第114話 休む時間





 宿のおもてなしは、さすがとしかいいようがないぐらい、きめ細やかな心遣いに溢れていた。今度はきちんと予約をして来たい。


 気ままな鬼嶋にも慣れていて、機嫌が悪くなる前に暇を潰せるものや興味が湧くものを提供した。あまりにも手馴れていて、段々とストレスを感じていないかと心配になってきた。


 ずっと部屋にいたら、俺達の存在を気にして働きすぎる。

 そう考えて鬼嶋を引き連れて、教えてもらった湖に行くことにした。

 嫌がるかと思ったが、案外素直に着いてきてくれる。困るようなわがままも言ってこないから、気を遣ってくれているのかもしれない。


 手を繋いで移動するのは、鬼嶋が勝手にどこかに行かないためでもあるが、その温もりに安心するからだ。

 それを分かっているようで、優しく包み込みように握ってくれる。



 湖は、宿から歩いて十分ほどのところにあった。

 おすすめされるだけあって、とても綺麗なところだ。

 空を反射しているのか遠くからだと水面が青い。でも近づけば透明に透き通っている。

 周りに建物や人工物が何も無いおかげで、現実を忘れて落ち着けそうだ。深呼吸をすれば、自然を体内に取り込んでいる気分になる。



「いい場所だな」


「だよねー。俺もここ好きー」


「来たことあるのか?」


「うん。いつも来て、ぼーっとしてる」



 鬼嶋にも現実逃避をしたくなる瞬間があるのか。当たり前のことなのに、なぜだか驚いてしまった。



「お気に入りの場所なら、俺は知らない方が良かったか?」


「なんでー? 別に俺のものってわけでもないしー。気に入ってくれる方が嬉しいよー」


「そっか」



 出会ってそんなに時間が経っていないのに、鬼嶋は俺にとってなくてはならない存在だった。



「ここ、綺麗でしょー」


「……ああ。とっても綺麗だ」



 地面には柔らかい草が生えていて、二人で腰を下ろす。

 陽の光を浴びて水面がキラキラと輝いている。空から飛んできた鳥が、獲物でも見つけたのか何度もつつく。

 それをじっと眺めるだけで、ほっと安心出来た。



「俺は……ずっと隠し事をしてきたんだ」



 隣に鬼嶋はいるが、誰に対してというよりは、ひとりごととして話す。



「隠し事があるくせに、人に裏切られたことを知って、相手が悪いんだと責めている。信用していなかったわけじゃない。いや……信用していたのなら、全部話しているか。話したら、みんないなくなると決めつけて逃げていただけだ」



 近くにあった小石を手に取り、そっと水面に向かって投げた。

 軽い音を立てて、波紋が広がる。


 俺のことを完全に教えたのは、三千花と桜小路だけだ。

 高坂にさえも言っていなかった。



「俺が隠し事をしているのに気づいていたはずだ。でも俺から言うのを待っていた。それに甘えていたのが悪い」



 高坂だけじゃない。

 今まで関わってきた人達は、みんなクセはあったが悪い人じゃなかった。

 本当のことを話せば、きっと力になってくれた。勝手に怯えて、逃げずに済んだはずだ。

 俺が全て悪い。



「あいちゃんだけが悪いわけじゃないと思うよー。泣かないでー」



 そう言われて、初めて自分が泣いているのだと気がついた。

 自覚すると涙が止まらなくなる。



「助けて欲しい時に助けを求めなかったのは、良くなかったかもしれないねー。でもこうなる前に、誰かが気がつくべきだったんだよー。あいちゃんが追い詰められていたのは、俺にだって分かったのにー」



 よしよしと口に出しながら、慰めるように頭を撫でられる。



「いつか話してくれるのを期待する。それだけじゃ駄目なんだよー。そのせいで取り返しのつかないことになる。今回みたいにねー」



 鬼嶋の言葉は優しい。

 俺を否定せず、甘やかしてくれている。

 その甘さに絆されてしまえば楽になるだろう。


 もう一つ小石を手に取り、今度は遠くに投げた。

 出来た波紋に連動するように、魚が動いたのだろう何個も波紋が広がっていった。



「でも俺が、話すべきだった」



 甘やかされるのは、まだ止めておこう。

 ここでその言葉を受け入れたら、俺はどこまでも甘えてしまう。



「きちんと話し合うべきだった。俺の置かれている状況、何に恐れているのか。俺の正体を。ちゃんと言えば良かった」


「正体って言うのは、本当はこの世界の人じゃないってこと?」


「っ。どうしてそれを?」



 さらりと言われて、俺は思わず息を飲んだ。

 誰が教えた。絶対に言っていないのに。

 それなのに、どうして知っているんだ。


 はくはくと意味も無く口を開いたり閉じたりして、俺は鬼嶋を凝視する。

 その視線を受け止め、穏やかな表情を浮かべている。



「俺はねー。なんでも知っているんだー。それこそ、あいちゃんよりもたくさんのことをねー。この世界にいる誰よりもー」



 どこか悲しそうで、そして慈悲深かった。



「ハルちゃんは、一体なんなんだ? 何を、知っているんだ?」


「それはねー。全てだって言ったらどうするー? 俺がこの世界の全てを知っていて、あいちゃんの置かれた状況も知っているて言ったら、俺のこと嫌いになる?」


「それは……」



 鬼嶋が何を言っているのか。

 それになんとなく気がついた俺は、どういう反応をするのが正解か分からず固まった。



「この世界を作ったのは俺なんだ」



 俺の答えを聞く前に、鬼嶋は決定的な言葉を言った。

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