第1話 万能人⑤
僕が小学生のとき、友達をなんとなく殴ってしまったことが数度あった。
気持ち悪かったから、だ。人間の中には何歳であっても、ぼけらーっとしているやつがいるものだ。その視線の先にたまたま僕の黒い目玉があったとする。放心状態の友達は、もはや、何も思考してはいない。思考していない人間の顔は、呆れるほどに、腹立たしいほどに、美しくない。美しくないモノを見ていると、胃のあたりがムカムカしてきて、しまいには軽い吐き気すらもよおす。その気持ち悪さに耐えられなくなった僕は友達を殴る。放心状態の人間の顔が美しくないのと同様に、レベルの低い暴力もまた美しさに欠ける。そう、暴力とは言え、レベルが最高潮であればそれは芸術へと昇華される。僕は本当なら、暴力などふるいたくはないのだ。だって、仲の良い友達だぞ? 楽しい訳がない。だから、あえて言わせてもらう。自分が美しくないことをするのを自覚していながら、僕は泣く泣く友達を殴るのだ。これは、必要悪だ。僕は暴力に関しては素人であるから、美しくないのは認めざるを得ない。が、しかし、重要なのは、僕の大好きな友達にいつまでも阿呆面をしていて欲しくないのだ。このことを充分に理解していただきたい。
こんなことを言ったら、もはや、僕は変態にしか思われかねないが、僕は自分がある程度、美しいと認めた人物としか友達にはならない。だから、せっかく美しい友達を手に入れたのに、その友達が美しくない顔をしていたら哀しいではないか。もともと醜いのならこれ以上醜さを追求しようが、それもまたある種の昇華のような気がして美しくも感じられるが、美しいのに醜さを求める必然性はないだろう。美しい顔立ちをして、阿呆面をするのは、もはや罪なのではないかとさえ思う。路上で下半身を露出するのと同じくらいの罪だ。下半身の露出が罪に問われるのだって、「お前の下半身は汚い。よって、罪に値する」訳ではなかろう。裸を日常生活から追い出してしまっまから、現代に生きる人が奇異に感じるだけであって、生まれたそのままの姿は誰だってそれなりには美しい。まあ、性器は、多少、グロテスクな見た目をしてはいるが、子孫を残すという役割を考えれば神聖性を感じることもできなくはない。神聖性は美に繋がる。なのに、何故、人前で裸を露出することが罪に問われるのか。ヌードデッサンをする僕もはっきり言ってよくは解らないのだが、とりあえず思いつくことを書いてみよう。えーと、服を着ることが義務づけられている。そうか、服を着ないとルール違反になるのか。確かに、ルール違反はよろしくない。それなら、かえって、法律に反逆してみるのも美しい感じがするが、やはり、法律を遵守することも大切だ。たとえば、僕が裸で高校から帯解の屋敷に帰ったら、間違いなく通報される。僕の雇い主である帯解が気の毒でならない。格好悪い。格好が悪すぎる。好きな子を泣かせるのは、何より格好悪い。
肩にかけたかばんをペンケースの中身でがちゃがちゃ鳴らしながら、腹も鳴らしながらふらふらとした足取りで帰路につく。音楽に関しては造詣の深くない僕だが、これらの音はあまり美しくないなと思う。と、かすかに心地良い音が耳をくすぐる。僕は知らず、音源を捜す。鈴を転がすような、と言うのだろうか。本当に小さな歌声だ。しばらく、扇風機のように首を振って、周囲を見回したのだが、結局、音源は見つからなかった。僕の腹の音があまりに大きすぎた。
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