狼の独り言

「らしくない事したかなぁ」


 薄暗く静かな廊下を一人歩く。侵入者が入ってきたらすぐに気づけるようにと、俺達の城塞にはなるべくカーペットを敷かないようにしている。俺が進んでいる廊下にももちろん何も敷かれていない。だから、本来であればコツコツと足音が鳴るのが普通だろう。

 しかし、もうずいぶん昔からの癖で、音を、気配を消して生活することが当たり前になっている俺は、自軍の基地の中でもそうやって日々を過ごしている。

 今も廊下に聞こえるのは、窓の外を駆ける風の音くらいだ。






 歩きながら先ほどの光景を思い出す。何をするでもなく、ただただ月を眺めていたジークフリート。もともと人の機敏に疎い俺は、ポーカーフェイスが上手い彼の顔を見たところで、何を考えているかだなんてさっぱり分からなかった。いつものようにさっさと報告を済ませてしまえば良かったものを、なんとなく気になった俺は彼のことをそのまま観察し続けていたのだ。

 しばらくするとジークはおもむろに歌い始めた。よくわからないけれど、キレイで悲しい、温かくてでも冷え切った歌。相反する感情と不思議な感覚に口をへの字に結んでいると、ふいにカイの声がした。執務室にジークの姿が無くて焦っているのだろう。荒々しい足音と切羽詰まったような声はしっかりと俺の耳に届いていた。それから、ややあって冷静さを取り戻したカイは、ジークのいる窓際まで近づくと小さな声でこう呟いた。


「Meidim met」


 カイがどういうつもりでこの言葉を口にしたのかは分からない。ただ、この言葉は、俺を凍り付かせるには充分で。


 「死に行け」


 俺が今は亡き先王の兵団にいたころ、一番初めに教わったのがこの言葉だ。そして戦場へ出る際の掛け声と、自爆特攻兵の合言葉でもあった。

 血に溺れ命を削ぎ落し、感情も己も殺し生きていた先王兵団に所属していた日々。

 思い出したくもないような地獄。


 ジークフリート達もこの言葉を使うのか、と呼吸さえ忘れそうになったが、ふと眼下に目をやると、そこで繰り広げられている二人のやり取りに目を奪われた。

 昔、任務先のどこかの王国で見た王様と騎士の儀式じみたやり取り。騎士は不用心にも後ろ首を差し出し、その首の真横に王様が抜身の剣を据え置くという、俺にとっては不可解極まるその儀式は、しかしとても神聖なものに感じたし目が離せなかった。

 ジークとカイは王様と騎士でもないのに、場所も荘厳な聖堂でもなくただのベランダなのに。ふたりは本物以上に美しかった。美しいなんて言葉では言い表せないほどに。

 その光景は、俺の頭を横切った嫌な想像を……先王達もジークも一緒だという邪推をかき消すには充分すぎて。







「Meidim met」


 この世で最も忌み嫌っていた、美しく清らかな言葉を口の中で転がす。

 随分と歩を進めていたようで、気が付くといつの間にかあまり好きではない、ツンとした消毒液の臭いがそこかしこに漂うエリアへと足を踏み入れていた。総統室から遠く離れた城塞1階の東端、日当たりが良く訓練演習場の喧騒も聞こえない静かな場所。医務病棟だ。

 廊下の両サイドに点在する扉のうち、唯一両開きになっている扉をゆっくりと開ける。きぃ、と小さな声で蝶番が鳴く。寝入っている病人の耳には届かないような、本当に小さくか細い音だったが、それでも心中で「ごめん」と呟きながらその部屋に入室した。

 『医務室』とプレートのさげられたそこに一歩足を踏み入れると、さらに濃いアルコール臭に襲われ思わず顔を顰める。この臭いだけはどうしても慣れないな、なんて思いながらも室内をぐるりと見渡した。この部屋の主であり、軍の医療全般を一手に担うハリマンは、どうやらすでに自室へと引っ込んでしまっているらしい。診察机にも診療ベッドにも彼の姿はなく、代わりに入り口付近に彼の愛用する白衣が掛けられている。


「もうこんな時間だしなぁ」


 ぽつりと呟く。日が昇るまでもう3時間を切っているのだ。まだ起きている人の方が珍しい。ハリマンがいないのも納得である。とはいえ彼に用がある訳ではないので特に問題はないのだが。

 診察机の上、壁に掛けられているホワイトボードを見る。1、2……と続いていく数字の下に名前の書かれたソレは、どの病室に誰がいるかを示したものだ。病室利用者の利用状況把握の為にとハリマンが手ずから制作したもので、見舞いの時などもわかりやすく大変助かっている。ボードに並んだ数字と名前の羅列の中、目当ての人物の名を探し出すべくボードに目を滑らせる。


 ……見つけた。


「5号室、か」


 軍事国とはいえまだまだ新興国である俺達の国は、日頃常に戦場に立っているわけではない。現に今はどことも開戦しておらず比較的穏やかな日々を過ごしている。しかし、やはり軍事国家というべきか。日々の訓練で怪我を負う人も少なくはなく、ボードに並んだ数字の半分ほどに、その真下に誰かしらの名前が記されていた。俺の探している人物の名も『5』の番号の下にしっかりと記されている。

 そうと分かればそそくさと医務室を後にし、廊下に出て『5』というプレートのさげられている部屋へと向かって行った。






 コツコツ、と靴を鳴らしながら廊下を歩く。1号室、2号室、3号室と通り過ぎ、5号室の扉の前でぴたりと足を止める。病棟に足を踏み入れた時からずっと耳に届いていたカリカリという何かをひっかくような音は、ちょうど医務室を出たあたりから止んでいた。

 今更誤魔化そうとしたところで無駄なのに。

 呆れつつも目を細め、目の前の扉へと手を伸ばす。扉は、またしてもきぃと一鳴きしてから、その中をさらけ出した。






 暗い病室を見渡す。常人であれば何も視認できないような灯の落ちた室内は、夜目の利く俺には何の不自由もなく見渡せた。もちろん窓の傍に設置されているベッド、そこに横たわっている男のこともしっかりと。


「狸寝入り? フォルカー」


 窓の方に顔ごと体を向けて、こちらには背しか見せずに寝そべっているヤツにそう言った。


「なんでハリーじゃなくてロルフなのかなぁ」


 ちょっと震えた声で言うルカは悪いことをしていたという自覚があるのだろう。枕もとのスイッチでピッと電気を点け、ゆっくりと体を起こしこちらを見る彼はバツの悪そうな顔をしていた。

 急な眩しい光に目を細める。しかしそのおかげで視界が随分と開けた。目下に隈を飼い、少し黒く濁っている紅の瞳も、光の当たり方によって赤と茶の不思議な色を見せる綺麗な髪も、はっきりとよく見える。


「もう明け方の3時。ハリマンは休んでる」


 ベッド脇のサイドテーブルから眼鏡を取り、いそいそとそれを掛けるルカに言った。


「あぁ、もうそんな時間なんだね」

「で? 疲労、睡眠不足、栄養失調。その結果倒れたくせに、どうしてこんな時間に起きて仕事してるの」


 じっとりとした目で尋ねる。

 ルカはというと「なんのことかなぁ~」ととぼけつつ目を逸らした。

 ご丁寧に顔ごと明後日の方向に向けながら。

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