第1話 万能人(11)
大急ぎで蜂に蜜を運んでもりう。まあ、蜂を動かすのは僕だから、蜂だけが頑張っている訳でもないが。それでも、やはり、蜂のパワーはすごい。蜂さまさまだ。
締め切りが迫っていたのは、本の表紙に使う絵だった。ラフと下絵でそれぞれOKを貰っていたから、後はペン入れして、色を塗るだけで良い。そんなに複雑な絵でもないから、すぐに終わるだろう。何気なく依頼の内容の書かれた紙を見る。
「なんだ。
僕が前々から手がけているこの本はシリーズになっていた。つまり、僕が帯解と出逢うその前から、ふたりはお互いの仕事に関係していたことになる。もしかしたら、帯解は僕の描いた絵を気に入って、それで僕を雇おうと考えたのかもしれない。
奇跡、という言葉が脳裏を過ぎる。僕はよく知りはしないが、帯解は十代にして世界に認められた博士らしい。それだけでも、充分に奇跡に近いとは思うのだが、帯解は奇跡の歌声を聞き悔し涙を流した。自分には、歌えないと。もどかしさ、だろうか。
こう言っては語弊があるかもしれないが、僕は芸術的な才能は先天的なモノによると信じて疑わない。勉強して理論や技術を習得することはできるが、最終的にはその人のセンス次第なのだ。たとえば、美大に入学するには、まず何よりも色のセンスが良くなくてはならない。入試では色のセンスを問う。そこから外れてしまえば、どんなにデッサンが上手くても門戸は開放されない。永遠に閉ざされたままだ。よく美的感覚は人それぞれとは言うが、実は色に関して言えば、時代や国、性別までを超えてその感覚は普遍的なのだ。記号に近い。だから、間違っても美大は色覚異常のある学生はとらない。これは、差別ではなく、区別なのだ。色を使えないことは、それだけ表現の幅を狭めることに繋がる。もちろん、色覚異常があったら絵を描いてはいけないという訳ではない。色覚異常があったから、絵描きを諦めて漫画家になった人も居る。漫画は白黒の世界だからだ。
才能とは孤独なのだ。他と比較して、秀でていれば必ず他とは違っていることになる。僕の芸術的才能は血らしい。多くの評論家が口を揃えて言うのだから、そうなのだろう。まあ、親戚に絵描きが居たとは一度も聞いたことがないが。絶対音感、というのがある。絶対音感に関しては批判的な研究者も居るが。ドレミは勝手に人間が作ったもので、世の中の音、全てがドレミに当てはまる訳がないだろう、阿呆か? というやつだ。僕自身も、絶対音感に関しては、ピアノで何の音かを当てるのは認めるが、自然の音を無理にドレミに当てはめるのは、何か違うだろうと思っていた。が、そんなことはどうでもいい。
僕は芸術的なモノに対して絶対的な感覚を持っているのだ。見た瞬間に美しいか、美しくないか判断できる。もちろん、理論的にもこうこう、こうだからと説明もできる。説明もできるのだが、考えるよりも前に心で判断してしまう。そして、大抵、次に頭の中で理論を順々に追っていくと、恐ろしいほどまでに僕の感性は的中しているのだ。きっと僕の中にはいろいろな黄金比が数字としてではなく、実感を伴ったモノとして生まれながらにして刻みこまれているのだ。絶対音感を馬鹿にしたくせに、と思われるかもしれない。だが、しかし、ドレミは人間が作ったモノだが、美術は人間が苦心してその美を最高限にまで引き出した、つまりは数学や物理の世界のように発見するのに近いモノなのだ。数学や物理の世界では、○○の定理発見というような言い方をする。これは、人間が今まで知らなかっただけで、定理や公式などはもともと存在しているという考え方からきている。美術もどちらかと言えば、数学や物理に近いと僕は信じている。
考える人、で有名なロダンはしばしば批判される。解剖学的には正しいけれど、人間らしさが出ていない、と。ある像はあまりにリアルすぎたので、教会から飾るのを拒否された。神は決して、人間ではない。だから、人間にしか見えない像は不要なのだ。「考える人」は確かダンテの『神曲』で、地獄の門の上に座って、地獄に落ちる人を見ている像なのだ(『神曲』は阿呆みたいに長いという噂を聞いたことがあるので、実際に読んだことはない。だから、微妙に違っているかもしれない。そこは注意してほしい)。考える人の像は結構、いろいろなところに複製があるので、近くにあるのを探して見てみれば良い。解剖学的な正確さに重きを置くか、心象を大事にするかは、人それぞれだ。しかし、やはり、人間を表現するためには、解剖学の知識も確かに必要なのだ。僕が言わんとすることは、どちらによりウェートを置くか判断するのは、芸術家その人だと言うことだ。だから、芸術は血がなければできない。
帯解ほどの人間が芸術の理論を理解できないとは考えにくい。芸術の理論はどちらかと言うと、論理的で国語や数学の問題を解くのに近い。決して感性だけでやっている訳ではない。己の感性だけでやると、他者には伝わらないからだ。大抵の場合は、無意味な作品などなく何かを伝えたくてしょうがないのだ。言葉で伝えると零れ落ちてしまう感情を直に相手のハートまで届けるための手段が芸術なのだ。帯解に足りないのはきっと芸術家の血だけなのだ。だから、もどかしいに違いない。
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