第1話 万能人①

 さて、馴染みの高級別荘地である。

 以前、世話になったのは、和風建築の髄みたいなところであったが、今回は元・私学の学び舎である。

 ご多分に漏れず、こちらも重要文化財に指定されている。

 山間やまあいという立地を生かしたイングリッシュガーデン。野草を主役にしている。園児の散歩やら、犬やうさぎの散歩やら、散歩がでらゼミをする学生やら。何と言うことはない。ここは大学と同じで、大部分の敷地が出入り自由なのである。

 そして、可愛らしいドールハウスには同じく可愛らしいお人形さんがつきものであろう。ここに推理小説家などが立ったならば、即座に思い描くであろう登場人物たち。紳士、奥方、美少女。妄想に浸っているうちに、私室に通された。惜しい。非常に惜しい。美少女じみた美少年。今年、十六歳になるというその人の名は。

 帯解明。

 首から紐でぶら下げられ、白衣の胸ポケットに固定されている名札には、確かにそう印刷されている。

「オビ、カイメイ…?」

 帯を解明して、一体どうするのだろう。僕は頭をひねる。その傾けた頭に、衝撃が加えられる。

「違う。オビトケ、メイだ」

 僕は涙目で、乱暴者を見上げる。

「今時、僕の名前を間違えるなんて、君はとんだ世間知らずだな」

「オビドケは、有名人なのか?」

だ」

 帯解は出窓に腰掛け、自己紹介を始める。まず、帯解は、自分は万能人なのだと言った。万能人というのは、ルネサンスに出た考え方で、まあ、とにかく、それまでは神様が絶対だったのを、今度は人間らしさで持って対抗しようというモノらしい。かいつまんで言うと、たぶん、そんなところだろう。具体的な名前を挙げると、レオナルド・ダ・ヴィンチ、その人が当てはまるらしい。

「あの、なんでもかんでも、自分ひとりでやってしまいたいような人のことか」

 僕のアバウトな知識に、帯解は顔をしかめる。ダ・ヴィンチは、お前の友達ではないよとたしなめられているような気もする。自立心を持ち始めた幼児とは違うのだと。

「まあ、そんなところだ」

「疑問なんだが」

 僕はそこで、手を挙げる。

「そんな万能人の帯解き、僕みたいな世間知らずの助手が必要なのか?」

 レースのカーテンが風邪で舞い上がる。帯解の漆黒の瞳は、どこを見ているのだろうか。

「必要だ」

「そうか」

 僕は頷く。とにもかくも、こうして僕は今日から、帯解の助手として、働くこととなった。

 僕は美しいモノが、好きだ。だから、帯解も好きだ。十代半ばにして、こんなにもネクタイと白衣の似合う男は居まい。帯解の凛とした佇まいは、それだけで、高価な絵や壺を飾っているのと同様の空気を醸し出す。帯解だけではない。僕が今、立つ、帯解の住居兼研究所である屋敷も、まるで美術館のように品が良い。

「それで、僕も白衣を着るのかな。それとも、執事の服でも着ようか」

 僕はTシャツに、カーディガン、カーゴパンツというようないかにもラフな格好だったので、自分だけがこの空間から浮いてしまっているような気がしてならなかった。帯解は窓から降りると、白衣のポケットに手をつっこむ。手渡されたのは、帯解がしているのと同じ名札だった。

「名札だけ首にかけていてくれればいい。僕は案外、キョウシュウの服装が好きなんだ」

 僕は顔を赤らめた。美男子に誉められたから、ではない。

「帯解。違うよ。キョウシュウじゃない。キョウバテだ」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る