第43話 山梔子の苦悩と




「えっ、ごめん、お茶熱かった? それとも俺が何かしちゃった?」



 ボロボロと何も言わずに涙を流す山梔子に、俺は慌てることしか出来ない。

 高坂が近寄ってこようとしたが、これは俺が解決するべき問題だと手で制した。



「何か嫌なことをしてしまったのなら謝ります。でもわざとやったわけではなく」


「違うんだっ」



 とにかく謝るしかないと言葉を重ねていれば、山梔子が口を開いた。



「ただ、今まで、こうして普通に褒められたりっ、純粋に優しくしてもらったことがなくて……」



 涙ながらに伝えてくる言葉に、俺の胸がぎゅっと痛くなる。


 山梔子は次男で、優秀な兄といつも比べられていた。

 山梔子だって出来る方だが、さらにその上の段階を行くから、出来損ないのレッテルを貼られてしまったのだ。


 どうしてこんなことも出来ないのか。お前と同じ歳の時には、すでに兄の方が出来ていた。他の子に比べて成長も遅い。全く誰に似たんだ。


 こういった言葉ばかり言われて、まっすぐな人間に成長する方が難しい。

 山梔子は体が成長し、周りから評価を受けるようになっても、その賞賛の声を素直に受け入れられなくなっていた。


 そうして高校生になった時には、兄がなった生徒会長ではなく、それに対抗する風紀委員長を選んだ。

 たくさんの人に囲まれながらも心を開くことなく、痛めつけられた心を持て余して苦しんでいた。


 その傷に気が付き、寄り添い癒したのが月ヶ瀬だ。

 ゲームのシナリオ上、仕方ないとしても月ヶ瀬にとって都合のいいように進みすぎである。



 今はたぶん、周りから色々と言われているピークの頃だろう。

 このままだと山梔子は、いずれ一度壊れる。

 そうすれば、俺にも付け入る隙がある。

 でも、とてもそれを見過ごすことなんて出来なかった。



「秀平さんは、とても凄い人ですよ」


「俺が凄い? お世辞なんて別に」


「お世辞なんかじゃないですよ。このティーセットだってそうです。ガーベラを選ぶ気配りって、細かいことに気がつく人じゃないと出来ないです」



 どうして山梔子の周りの人は、ちゃんと彼自身のことを見ないのだろう。

 どう見ても山梔子は優秀だ。

 環境がそうさせたとしても、ここまで追い詰める必要は絶対に無かった。

 認めるべきところを認めないで、比較ばかりするのは愚か者だ。



「秀平さん、俺本当にこのプレゼントが嬉しかったです。だからもっと話してみたいと思って、この機会を設けました。あなたと仲良くなりたいんです」


「でも俺よりも兄の方が優秀で」


「俺は一緒にいたい人と仲良くなりたいです。能力とかどういうのは関係なく」



 もう泣かないで欲しい。

 俺の境遇と重なるところがあって、仲間意識のようなものが芽生えていた。



「決めました。秀平さんとはここで終わる関係にしたくありません。これからも仲良くしませんか?」


「俺と?」


「はい。……友達になろうとしているのに、こんな堅苦しいのは良くないですよね」



 俺は彼に向かって手を差し出す。



「友達として、よろしくの握手をしましょう」



 これで山梔子に断られれば、また諦めずに何度もアタックすればいい。


 強制せずに待っていれば、おずおずといった様子で手が伸びてきた。



「……こんな俺で良かったら」



 繋いだ手は温かかった。



「はい。よろしくお願いします」



 これから本当に仲良くなれるかは、まだ誰にも分からない。

 でも今は、このいずれ成長する小さな手の持ち主を悲しませることだけはしたくないと、そう強く心に感じた。








「まあ……上手くいったのか?」



 帰っていく際の山梔子の表情は、とても穏やかだった。


 でもあれだけの心の傷を、たった一時間程度で癒せたとは思えない。

 想像しか出来ないが、傷はとてつもなく深い。

 完全にその呪縛から解き放つには、根気と時間が必要だ。


 連絡先を交換し、また遊びに来てもらう約束をした。その先は俺の頑張り次第といったところだ。



「相お坊ちゃまは、とても良かったと思いますよ。私はあの方と親交を深めるのは賛成です」


「高坂がそこまで褒めるなんて珍しいな」


「あの方のことは噂で聞いておりました。酷いことだとは分かっていても、手出しすることは出来ませんでした。ですが今回相お坊ちゃまがお茶会に呼ぶとおっしゃった時、何かを変えてくれるかもしれないと期待したのです」


「そうか……それほど酷かったんだな」


「どこの家でも隠してはおりますが、何かしらの闇を抱えています。この家もそうだったでしょう」



 確かに、今俺は状況を変えようとあがいているけど、もしも何もしなかったら父や兄達と関わることはなかっただろう。

 山梔子と同じぐらい悲惨な状態だった。



「相お坊ちゃまのおかげで、山梔子様もいい方向に進むでしょう」


「それはまだ分からないさ。俺はまだはじめの一歩を踏み出しただけで、これから上手くいくかは分からない。でも、いい方向にいけばいいな」



 高坂がお茶を淹れようとしたので、まだ駄目だと止めた。



「もうすぐ次の方がいらっしゃる時間ですが」


「いやいいんだ。たぶんものすごく遅れてくるだろうから」



 一時間、二時間かからなければいいが。

 山梔子が上手くいったので、焦らないように俺はのんびりと待つことにした。





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