第45話 桜小路との筆談






『中身が違うとは?』


『前と顔が違う』


『見えるんですか?』


『当たり前じゃん』


『それは他の人も?』


『僕だけだと思うよ。どうしてかは分からないけど』


『俺みたいな人に会ったことはありますか?』


『初めてかな』



 筆談だから時間はかかったけど、何とか話を進めることが出来た。

 どうやら桜小路の視界では、俺の姿は五十嵐相として映っていないらしい。

 それは、昔の俺の姿が見えているということだ。


 どうしてそうなったのかは、本人も分からないらしい。

 他に俺のように変わった人もいないから、比較することも出来ない。



『俺のこと誰かに言いましたか?』


『言ってないよ。話したら困るでしょう』



 確かに困る。ものすごく困る。


 俺が偽物だと知っているのは、桜小路を除けば三千歌だけだ。

 家族や高坂でさえ、俺が更生して性格が変わったと思っている。


 もしバレた時は責められるのだろうか。

 逆に自分が同じ立場だったら、どう思うだろう。

 家族や主人だった人の中身が、全く知らない人に成り代わっている。

 騙されたと怒られたとしても、仕方の無い話だ。



『君は誰?』


『それは、よく覚えていないんです。五十嵐相じゃなかったことだけは確かなんですが、どこで産まれて自分は誰なのか、そういった記憶は無いんです』


『それは大変だね』


『そうなんですかね』



 確かに大変かもしれないけど、自分で戻れるものでもないから受け入れている。



『元の体に戻りたい?』


『はい』


『この世界にいる大事な人と別れることになっても?』



 俺はすぐに返事を書けなかった。

 最初から戻りたいと願っていた。でも、戻った後のことは全く考えていなかった。


 俺のいた世界では、ここはゲームの世界である。

 すでに色々と変えてしまっているのに、無責任に放り出していいのか。



『本物が戻れば、きっと上手くおさまりますよ』


『本当にそうかな?』



 納得いってないみたいだけど、そういうものだ。

 それにみんなも偽物より、本物の方がいいに決まっている。



『そう思うのなら、他の人には本当のことを話さない方がいいかもね。あまり未練を残すと、返してもらえなくなるよ』



 それはどういう意味かと聞こうとしたが、ちょうど高坂が近寄ってきたので中断せざるを得なかった。

 俺はメモ帳の文字が見えないように、手で隠しながら遠ざける。



「どうした高坂?」


「そろそろ一時間経ちますが、延長なさるのですか?」


「もうそんな時間か」


「それなら僕は帰ろうかなー。またお話しようねー」



 もう少し延長しても良かった。

 でも当の本人である桜小路は帰ると言ったから、無理には言えなかった。



「高坂、桜小路さんに土産を包んで持たせてくれ」


「かしこまりました」



 高坂が来なければ、もう少し話が出来たのに。

 でも俺の勝手なわがままで、桜小路の時間を取らせるわけにはいかなかった。仕方がない。



「桜小路さん。またお話しましょう」


「うん、いいよー。今度は俺のおすすめのお菓子を持ってくるねー」


「楽しみにしています」



 ヒラヒラと手を振る桜小路に、俺も振り返した。

 まさかの事態は起こったが、それでも彼に負の感情を抱くことは無かった。

 むしろ、どこかスッキリとした気分だ。



 帰りは桜小路の家の使用人が、額に汗をかきながら迎えに来た。

 自由人のお世話をするのも、なかなか苦労しそうだ。

 もしかして高坂も俺の世話をしていて、そう思っているのだろうか。


 近くで立ったまま、動かない高坂の顔を見る。

 その場で指示を出していたから、よほど動きたくないらしい。



「相お坊ちゃま、いかがなさいましたか?」


「いや。今日もありがとうな。二人とも、高坂の淹れたお茶を褒めていた」


「恐悦至極です」



 桜小路とのやり取りを書いた紙を処分したいから、少し離れて欲しいのだが全くどこかに行く気配がない。



「桜小路様とは、どういったやりとりをなさったのですか?」



 どうやら気になっていたらしい。

 急に話を筆談に変えれば、何事かと思うのも無理はない。

 でも見せるわけにはいかなかった。



「見せたいところだけど、二人だけの秘密だから教えられない」



 隠していた紙を、中身が見えないように裏返しにしながら懐に入れた。

 視線が追っているのは感じたが、絶対に見せることは無いから無視する。



「……承知致しました」



 悲しそうな顔をされても駄目だ。

 ほだされそうになる心を鬼にして、テーブルの上を指す。



「今日はもう終わりだ。片付けて別館に帰ろう」



 完全に話題をそらしているのは、高坂にはバレバレだろう。

 それでも何も言わずに片付けを始めたから、俺の罪悪感が大きくなった。



 今はまだ、本当のことを言えない。

 高坂のせいではなく、ただただ俺が弱いだけだ。

 口で謝罪したところで意味が分からないだろうから、心の中で何度も謝る。


 その時がきたら、必ず話すから今は許してくれ。



「高坂」


「はい、いかがなさいましたか」


「悪い」



 片付けをしていた高坂は、その手を止めて俺を見る。



「謝罪などなされなくても、私は相お坊ちゃまを信じておりますから」



 優しい言葉が、とても辛かった。






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