第39話 古城の本気
天王寺の唇が触れた指先が、まだ熱を持っている。
あの後、一時間が経つまで天王寺は目を覚ますことなく、俺は高坂を説教しながら看病をした。
もしも目を覚まさなかったら、高坂が責任を負わされる。それを心配しているのに、全く反省していなかった。
目を覚ました時は、ほっと安心した。
なぜ自分が気絶したの本人は分かっていそうだったけど、追求はしてこなかった。
「また今度、一緒に会おうな」
時間延長を望まず、果たされるかも分からない次の約束をすると、名残惜しさのかけらもなく去っていった。
もしかしたら粘られると覚悟していたので、そのあっけなさに俺の方が驚いた。
「相お坊ちゃまは、あの方を気に入ったのですか?」
「気に入ったというよりは、少しだけ評価を変えることにした」
天王寺が帰ってからも機嫌の悪い高坂は、俺の考えが気に入らないようだ。
眉間にしわを寄せて動きも雑、というか苛立ちを隠しきれていない。
「これからも会うおつもりなら、危機感だけは持っていてください。なりふり構わなければ、強硬手段に出られるかもしれません」
「でもそれは犯罪だ。さすがにそこまではしないはず」
「相お坊ちゃまは、必死になった人間が何をしでかすか分かっていません。愚かな行為だと本人が自覚していても、時に損得考えずに行動してしまうものです」
高坂の言いたいことも分からなくはなかった。
「それじゃあピンチの時は、高坂が守ってくれ。高坂がいてくれれば、誰も手出しできない」
「相お坊ちゃま」
機嫌を直してもらうのが目的だったが、どうやら上手くいたようだ。
「その時は、この研ぎ澄ませた刃で敵を殲滅いたします」
「いや、そこまでは望んでいない」
バーサーカーにでもなるつもりか。
一体どこに向かっているのか不明だが、こんなに心強いものはない。
「午後の予定はどうなさるおつもりですか?」
「変わらず、古城とお茶会をする。俺はそこまでやわじゃない。平気だよ」
「何ございましたら、すぐにおっしゃってください。私の命に変えてもお守りいたしますから」
「そんな事態にはならないよ。たぶん、きっと」
はっきりと言えなかったのは、大丈夫だという保障がなかったからだ。
「それで? どういうことかな相君?」
駄目かもしれない。
目の前で笑う古城は、今までにないぐらいに恐ろしい雰囲気をまとっている。
それは俺に怒っているというよりは、違う誰かに対してだった。その誰かは何となく予想出来る。
「僕より先に天王寺に会ったらしいね。一体何を言われた?」
「なにって別に。取り立てて言うようなことは」
「本当かな? 懇願でもされたんじゃないの。結婚してくれって。それで心動かされた」
断定する言い方は、まるでその場面を見ていたかのようだ。
古城ならありえるから、笑い飛ばしてごまかせない。
「心なんて動かされていませんよ。なんでそんなことを言うんですか」
「そんな表情を浮かべているから。なんだか心を動かされているみたいだ。可愛いけど、その表情にしたのが僕じゃないのなら、嫌な気分だな」
そんな表情というのは、一体どんなものなのか。頬に触れてみるが全く分からない。
「天王寺と婚約するの?」
「どうして、そんな話になるんですか。しませんよ」
「本当に?」
なんだかしつこい。
俺はカップに口をつけて、そして古城を見た。
こちらを見つめてくる視線は、俺がごまかしたり嘘をつくのではないかと監視している。
「本当です」
「でも今回のこれは、婚約者を探しているって聞いたよ。名目上は、パーティーのお詫びだって言っているけど、本当は違うんだろう?」
さすがに裏の意味には気づかれるか。
他の人の中でも、察している人は多そうだ。
「古城お兄様、一つ勘違いしておられます。このお茶会は、婚約者を見つけるためではありません。俺の友達を作るためです」
勘違いさせたままにしていると、古城の場合は後が怖い。
俺ははっきりと違うことを伝える。
これで納得してくれるはずだ。そろそろ怒りを鎮めて欲しい。
天王寺の時よりも遠い距離で、刀をすでに構えている高坂が見えて、それを使う前に当たり障りなく終わりたかった。
「友達、僕だけじゃ足りなかった?」
あれ。まだ怒っている。
というよりも、怒りが増しているみたいだ。
「相君には僕だけいればいい。そう思うんだけど違う?」
絶対に違う。
古城だけいればいいなんて、どんな世界だ。
「冗談、ですよね。ははは」
「僕は本気だよ、って言ったらもう会えなくなるのかな。それは嫌だな。このまま連れ去ってしまおうか」
テーブルの上で、古城が手を握ってきた。
力は強くないはずなのに、外すことが出来ない。
「連れ去って、誰にも見られない部屋に閉じ込めて、僕だけがお世話をする。それって、とても素敵なことだ。僕だけのもの」
恍惚の表情を浮かべ、そして手の甲を隅から隅まで確認するように、手の指紋から爪を、そしてささくれまで逃さないとばかりに触れられた。
ただそれだけのことなのに命の危機を感じて、俺は高坂を呼ぼうと合図をしようとした。
「ま。それは冗談。もう一時間経ったね。これからも仲良くしてもらいたいから、そろそろ帰るよ」
でもその前に、いきなり手が離れて古城は立ち上がった。
見送らなければと思うのに、足に力が入らない。それに気づいているのか、古城は俺の頭を撫でた。
「僕も君と婚約したいと思っているのを忘れないでね」
口調は軽かったが、冗談ではないと理解した。
どうやら思っていたよりも、俺は随分と古城に好かれているらしい。
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