第1話 万能人④

 翌日には、速達で高校の合格通知が届いた。

 誇らしげに帯解おびとけの眼前に晒す。もともと合格、というか入学許可はおりていたのだが、それでも、何かに合格するのは、気持ちが良い。

「だから、京終きょうばては入学試験を受ける前から、もう高校生になっていたのだから、それを貰うのは、当たり前なんだって」

 帯解はさもどうでもよさそうに言う。

「考えてもみろよ。いくら速達で出したって、今日、その紙切れがこの屋敷に届くためには、昨日の時点で出さなければならない。で、京終の入学試験が終わった時間がいつだ?」

「採点しないで、合格通知出したのか」

 愕然とする。

「本当に、何のための試験だよ?」

「形式だよ。形式」

 僕はうなだれる。膝立ちになり、帯解の高級そうな机にあごをのせる。帯解は白い紙に、何事か難しそうなことを書いている。指差し、言う。

「何、これ」

 帯解は鉛筆を止め、僕の頭に手を伸ばす。

「全てを理解できなくてもいい。せめて、僕が何を研究しているのかくらいは理解してほしくて、京終には高校に行ってもらうことにしたんだ」

 僕は眉をひそめる。

「そう、言うけどなぁ。帯解は、あの学校を首席で卒業しろって言っただろ」

 帯解は頷く。

「試験の監督していた先生が言っていた。東大、京大行くやつがいるって。つまり、僕はそいつらよりも、良い成績を取らなくてはいけないんだろ」

「それが僕の助手としての最低ラインだ」

 僕は落胆して、顔を伏せる。木の板にぶつかり、頭蓋骨を打つ音がする。

「何で、雇ったんだよ?」

 帯解の座る椅子が軋む。

「うーん、気分かな?」

「さすが、万能人の考えることは、凡人には解らないや」

 帯解が能天気に笑ったかと思うと、すぐさま難解な作業に戻る。しばらく、黒鉛の擦り減る音がしたかと思うと、柔らかい木の削れる音がする。そこで、僕は手を挙げ、「鉛筆削りくらい、中卒でもできる」と宣言する。一体、何の宣言だ。当たり前だろ。


 僕が帯解に拾われて屋敷まで来た日がちょうど四月一日だった。だから、高校は、編入生としてではなく、皆と同じスタートを切れるという訳だ。その点は、良かった。しかし、さすがに四月に入ってから、制服を作ったので、出来上がりが遅く、しばらくは私服登校になる。私服だから自由かと言うと、そうでもなく、「みっともないから、スーツを着ていけ」と帯解に言われた。帯解は、僕の学費のスポンサーでもあるので、逆らう訳にはいかない。私服替わりのスーツも帯解に買ってもらった。しかし、僕のラフな服装が好きなのだと言ってくれたのは嘘だったのだろうか。それとも、ただ単に、本当にみっともなかっただけなのかもしれない。

 ひとりだけスーツを着て登校というのは気恥ずかしい。どこからどう見ても、新任教師にしか見えない。これのどこが、新高校一年生なのか。年下の中に混じって登校するのが、心臓に悪いと判断した僕は、高校の開くか開かないかのぎりぎりの時間に登校することにする。聞いたところによると、入学式の翌日は、新入生歓迎テストらしい。何だ、そのネーミングは? と思った。僕の中では、「歓迎」と「テスト」がどうも繋がらない。「新入生覚悟を決めよテスト」なら、まだ、いい感じがする。早速、安宅あたか先生に教えたい衝動に駆られる。しかし、その前に課題だ。そのテストは、入学前に配布されたドリルの中から出ることになっている。ドリルって小学生か、と思わずつっこみたくなる。今時の高校生は、ドリルをやるのかと感心してしまう。本当に冊子には、「中学の学習内容総ざらい+高校の学習内容も先取り 新高1ドリル」と書いてある。中を開いてみたら、タイトルそのままだった。何のひねりも感じられない。ひねりは感じられないのだが、僕は始終、頭をひねり、首をひねりながら、課題に取り掛かった。問題自体は、よくひねりが効いていて、帯解愛用らしい中学と高校の教科書や参考書を見ても、一向に解らない。

「当たり前だ。ドリルがすらすら解けたら、テストは高得点じゃないか」

 窓を開け、青空を眺める。白い雲から、安宅先生の白髪頭を連想する。いきなり、赤点ですみません。とりあえず、謝っておく。

 それにしても、と思う。研究の邪魔になるから勉強するなら外に行け、というのはあまりに酷いではないか。僕は自ら望んで高校生になった訳ではない。帯解の研究内容を理解するという仕事のための、言わば前段階の準備であるというのに。仕事の邪魔になるから、お前の仕事は外でやれとはこれいかに。大体、本当に僕のような無学な人間が、世界の帯解博士と称される万能人に必要なのだろうか。たとえ、人手が足りなかったにしろ、せめて帯解の言う最低限のレベルを合格した人間を雇えばいいではないか。わざわざ雇った人間を高校に通わせる意義が解らない。しかし、結局は万能人の考えは凡人である自分には解らないのだと納得することにする。今はとにかく課題だ。勉強することが今の僕の仕事なのだ。

 気付いたら昼前だった。屋敷に戻ることにする。春休みの図書館はがらんとしている。先生方は春休みでもクラス変えだとか、新しい役職を振り分けるだとかで忙しい。グラウンドでは高校生に混じって中学を卒業したばかりの幼い顔が、緊張しながらも練習に参加している。自分は部活に入るのだろうか。入るのなら、運動部かな、文化部かな。いや、とすぐに首を横に振る。明らかに生徒というよりは先生といった感じの後輩が入ってきて、「先輩」などと呼ばれる新二、三年生が気の毒すぎる。正直、僕がその「先輩」の立場だったなら、そう呼ばれた瞬間にその発言主を気持ち悪さから殴り倒すに違いない。

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