第131話 父の兄
五十嵐家前当主の不義の子として、認知されることなく、母である
育てられたとはいっても、実際はネグレクト状態で、ろくな世話をされていなかったらしい。
莫大な手切れ金を五十嵐家は渡したらしいが、それは全て橙樹の手にわたり、中学校卒業と同時に家を追い出されることになった。
それからの人生は悲惨そのものだ。
生きていくためにどんなことでもやり、捕まりはしなかったが犯罪にも手を染めた。
そのまま転落人生を送るところだったが、ある日を境に変わった。
現在のパートナーである山之内省吾に出会ったことだ。
二人が結婚してからは、真っ当な道を進もうとしていた窺える。
正規の仕事に就き、悪い世界からはすっぱりと足を洗っていた。
しかし、その幸せは俺の父の存在を知ったことにより崩れ去った。
実の親のことは橙樹から聞いていたようで、メディアに出演する父を見て、すぐにピンと来たらしい。
同じ親から生まれてきたはずなのに、かたや大企業の社長。かたやくたびれた会社員。
あまりにも不公平だと、父に対する恨みを募らせた。
そこで父本人に攻撃するのではなく、家族を狙うところは性格が悪い。
昔のツテを使い、父が溺愛している母の存在を知った。
そして父の復讐のため、家族をめちゃめちゃにしようと母を襲った。
逃げも隠れもしなかったのですぐに捕まったが、そこで五十嵐家の血が流れている事実が判明する。
事件を公にすれば醜聞が広がるという懸念もあり、父は殺したいぐらいだったけど不起訴となった。
しかしそのままにしておけば、次は何をしてくるのか分からないので、自分の意思では外に出られないような精神病院に入れた。
それから、しばらくは大人しくしていたのだが、ここ最近病院から脱走した。
逃げた日付は、父が海外に行きだしたのと、ほとんど同時期だった。
もしかして仕事というよりも、投票するために色々なところに行っていたのか。
俺には何も知らせず。兄達は知っていたのか。きっと知っていたのだろう。
月ヶ瀬と俺は学年は一つ違うが、誕生日はそこまでは離れていない。その事実を深く考えれば考えるほど、思考が暗い方に進んでいく。
父は、どう思ったのだろう。
母はそれを知って、さらに壊れてしまったのだろうか。
月ヶ瀬さんは、自分のパートナーが犯罪を犯したと知って、お腹に子供がいることを知って、母のように絶望を感じたのか。
確かに生い立ちは悲惨かもしれないが、やったことを考えると同情は出来ない。
菖蒲の報告書を読んで、俺は一発よりももっと殴りたくなった。
嫌なことは思い出させるとはしても、月ヶ瀬さんに話を聞きたい。
この報告書では、楓の悪い部分しか見えない。
でもきっと、彼の人生の中で一番幸せだったのは、二人が結婚して事件が起こるまでの間だ。
その時の、月ヶ瀬楓という、一人の人物だった彼のことを知りたい。
でも、誰にも気づかれないように話を聞くのは可能だろうか。
まだ父や高坂はおろか、菖蒲以外には言っていない。
今の状況を考えると、一人で彼のいるところまで行くのは、とても難しかった。
それなら言うべきか。でも絶対に止められる。
それを説得するまで、とてつもない時間がかかるだろう。
どうしたものか。
ため息を吐きながら、なんとはなしにページをめくっていれば、最後のところに何かが貼り付けられているのに気がついた。
白い封筒だ。
なんだろうと封を開けると、折りたたまれた紙が入っていた。
「……本当、優秀すぎるだろう」
紙を広げた俺は、菖蒲の優秀さを甘く見ていたのを実感する。
「将来、俺の秘書になってくれないかな」
カラフルなチラシを手に、しみじみと呟いた。
封筒の中にあったチラシは、とある芸術家の個展の知らせが書かれていた。
まだそこまで著名ではなく、一日だけ小規模な会場で開かれる。
入っていたのは、その一枚だけだったが、菖蒲が伝えたかったことは読み取れた。
ここに、月ヶ瀬さんが来る。
報告書を読んで、俺が話を聞きたくなると予想して、彼のスケジュールを調べてくれたのだろう。
とても気が利く。
さらに凄かったのは、その日なら邪魔をされずに一人で行けそうなことだ。
きっとそれも調べている。
凄すぎて、全部菖蒲が調整したのではと、疑いかけたぐらいだ。
高坂や権守がついてきたとしても、一人でゆっくり見たいからと言えば、外で待機させられる。
会場内で月ヶ瀬さんを探すのは、前に会ったことがあるから何とかなるはず。
話をするには絶好の機会だ。
都合のいい展開だけど、神様がようやく俺に優しくし始めたのかもしれない。今更な気がするけど。
個展に行って、月ヶ瀬さんに会えて、そして話をすることが出来たとしても長い時間はかけられない。その時間に、聞きたいことを全て話せるかどうか。
最終的には連絡を取れる状態にまで、持っていきたいところだ。
とにかく俺が出来ることを、精一杯やらなくては。人から話を引き出せるか不安だが、他には任せられない。
前に会った月ヶ瀬さんなら、きっと大丈夫な気もするが。
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