第95話 考えるべきこと
帰りたいという気持ちが足りなかった。
その事実を突きつけられて、俺はショックを隠しきれずにいた。
元の世界のことは、ほとんど何も覚えていない。自分が何歳で、どこに住んでいて、どうしてこの世界に来ることになったのかも記憶にない。
でもこことは違うところに、帰る場所があると、それだけを心の支えにして今まで頑張っていた。
その根底から覆された気分だ。
「……俺は、帰りたくないのか?」
帰りたいというのは上辺だけで、心の奥底ではここに残りたいと思っていたのか。それを読み取られて、この世界から出られなかったのか。
でも俺がいるべき場所じゃない。
仮にここに残りたいと思っていたとしても、本当の五十嵐相が戻ってきたら、この体を返すしかない。乗っ取ろうなんて、全く考えていなかった。
自分の気持ちが信じられず、どうしたらいいか分からず、桜小路と話をしてから塞ぎ込んでいた。
高坂や権守、みんなが心配してくれたけど、誰の言葉も慰めにはなってくれない。
むしろ声を煩わしいと感じるようになり、一人になるために逃げた
心配させるのは嫌だから、もちろん学園からは出ない。
それでも一人になれる場所を探し、さ迷っていれば、奥の奥の方にまで進んでいた。
学園に来てから一年以上経つのに、全く見覚えのない場所。
整備もされていないが、おかげで誰も周りにはいなかった。
ここでしばらく落ち込もう。
誰かが来ても気づかれないように、体育座りをして小さくなると、ぼーっと目の前の景色を眺めた。
風で木が揺れ、鳥のさえずり声が聞こえてくる。
自然を感じていれば、自分がどれだけちっぽけな人間なのかが分かる。
俺の悩みなんて大したものではなく、そして悩み続けているのが馬鹿らしい。
これから帰りたいと決めた時は、もっと強く願えばいい。
方法が分かる前と後では、気合いの入り方も違ってくるだろう。
考えてみれば、そんな単純なことだ。
いつまでもクヨクヨして、人に迷惑をかけるのはよくない。
「よし」
かなり迷惑をかけてしまった自覚はある。
特に高坂や権守は自分を責めていたから、二人のせいじゃないと伝えなくては。
どこに行くのかは伝えずに部屋を出たので、ヤキモキしているだろう。着いてくるな命令したのはやりすぎだった。
これ以上心配はさせたくないから、そろそろ戻るか。
俺は体育座りを止めて、立ち上がりかけた。
「やあ。こんなところで会うなんて奇遇だね」
「こじょう先生」
本気で驚いた。
誰もいないと気を抜いていたせいで余計にだ。
手をあげてこちらに来る古城は、奇遇だなんて言っているけど、こんな場所で会うのが偶然なはずがない。
俺に用があって、わざわざ話しかけてきたはずだ。
逃げる気はなく、中腰という姿勢から、また地面に座る。
まっすぐ来ると、許可を得ずに隣に座ってきた。距離も近い。
聞かれたとして断るつもりはなかったとはいえ、これはこれでなんとなくムッとする。
「今日は誰とも一緒じゃないんだね。お友達や護衛の人はどうしたの?」
「古城先生こそ、ここにはどうして?」
「何も考えずに散歩していたら、いつの間にかここまで来ていたんだ。そうしたら相君がいて驚いたよ。何をしていたのかな?」
「ちょっと考え事をしていた」
「そっか。いい答えは見つかった?」
どうしてここに来たんだろう。
俺の後をつけてきて、そして答えを出すまで待っていた。その理由が途端に気になり、俺は古城の顔を観察するように見た。
初めて会った時より、少し大人びていて感情を隠すのがさらに上手くなった。
味方なのか敵なのか、いまだに判断がつかない。
でもこんなにいいタイミングで来られると、弱った部分を出してもいいかと思う。
「答えは見つかった。混乱していたから一人になりたかっただけだ」
「そうなんだ。それなら良かった。たまには一人でゆっくり考える時間も必要だね。相君は頑張りすぎなぐらい、頑張っているからね」
「そうでもない」
「一人で考えてもどうしようもなくなったら、いつでも相談して。僕は相君の悩みだったら、どんなことよりも優先して聞くから」
地面に投げ出していた手に、そっと手が重なる。
握りしめてこないところが古城らしい。
「だから相君も、他の誰かじゃなく僕に言って話して欲しい」
桜小路も似たようなことを言っていた。
でもあれは、帰る時に限っての話だった。
古城は何を考えているのか分からないことを除けば、いい相談相手になってくれるだろう。
利があるか損になるかは、自分で判断すればいい。
「分かりました。何かあったら古城に話します」
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」
重ねられているだけだとむず痒くなって、俺の方から手を握った。
驚いたようにはねた手を押さえつけるように握り、こちらを見る視線には気づかないふりをした。
「相君は本当に不思議だね。気がつけば、深いところまで侵食している。そしてそれが全く嫌じゃない」
「そんなこと言ったら古城先生だって」
「空亜」
「え?」
「二人きりの時だけでいいから、古城先生でも、古城お兄様でもなく、空亜って呼んでくれないかな?」
その申し出の真意は読みとれなかったけど、珍しく緊張しているのが感じ取れたので、提案を受け入れることにした。
「呼び捨てはまだ無理なので、空亜さんでもいいですか?」
「さんもない方がいいけど、いつか呼び捨てにしてくれるのを待つよ」
「……空亜さん」
「うん」
口に出してみると、なんとなく胸が温かくなった。
そのまま心配になって探しに来た高坂や権守が来るまで、俺達は何も話さずに並んで座っていた。
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