第121話 三千花と桜小路の怒り






「どうして、私が怒っているのか分かるかしら?」


「わ、からないかな?」


「へー、そう。分からないのね」


「わ、悪い?」


「それじゃあ駄目だよー。僕にだって分かるよねー」


「この子にだって分かるのに、あなたには分からないのは、一体どういうことかしら」



 ものすごく怒っているのは伝わってくるが、理由を聞かれると困る。

 二人は今日話す前から、ここがゲームで俺の立ち位置がどうか知っていた。


 特に怒る理由が見つからない。

 何も答えられず、とりあえずごまかすようにしていたら、とてつもなく大きなため息を吐かれた。



「……どうして、もっと相談してくれなかったの」


「え?」


「私達はあなたの状況を知っていた。知っていてなお傍にいたのよ。それなのに、怖がっていたことを全然相談してくれなかったのね」



 三千花は俺の頬にそっと手で触れた。

 壊れ物でも扱っているような手つきに、俺を見る目は慈愛が含まれている気がした。



「そんなに頼りなかった自分が悔しいし、頼ってくれなかったあなたにも怒ってる。私はあなたに全てをさらけ出していたけど、あなたはそうじゃなかったの?」


「それは違う」


「でも、何も言ってくれなかったじゃない。いつか自分が消えるかもしれないって怯えて、私達のことだってゲームのキャラの一人としか見ていなかったんでしょ。心を許してなかったんでしょ」



 三千花は泣いていた。

 ポロポロと綺麗な目から流れる涙が、こんな時だけど、とても綺麗だと思った。



「僕だって、君の助けになったよー」



 後ろから桜小路が抱きついてくる。

 ひょうひょうしているように見えたが、聞こえてきた声は震えていた。

 抱きしめてくる腕の力も、絶対に離さないというばかりに強い。



「僕はあいつみたいに、ゲームを作った立場じゃないしー、どうしてここがゲームの世界だって分かったか聞かれると困るけどー、でも君のことはとても気に入っているんだよー。苦しい時には、助けになりたいと思うぐらいにはねー」


「そうだったのか……」



 掴みどころのない性格をしているから、嫌われていないとは思っていたけど、そこまで好かれているとも思っていなかった。



「君がこの世界から消えても構わないって、元々の五十嵐相にこの体をいつかは返すって、前に言ったことがあるでしょー。最初はたくさんの人に好かれているのに変な人だって思ったけどー、今は僕も引きとめる立場にいるからねー」



 そういえば、前にそんなに話をした覚えがある。

 あの時は、とにかく自分がこの世界で異質だと考えていたから、すぐに体を返したかった。

 でも、桜小路でさえ、それを引きとめたいと言ってくれている。



「そんなことを言っていたの。馬鹿じゃないの。あんたはあんたでしょ。五十嵐相で、私の理解者。かけがえのない存在よ。どこかに行くなんて許さないから」



 鼻の頭を赤くさせながら、三千花が泣いて睨みつけるという器用な行動をした。



「僕はここにいて、確かに存在していてー、ちゃんと生きているよー。君だって生きているんだよー」


「もしもゲームに終わりがあるとしても、そんなの関係ないわ。全部ぶっ壊して、私達の世界を作ってしまえばいいのよ。そうすれば消えるとか怖がる必要は無いでしょ」


「ぶっ壊すって、暴力的だな」



 でも三千花なら、それが出来そうな気がした。

 確かにもっと早く頼っていれば、こんなに怖がる必要はなかったかもしれない。



「ちゃんと二人には感謝している。二人の存在が無かったら、きっとどこかでパンクしていた。心の支えになっていたんだよ」



 五十嵐相というだけでなく、俺を知ってくれている。

 昔の俺の存在が消えずに済んだのは、知ってくれている人がいたからだ。

 そうじゃなかったら、今頃は昔のことを忘れていたかもしれない。



「二人がいてくれて良かった」



 心からの言葉だった。

 二人がいなければ、本当に俺はここにいられなかったと思う。



「それは私のセリフよ。あなたがいなかったら、私は自分の性格を偽って、生きているけど屍のような人生になっていたと思うわ」


「僕だって、自分が何者なのか、この世界をゲームだと思うなんて、一人だったら頭がおかしいんだってなってたかもー。会えてなかったら、今頃は病院行きだったりしてねー」


「私達は五十嵐相じゃなくて、あんたに救われたってことよ」


「そういうことー」



 温かい。俺達は、ちゃんとここに存在している。



「ありがとう」



 視界がぼやける。今日だけで、どれだけ泣くんだっていうぐらいに泣いている。

 体にある水分が、全部無くなりそうだ。



「これからも、あなたは私の一番の理解者よ」


「それじゃあ、僕の保護者ねー」



 三千花が顔を近づけてきて、頬にキスをした。



「あー! ずるーい! 僕も僕もー!」



 それを見た桜小路が騒ぎ、服の裾を引っ張ってくる。

 桜小路と俺の身長差だと、どんなに頑張っても踏み台がなければ顎にキスすることになる。

 キスされるのが分かっているのに、かがむのもなんだか恥ずかしい。

 でも断れば拗ねるのが目に見えているので、ゆっくりと中腰になった。



「これからもよろしくねー」



 そう言いながら、三千花がしたのとは逆の頬にリップ音を立ててキスをしてきた。

 両頬を押さえながら、また顔に熱がともるのを感じた。



「まだまだ後が詰まっているから、そろそろ行くわよ」


「えー! もう少しここにいたーい!」


「わがまま言うんじゃないの。さっさと歩きなさい」


「いーやー」



 三千花は。ここに残ると駄々を捏ねた桜小路の首を掴み、引きずって歩き出す。

 桜小路の声があまりにも悲痛で、思わず笑ってしまった。


 あの二人はなかなかいいコンビかもしれない。



 そういえば……三千花がいつも通りの話し方をしていたのに、今更ながらに気がつく。

 そう遠くないうちに、他の人の前でも自分を偽らずに済むかもしれない。



 寂しくはあるが、早くその日が来るのを心待ちにしていた。




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