第142話 そのピンチ
父が倒れている。
ただ倒れているだけではない。
お腹から血が流れていて、シャツを赤く染めていく。
どうしてこんなことに。
父の前に呆然と立っている楓を見た。だらんと力の抜けた手の中には、拳銃があった。
「お父様!!」
「危ないから近づいちゃ駄目だ!」
何があったのか、すぐに分かった。
先ほど聞いた破裂音のようなものは、銃を撃ったものだった。
俺が考えていた通り、楓はわざと単独行動をして、誰よりも先に父を出迎えた。
そこで、どういうやりとりがあったのかは不明だが、隠し持っていた銃で撃った。
俺は楓も銃も無視して、倒れている父のところに駆け寄った。
月ヶ瀬さんが引きとめる声も聞こえないふりをした。
血がたくさん出ている。とにかく止血をしなくては。
頭の中にある知識を最大限使って、ハンカチを出して傷口を強く押さえる。
父はうっすらと目を開けていたが、焦点が合っていない。俺のことも認識しているかも怪しい。
「お父様、聞こえますか? しっかりしてください!」
声をかけなければ死んでしまう。
そんな恐怖に襲われながら、父に向かって呼びかける。
声は聞こえたのか、こちらにゆっくり顔を向けた。
そして、やっと聞き取れるかどうかぐらいに話した。
「……にいさ……ごめ……」
途切れ途切れだけど、何を言いたいのか伝わった。
それは、すぐ近くにいた楓も同じだった。
「い、まさら、なに言ってるんだよ!」
衝動のままに父の胸ぐらを掴もうとしたから、触れる前に睨みつけた。
「死んだら、もう何も出来なくなるんだ! 怒りをぶつけても、何も返ってこない! 聞きたいことも聞けなくなる! それでいいのかよ!?」
「……おれは、おれは……」
ガックリとうなだれた楓は、絶望したかのように顔を手で覆った。フォローを入れるべきかもしれないが、今は構っている余裕が無い。
「月ヶ瀬さん! 早く救急車を! あと楓さんをお願いします!」
泣きながら指示を出す。月ヶ瀬さんは電話をかけながら、楓の隣に寄り添った。
俺はそれを横目で確認して、父に意識を戻す。
どくどくと手のひらに感じる血が、父を奪い去ろうとしている。
このままじゃ死ぬ。
すぐ目の前で、何も出来ずに死なせてしまう。
あまりに無力な自分に、手が震える。
こうやって、簡単に父のことも失うのか。
体の感覚がない。どうやって力を入れればいいのか、頭では理解していても体が言うことをきかない。
意識を失っては駄目だと、そう思っているのに、どんどん体が前に倒れていく。
「だ、れか……こ……」
どうして今、その顔が思い浮かぶのだろう。
でも不思議と嫌な感じはない。
父の体に倒れるギリギリのところで、突然後ろから誰かに支えられる。
「もう大丈夫。よく頑張ったね」
支えるだけでなく、お腹を押えていた手も上から重ねられる。
包み込むぐらいの大きくて温かい手に、不安が消え去っていく。
どうしてここにいるんだろう、そう思ったが、今はそんなことよりも父が大事だ
「……た、すけて……」
四文字の言葉を言うだけでも精一杯で、かすれ気味になったけど、相手には伝わった。
「助けるよ。約束する」
それなら大丈夫だ。言葉だけで確信した。
緊張の糸が解けて、後ろにいる人に体を預けた。
しっかりと受け止められ、強く抱きしめられる。
「遅くなってごめんね。あとは任せて」
耳元で聞こえてきた声に、安心して目を閉じた。
夢を見た、気がする。
俺はふわふわとパステルカラーの雲の上で、何故かくまのぬいぐるみと遊んでいた。
くまはどちらかというと年季が入っていて、ところどころに直したあとがあった。
これは俺の物だ。そう感じた。昔の俺が持っていたもの。
くまの名前を何度も呼んでいたのだが、記憶が曖昧でどんな名前だったのか覚えていない。
まるで子供に戻ったかのように、飽きることなく遊び続ける。
「本当に、その子がお気に入りだな」
しばらくそうしていたら、後ろから急に話しかけられた。
「おっと。こっちを振り向くなよ」
「どうして?」
「妖精だから姿を見られるわけにはいかないんだ」
そんな馬鹿な。
絶対に嘘だと思ったが、言う通りにすべきだとも思った。だからくまを見つめたまま、話を続ける。
「俺のことを知っているのか?」
「ああ、ものすごく知ってる。ずっと見ていたからな」
「ストーカー?」
「違う。可愛くない口だな。一体誰に似たんだか」
「たぶんお母様。覚えてないけど」
「……そっか」
しばらく黙りこんでいたが、どこかに姿を消したわけではない。存在を感じる。
「なあ、今幸せか?」
唐突な質問だった。
普通だったら、自分を妖精だと名乗るような変人に、答えなかっただろう。
でもするりと、言葉が口から自然と出た。
「幸せだな」
それは本心だった。
今の俺は幸せだ。
「それなら良かった。……もう少し話したかったけど、そろそろお別れだな」
頭に手が置かれる。
その瞬間、俺は気がついた。
「……みんなをよろしく頼む」
「うん。……おかあさま」
優しい手つきで頭を撫でながら、母はたぶん笑っていた。
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