第64話 親衛隊の変人
「そんなに噛みしめていたら、唇切れちゃうよ」
唇に指が触れ、そして撫でられる。
それは自分の指ではなく、隣の人のものだったのに嫌だとは思わなかった。
「もしかして気分が悪い? それなら保健室に連れていくけど」
「だいじょうぶです」
「大丈夫そうには、とても見えないんだけどね」
確かに、実際は大丈夫じゃない。
今にもこの場をめちゃめちゃにするために、暴れだしたい気分だ。
俺のためだと言っているが、どこが俺のためになっているのか教えてほしい。
孤立させて、そのくせ自分達も近づいてはこない。
それの何が、有意義な学園生活というのか。
向けられているのが、純粋な好意とはとても思えなくて、今度は拳を握りしめた。
菖蒲の話は続いている。でも耳に入ってこない。理解するのを拒否しているのかもしれない。
「緊張している、にしては様子が違うね。何か怒っている?」
隊長が話している真っ最中なのに、どうして隣の人は俺と会話をしようとするのだろう。
それに、正体を見透かそうとでもしているのか、観察されているような気がした。
「怒っていないですよ。ただ圧倒されているだけです」
「ふーん。そういえば、まだ質問に答えてもらっていなかったよね。君はどうして、親衛隊に入ろうと思ったの?」
しつこい。
俺が答えたくないのを分かっているくせに、まるで古城のような性格の悪さだ。
「ねえ、どうなんだい?」
「そういうあなたは、どうして親衛隊に入ったんですか。見た感じ、好きで入ったようには思えないんですが」
質問に質問で返すのは良くないが、この人とはもう関わることもないだろうしいいだろう。
実際に気になってもいた。
どう見ても、俺を好きで入ってきた他の人とは違う。
なにか別の目的があって、そのために入ったような感じがする。
「俺? 俺はもちろん、五十嵐相様のことがだーいすきさ」
「なんだか嘘くさいですね」
「何言っているんだ。俺ほど熱心な人間は、他にいないよ」
そう言って向けた視線の先には、菖蒲の姿があった。この一連の動きだけで、俺は察した。
「隊長のために入ったみたいですね。もしかして好きなんですか」
息を飲む音。
少しでも動揺させられたのだとしたら、追い詰められていた身としては嬉しい。
「図星みたいですね。自分のことを棚に上げて、俺にとやかく言わないでください。答えたくない質問には、答えるつもりはありませんから」
もう興味が無くなったとばかりに、視線をステージに移す。
先輩に対して失礼な真似だったが、相手は俺を敵だと思っているから、これぐらい可愛いものだろう。
ふんっと鼻を鳴らしていると、短く息を出す音が聞こえてきた。
泣いているように聞こえるけど、絶対に笑っている。
そんなにおかしなことを言ったつもりは無い。
構わず無視しても、まだ笑い続けているから、諦めて相手をすることにした。
「何をそんなに笑っているんですか。失礼ですよね」
「君、なかなか面白いね」
ツボに入っているのだろう、お腹を抱えて笑っている。
「すっごく興味が湧いてきた。ねえ、名前教えてよ」
「知らない人に教えたくありません」
「いいねいいね。ますます興味が湧いてきたよ。どうしてこんなに面白そうな子を見逃していたんだろう」
なんとなく、なんとなくだけど獲物を見るような、そんな目をしている気がする。
俺はその視線から逃れるために、そっぽを向いた。
「あらら。嫌われちゃったかな。でも、本当にいいなあ。こんな気持ち、君で三人目だよ」
「それは光栄ですね」
「全くそう思っていないくせに」
「バレましたか」
三人というのは、菖蒲と俺の一体誰なのだろう。
「本当これから楽しい学園生活になりそう」
「……俺は全くそうは思わないです」
変な奴に目をつけられてしまった。絶対に面倒くさい。
偵察するのは、今日で最後にした方が良さそうだ。
俺はそれからも話しかけてくるのを無視して、集会が終わったらすぐに会場から逃げ出した。
追っては来なかったけど、嫌な雰囲気がまとわりついていて、しばらくは大人しくした方がいいのかと思った。
「それで、特に収穫なく帰ってきたの?」
「うるさい」
「駄目ね。でも、ちょっとその生徒のことが気になるわ」
「気になるって、ただの変な奴だけだぞ」
「そこよ。そんな性格だったら目立ちそうなものなのに、全く誰だか検討がつかないのがおかしい。茶髪に眼鏡って言っていたわよね」
「ああ。ものすごく分厚すぎて、逆に見えなさそうだった」
「もしかして、あなたと同じように変装だったんじゃないかしら」
三千花の言葉は、確かに納得の出来るものだった。
あれで生活していたら、絶対に目立つ。
それなのに誰だか分からないとなれば、変装していた可能性が高い。
「ムカついていたのなら、全部奪い取って素顔を見れば良かったのに」
「……そんなことしたら、俺の正体がバレていたかもしれないだろ」
「あら。それはそれで楽しかったんじゃない?」
完全に他人事として楽しんでいる。
確かに誰だかわからない今、誰に気をつければいいのかという目印がない。
もう二度と会うことはないように。
そう思うとフラグになりそうだが、願いたくなるぐらいには、底知れない不気味さがあった。
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