただ、今のロルフがこうやっていてくれるだけで僕らは嬉しいんだから」


 癖のある灰色の髪を右へ左へと撫でつける。初めはくすぐったそうに頬を赤らめていたが、今や気持ちよさそうに目を細めて僕の手を受け入れてくれている。もうこの光を失わないようにしないとなぁ、なんて。ジークがいる限りそんなこと、天地がひっくり返らないと起こらないだろうけど。


「あ。ねぇ、ルカ」


 もし、またロルフを奪われるようなことが起これば、今度こそ僕は……とひっそり息巻いていると、ふいにロルフが僕に声をかけてきた。


「なぁに? ロルフ」


 意図せず甘い声で尋ね返す。この場にカイがいたらきっと顔を顰めつつ冷めた目で僕を見るだろうが、今この場にあの堅物殿はいない。まぁいいかと、ついでに目元も和らげた。


「聞きたいことがあるんだけど」


 そう言ってロルフが言葉を続けようとしたとき、カツンカツンと何かが固いものを叩くような音、もっといえば靴が石を踏むような音が聞こえた。かと思うとロルフは、この城塞内をクモの巣のように縦横無尽に張り巡っているダクトへと、一瞬で姿を消していってしまった。ロルフを撫でていた体勢のまま唖然と固まる僕を置いて。

 次いで病室の扉が無遠慮にもぎぃっと開かれた。

 ふわりと入り込んで来たのは、ある幹部がよく身にまとっている甘いタバコのにおい。


「なにしてんだ、フォルカー」


 扉を開けたのは、僕らの軍の兵器開発などを担う薬理研究室の長であり、稀代の変人サイエンティストと名高いウィルバートだった。

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