第72話 古城の考え





 答えを間違ったか。

 何も言わず固まった古城に、殴ってでも逃げるべきかと考えていると、頬に添えられていた手が離れた。



「相君は危機感が無いように見えて、なんだかんだいって上手く立ち回るね」



 パッと不穏さの消えた古城が、両手を広げて後ろに下がっていく。



「えっと」


「いやあ、ごめん。自分ではそんなに怒っているつもりじゃなかったんだけど、腹を立てていたことに変わりはないから」



 今は軽く言っているが、あれは本気だった。

 もしも選択を間違っていたら、たぶんここに俺はいなくなっていた。そんな気がする。



「相君に会えたのが久しぶりだったから、少しはしゃぎすぎたね。驚かせてごめん」


「い、や。大丈夫。俺も、会えなくて、悪かった。忘れていたつもりはないけど、ただ忙しかったりして」


「分かっているよ。たくさん話は聞いていたから。たくさんね」



 嫌味に聞こえるのは、気のせいだと思いたい。でも、絶対にそうだ。



「古城先生は、最近なにか変わったこととかあったか?」


「変わったこと、特には無いかな。でも相君の活躍を聞くのは、とても楽しかったよ。本当にね」



 チクチクと皮肉を言われている。

 俺は顔を引きつらせながら、どうすれば機嫌を直してくれるとだろうかと考えてみた。

 多少のことでは絶対に直らないので、体を張るしかなさそうだ。



「古城先生、近寄ってもいいですか」


「いいよ。何をしてくれるの?」



 俺が機嫌をとろうとしていることを分かったのか、楽しげな雰囲気に変わる。もう機嫌が直ったんじゃないかと思ったが、許してはくれないだろう。



「何をしてくれるのかが、とても楽しみだな」


「目を閉じていてください」



 じっと見られているとやりづらいから、閉じるように頼めば、素直に言うことを聞いてくれた。それはそれで嫌だ。

 俺は緊張しながら近づくと、こんな機会だからとまじまじとその顔を眺める。


 しみやにきび、毛穴すらも見えない。

 まるで人形のように綺麗な肌をしていて、ずっと撫でていられそうだ。


 まあ俺だって、肌に関しては負けていない。

 高坂がそういうのを世話するのが好きなようで、勝手にケアをしてくれる。

 俺の肌は絶対に守る。よくそう言っているが、もっと他にやることがあると思う。



「まだかな?」



 観察するように眺めていれば、急かされてしまった。

 まあ確かに、あまり見ているのもよくないか。


 俺はそっと近づいて、つま先立ちをした。



「……これで勘弁してくれ」



 やっておいてなんだけど、やらない方が良かったと後悔する。

 急いで離れると、古城が勝手に目を開けていた。



「こっち見ないでくれ」


「それは嫌だな。今、何してくれたの」


「教えない」


「なにか柔らかいものが、触った気がするんだけど。あれ、何かな」


「知らない」



 機嫌を直してもらうために、頬にキスをするなんて、どこの子供だ。

 俺が何をしたかなんて分かっているくせに、わざわざ聞いてくるのも性格が悪い。


 絶対に自分からは言うものかと、頑なに視線をそらし続けた。





 ようやく追求を諦めてくれた頃には、俺は完全に疲れ切っていた。

 本当にしつこかった。途中で何度も言ってしまった方が早いかと考えたが、からかわれるだろう未来を想像して思いとどまった。



「ま。おいおいね」



 諦めたようで諦めていない言葉。

 絶対に言うものかと、心に深く誓った。



 ようやく機嫌を直した古城は、椅子に座るように促す。

 どうやら、まだ帰してくれるわけではないらしい。

 あまり遅くまで残っていると、他の生徒や先生に不審がられそうだ。


 それにたぶんだけど、俺の親衛隊は廊下で待機している。遅くなったら、絶対に中に入ってくる。



「あまり、時間はとれないけど」


「お茶を一杯、付き合ってくれるだけでいいよ」



 一体何を企んでいるのか。

 目の前に置かれたカップに、毒でも入っているのではと疑う。



「毒は入ってないよ。相君を傷つけるわけがないだろう」



 俺の考えはお見通しで、本当に中には何も入っていないようだ。

 早く飲んで退出しようとするが、熱すぎて一気に飲めない。絶対にわざとである。



「そんなに急がなくても。ほんの十分ぐらいでいいから。話をしよう」


「……話」


「そうだなあ。相君は、随分と友達が増えたみたいだけど、どうして人と付き合うようになったの?」


「そんなの当たり前だろ。学園生活を楽しいものにするために、一人なんて寂しい」


「相君は別に一人でも平気なはずだ」


「そんなことない」



 一人は怖い。

 一人で戦うなんて、生き残れない。


 そのために、どんな手を使ってでも周りに人を集めているのだ。

 でもそれが、古城は気に食わないらしい。


 せっかく機嫌を直したのに、一瞬表情を歪めた。



「どうして……相君には、僕がいればそれだけでいいじゃないか」


「何を……」


「どうしていらない人間を増やすんだろうね。どうすれば、君はひとりぼっちになってくれるんだろうね」



 これはまずい。

 ゲームの古城ルートに入った時のようなセリフに、今日一の危機を感じて、俺は火傷をするのも構わずにお茶を一気に飲んだ。



「用事を思い出した! また会いに来る!」



 とりあえず逃げよう。

 そう思って、目のハイライトが消えている古城を置いて、教室から飛び出した。


 やっぱり廊下で待っていた親衛隊の一人と激突しそうになり、何があったのかと心配されたが本当のことは言わずにごまかしておいた。



 古城は追いかけてこなかったから、そこまで本気ではなかった。そう思いたい。






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