第113話 逃亡






 今俺は、鬼嶋と一緒に学園から遠く離れた場所にいる。

 二人だけで逃げたわけではなく、鬼嶋の家を利用させてもらった。



 あの後、たぶん顔色が真っ青でフラフラになりながら戻ってきた俺を、鬼嶋は何があったのか聞かずに抱きしめてくれた。



「どこに行きたい?」


「……どこか、遠くに、連れて行ってくれ」


「分かったー」



 俺はもう何も考えたくなくて、逃げる選択をした。






「……これで良かったのかな」



 鬼嶋が手配したリムジンに乗って、流れていく景色を眺めながら呟いた。



「いいんだよー。逃げたい時に逃げておかないとー、パンクしちゃうよー」



 ボロボロになった心を気遣ってか、手を握り優しい言葉をかけられた。


 どこか遠くというあいまいな願いだったが、目的地は決まっているらしい。

 でも教えてもらっていない。別にそれでも良かった。




 スマホは置いてきた。

 ネックレスはつけているけど、電源は切ってあるので、向こうから場所を特定出来ないはずだ。


 鬼嶋は機嫌がいい。

 鼻歌交じりにお菓子を食べていた。

 一緒に逃げてから、ずっと楽しそうだった。

 理由を聞いてみたら、たくさんの人がパニックになるのが面白いという答えが返ってきた。


 俺がいなくなったのは、きっと気づかれている。

 どれぐらいのパニックになっているか分からないが、それが楽しいというなんて性格が悪い。



「ハルちゃん、巻き込んでごめんな」


「えー、なんで謝るのー。別に俺もやりたくてやっているんだから。無理やりじゃないしー。そういう時は、ありがとうって言うんだよー」


「そっか。……ありがとう」


「どういたしましてー」



 鬼嶋がいてくれて良かった。

 そうじゃなかったら壊れていたはずだ。


 高坂は、最後まで俺の味方だと思っていた。

 全てを話せていなかったが、一番信用していたのに。

 あそこにいたメンバーを思い出すたびに、胸が痛む。ズキズキ穴が空いて、そこから血が出ているみたいだ。



「今は楽しいことだけ考えようー。ちょっとした休みだと思えばいいんだよー」


「……そうだな。しばらく休みが無かったから、ゆっくりするか」


「そうそう。楽しんだ者勝ちだってー。……もうすぐ着くよー」



 鬼嶋の声に外を見ると、そこは林の中だった。

 もうすぐ着くと言っているが、一体何が待ち構えているのだろう。ものすごく楽しみだ。


 車がとまった。

 どうやら着いたようだ。

 ここはどこだ。ワクワクしながら扉を開けて、ここがどういったところか予想がついた。



「……温泉?」


「せいかーい」



 かすかに硫黄の香りがする。

 そして歴史を感じるような宿が見えた。古さはあるが、とてもいい年月の経ち方をしている。



「ここは?」


「うちが懇意にしているところー」


「なるほど」



 鬼嶋組が慰安旅行にでも使っているわけだ。

 懇意にしているのであれば、急に泊まるといっても受け入れられるか。

 予約をするのに一年待ちと言われそうな、人気があるだろう宿だ。



「急にいいのか?」


「いいのいいのー。貸切になっているから、ゆっくり休めるよー」


「貸切? ま、まさか俺のためとは言わないよな?」


「んふふー」



 否定しないのは、そうだと言っているようなものだ。

 俺のために誰かに迷惑をかけたのか。頭が痛くなってきた。


 後で従業員の人に謝っておこう。

 予約をキャンセルさせてしまった人に対しても、お詫びの品を何かしら用意しなくては。


 やることを頭の中に入れておいて、車から荷物をおろす。

 申し訳ないけど、もうキャンセルしてしまったのだから、ゆっくりさせてもらおう。



「お待ちしておりました。若坊っちゃま」


「久しぶりー」


「突然申し訳ありません」


「いえ。こちらを選んでいただき、誠にありがとうございます」



 出迎えてくれたのは、おそらく女将だ。

 いや他にも若女将と大女将もいる。従業員勢ぞろい、鬼嶋のおかげで大歓迎されていた。

 一緒に来た俺に対しても腰が低い。


 迷惑をかけたのはこちらなので、そんなに丁寧にされると罪悪感が湧く。



「お部屋にご案内致します」



 女将が俺達についてくれるらしい。

 貸切だから、全員でおもてなしされるのか。

 それは本当に申し訳なくなる。


 庭を見た時から細かく手入れがされているのには気づいていたけど、中に入ると圧巻だった。

 調度品や花の一つ一つにセンスがあり、値段も高そうだ。

 つまりは旅館も最高級。


 俺のせいで評判が下がらなければいいのだけど。



「今のシーズンは比較的人が少ないので、ゆっくり観光出来るはずです」



 申し訳ないという気持ちが伝わったのか、女将がフォローするように世間話を始めた。

 どこか緊張しているようなので、俺と女将で会話をする。鬼嶋は興味なさげだ。



「観光するとしたら、どこがいいでしょうか」


「そうですね……この季節ですと近くにある湖が綺麗です。泳ぐことは出来ませんが、足ぐらいまでは入ってもいいです。それに魚や、運が良ければ様々な動物を見られるはずですよ」


「それはいいですね。ハルちゃんも行く?」


「あいちゃんが行くなら行くー」


「後で場所をお教えしますね」


「ありがとうございます」



 ここまで気を遣ってもらったら、もっと嬉しそうにしないと逆に困らせてしまう。

 湖か。ゆっくりと考えるのには最適だ。


 逃げ続けられないとは分かっているけど、それでも今は現実逃避していたかった。




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