第125話 高坂の献身





 一緒に帰ろうと提案したのだが、落ち着いた月ヶ瀬は一人で帰って行った。


 叩いてしまった頬がすでに赤くなっていて、あの時は仕方なかったとはいえ罪悪感に襲われた。



「大丈夫だよ、今は全然痛くないし。それに相君がくれたものだから」



 おかしなことを言っていたが、聞き流しておいた。



 また一人になり、俺は切り株に座って湖を眺める。


 今日はたくさんの人と話した。

 色々なことに気付かされて、色々な誤解を解いた。


 自分が物語の主人公だと、突然言われたらどういう気持ちになるだろう。

 そして、もしも登場人物ですらないと言われたら……。



「……相お坊ちゃま」



 次に来るのは、なんとなく高坂だと予想していた。

 残り少ないから予想するまでもなかったかもしれないが、その方が心構えが出来る。



「座って話をしよう」



 心構えをしたとしても、心臓はうるさく騒いでいるが。

 命令として伝わったのだろう、高坂はすぐに座った。

 表情からは、なんの感情も読み取れない。

 ポーカーフェイスなのは前からだけど、俺にも読み取らせないように感情を隠している。



「……俺の話を聞いて、どう思った?」



 我ながら馬鹿らしい質問だ。

 でもこれ以外に、何も思いつかない。



「ありきたりかもしれませんが、驚きました」



 こちらをまっすぐ見てくる。その視線に耐えきれず、視線をそらした。



「そう、だよな」


「相お坊ちゃまが、ずっと隠してこられたのは、このことだったのですか?」


「やっぱり俺が隠し事をしていたのを、ずっと気がついていたのか」


「相お坊ちゃまの専任執事ですから、当然のことです」


「……悪い、ずっと言えなくて」


「そうですね。失望しました」



 辛辣な言葉をかけられると覚悟をしていたつもりだった。

 でもいざ言われると、胸が張り裂けそうなほど痛い。



「いつか言おうとは思っていた。でも、きっかけが掴めなくて」



 言い訳がましい言葉が出る。

 俺が悪いのは承知している。でも高坂に見捨てられたくなかった。



「失望しているのは、相お坊ちゃまに隠し事をさせてしまった自分自身にです」



 高坂が唇を噛みしめる。



「ずっと苦しかったでしょう。そばにいた私は、それを知っていたはずなのに、相お坊ちゃまから話してくれるのを待つだけで何もしなかった。気がついた時点で、相お坊ちゃまの苦しみを無くすために動くべきでした」



 自分の足を何度も何度も強く叩いて、悔しさを表に出す。



 こんなに取り乱している高坂を見るのは初めてだ。

 それだけ、俺も高坂を苦しめていたのだ。



「荒唐無稽な話だから信じてもらえないかもしれない。そう怖がらずに相談をすれば良かった。高坂が一番頼りになると分かっていたのに。だからこそ、怖かったのかもしれない」



 高坂に頭がおかしい人間だと思われたくなくて、話すのを避けていた。

 それが相手を傷つけることになるとも気づかずに。



「でもこれだけは分かってくれ。決して高坂が頼りなかったわけじゃない。むしろ高坂の存在で何度も救われていた。俺の執事は、高坂以外にありえない」


「ありがたき幸せです」



 ありがたき幸せと言ったが、心の奥ではまだ悲しんでいる。

 それを読み取った俺は、何をすれば高坂を喜ばせられるかと考えた。

 予想もつかない行動をしなければ、きっと心を閉ざしたままだ。


 もしもそうなれば、いつか俺の元を去ってしまう。



「高坂、これを」


「相お坊ちゃま!?」



 ポケットから取り出し、俺はそれを高坂に突き出した。

 それを見て戸惑い驚いている。

 俺が出したのは、それだけの効果を持つものだった。


 この世界では、主人が従者に渡すものの種類によって特別な意味が含まれる。

 俺が高坂に渡そうとしているのは、ハンカチだった。

 そこには五十嵐家の家紋が刺繍されていて、長年愛用してきたものである。


 主人が使用していたもの渡す意味。

 そこに家紋が入っていれば一つしかない。


 一生、死んでも俺に仕えて欲しい。




「私にはもったいありません! 恐れ多いですし、もらえる立場じゃ!」


「これで、俺の覚悟も伝わるだろう」


「しかし、この契約は交わせば二度と破ることが出来ません!」


「分かっている。だからこそだ」


「……相お坊ちゃま」



 この主従契約を破ろうとすれば、待っているのは死だ。

 それだけ重要視されていて、意味が重い。

 一生を背負う覚悟があるからこそ、俺は渡そうとしている。


 諸々の手続きをする必要はあるが、とりあえず高坂がハンカチを受け取れば成立する。



「難しいことは考えないで、とりあえず受けとってくれ」



 それでも高坂は迷っていた。

 この契約を結んだあとのことを考えているのだろう。そしてそれは自分のことではなく、俺の未来のことだ。



「……私の命をかけて、相お坊ちゃまをお守り致します」



 結局、高坂は受け取ってくれた。

 その覚悟を決めた顔に、俺は良かったと、心の底から安堵した。

 高坂がいなかったら、絶対に俺は壊れていたはずだ。


 絶対に離れないという誓いで救われたのは、案外俺の方だったのかもしれない。

 ハンカチだけでなく、もっと他にも用意した方がいいかもしれない。感謝の気持ちは、どんな物にも変えられないのだから。





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