第128話 父の話
「そうだな……まずは冷との出会い、からがいいか」
母の名前を覚えていたのか。
夫婦だったのだから当たり前のことだが、そう思ってしまった。それぐらい父は、俺からすると母のことを見ていなかった。
「私達は政略結婚ではあったが、初めて冷を見た時に私は恋に落ちた」
……何を言っているんだ、この人は。
にわかには信じられない話に、中断させたくなったが、あまりにも早すぎると我慢した。その先も気になる。
「好きな人と結婚が出来て、子供も産まれて、とても幸せだった。一生、この幸せが続くのだと、そう思っていた」
俺の全く知らない話。もし本当であれば、どうしてあんな冷遇されることとなったのか。寂しく死ぬ羽目になったのか。
「でも暁二が生まれて少しして……冷はとある事件に巻き込まれた」
そこで父は言葉を区切り、手で顔を覆った。
肩を震わせ泣いているのかと思ったが、手が外れて、怒っているのだと分かった。
「……乱暴をされて、心に深い傷を負ったんだ」
「! それは……本当ですか?」
「……ああ」
「……それから冷が妊娠していることが発覚し、心が完全に壊れてしまったんだ。自分は愛されていない。長男と次男はよそで作った子供で、お腹にいる子だけが自分の本当の子供だと、そう信じ込んだ」
地面が崩れるような、そんな気分だった。
父の話が本当なら、俺は……。
「生まれてきた子が自分にしか似ていなかったから、余計にそう信じ込み、そしてどんどん壊れていった」
父に愛されないと言って泣き、長男と次男を遠ざけていた母。俺だけと二人きり、別館で寂しく暮らした。
「何度も本当のことを言おうとした。しかし現実逃避をしている方が、事件を思い出さなくて済むのではと言えなかった。それが間違いだと気がついた時には、すでに手遅れで。もう俺の言葉は届かなくなっていた」
顔を歪ませて、勢いよくテーブルを叩く。
後悔している父は、嘘をついているようには見えなかった。
「……ある日、正気に戻ったのか、さらに壊れてしまったのか、冷は心中をはかった」
「心中? ……まさか俺とですか? お母様は病気で無くなったんじゃ……」
「違う。でも結局は失敗して、元から体が弱りきっていた冷が死んだ」
俺は心中させられそうになったショックで、記憶を改ざんしていたのか。
納得がいった。腑に落ちた。
それは俺の顔を見るのも嫌になるはずだ。
「俺の中にある母の面影を見たくなくて、遠ざけていたんですね」
「……すまない」
「はじめお兄様、暁二お兄様もそうですか?」
「自分の子を相だけしか認めず、こちらを見る目はいつも恨みがこもっていた。あんな事件が無ければ……産まれてこなければ、壊れることはなかったと思ってしまった」
「俺も……どうして俺のことを見てくれないんだって。……八つ当たりだ」
それは違う。
俺に憎しみを抱くのは当たり前だ。
長男も次男も、母の愛情に飢えていた。それを一身に受けていた俺は、さぞかし邪魔な存在だっただろう。
「私達が遠ざけているのを察して、他の人達も冷たくしているのを把握していたのに無視していた。関わったら冷に責められている気がして、逃げていた」
「事件の犯人はどうなったんですか?」
「事情があって起訴はされなかった」
本当にしたい質問はこれじゃない。でも答えを聞くのが怖かった。
もしも俺が考えている通りの答えだったら、自分の存在すらも否定することになる。
でも、いつかは知らなければいけない事実だ。
「……俺は……俺は、その犯人の……子供ですか?」
母を壊した人間の血が、この体を巡っているのかもしれない。
テーブルの下で、見えないように拳を握りしめた。
「それは違う! お前は私の子だ!」
「書類上は、ですよね。血縁関係は……」
「ちゃんと私達は親子で、血縁関係もある! 産まれた時に調べた!」
つまり疑っていたのか。いい答えのはずなのに、ひねくれた考えしか出来ない。
本当に俺は父の子でいいのか。それは……嬉しい。
「そうですか。でも俺の存在は、みんなを不幸にしたのに変わりはないですね」
「違う。相が生まれてくれて良かった。不幸になんてなっていない」
「相は弟だ。それ以外の何者でもない」
「そうだ。俺は不幸じゃないし、一緒にいない方が不幸だ!」
「ありがとう、ございます……そういえば、月ヶ瀬はどう関係しているんですか? 母を愛していたはずなのに、壊れたから不貞を働いたんですか?」
今の話に、月ヶ瀬は全く関係していない。
ずっとそちらを可愛がっていた理由は、明らかになっていなかった。
「それはちがっ……私は不貞なんか働いていないっ。ただ……」
うろたえる父は話すべきか考えて、最終的に口を開く。
「冷を襲った犯人が……月ヶ瀬さんのパートナーなんだ」
「それって、月ヶ瀬の父親だってことですか?」
「……ああ」
まさかそんな形で関わりがあるなんて。驚いている俺に追い打ちをかけるように、父がさらに言葉を続ける。
「そして、そいつは……私の兄でもあるんだ」
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