第36話 俺の婚約者






 こんやくしゃ。

 婚約社婚約舎……婚約者?


 俺の頭の中をぐるぐると言葉が飛び回って、そして婚約者という文字で占められた。



「婚約者って……誰のですか?」



 これが現実逃避の質問なのは自覚している。

 それでも、万が一にでも古城の婚約の可能性にかけたかった。



「なんだ恥ずかしがり屋さんか。それとも、わざと駆け引きしているのか。俺とお前に決まっているだろ」



 全然決まっていない。

 俺は了承した覚えなんて、ちっともない。


 まさか俺の知らないところで、勝手に話を進められたのか。

 天王寺家と五十嵐家が子供の婚約という形で手を組めば、事業をさらに拡大させられる。

 お互いにとってメリットの多い話だ。父が勝手に進めていたとしても、なんの不思議もない。



「ほんとうに?」



 俺は未だ信じられなくて、天王寺に確認する。



「そうだ。聞いていなかったか?」



 聞いているはずがない。

 それに古城が驚いていたということは、この話は公になっていないのだろう。

 早く父に確認したかったが、腕の中から出られない。


 そうしている間にも、俺と天王寺の状態に注目が集まっている。変な噂を立てられる前に、早く抜け出したかった。


 高坂も近くにはいるのだけど、さすがに手を出させるわけにはいかないから、視線でその場に留まるように命令した。

 ものすごく嫌がっているし、拳も強く握りしめているが、俺の言うことをきちんと守っている。



「随分と元気だな。でも、噂に聞いていたわがまま具合は無いな。ますます気に入った」



 こっちは気に入られたくない。そんな俺の気持ちを代弁するかのように、ようやく古城が動いてくれた。



「調子に乗りすぎだね。相君が嫌がっているんだから、そろそろ離れてくれないか」



 離れろと言いながら、べりっと俺と天王寺を引き剥がして、そして今度は古城の腕の中に移動させられる。



「大丈夫だったかな、相君。怖かっただろう」


「えっと、大丈夫です」



 俺からすれば、抱きしめてくる相手が変わっただけで、状況は同じだ。

 それに古城の方が得体がしれないから、余計に怖い。まだ天王寺の方が、からかっているだけの可能性もあった。



「おい。俺の婚約者にベタベタ触っているんじゃねえよ。返せショタコン」


「婚約者なんて話、全く聞いたことが無いから、どうせ嘘に決まっているよ。でもさすがに、これは言ってはいけない嘘だ」


「はあ? 嘘じゃねえよ」



 誰でもいいから助けてくれ。

 俺は父と兄達に、必死に助けを求める視線を送った。


 この状況に今まで気づかなかったぐらい話が盛り上がっていたようだが、ようやく父がこちらを見た。

 目を見開き驚いた表情を浮かべた父は、話を切り上げて早足で向かってくる。



「古城君、それと天王寺の帝翔君だったか。一体何をしているんだ」



 じろりと睨みつけるような鋭い目。それは古城にも天王寺にも例外なく向けられていて、婚約者の話の信ぴょう性が失わせた。



「何って、親交を深めているんですよ。婚約者様と」


「婚約者?」


「父から連絡がいっているはずですが。婚約の打診。まさか知らないとは言いませんよね?」



 どうやら、天王寺は婚約者候補ということらしい。まだ成立している関係じゃなくて良かった。



「そういえば、そんなくだらない話が出ていたな。あまりにもくだらなすぎるから断ったはずだが、その話は伝わってないのか?」


「まさか断ったんですか。この婚約にはメリットしかないのに」


「メリット? デメリットの間違いじゃないか?」



 父が婚約に賛成しているわけじゃなくて安心した。むしろ反対みたいだ。

 それなら、どうして婚約とかそういう話になったんだろう。



「天王寺家を断って、一体どうするつもりですか? 他に良縁なんて望めそうにないでしょう」


「なにを馬鹿なことを。婚約者なんて、まだ早すぎる」


「このぐらいの年齢で婚約しているのは普通です。むしろ遅すぎるぐらいだ」



 確かに政略結婚なら、もっと早くに婚約することが多い。

 物心つく前から、むしろ生まれた時から結ばれる場合だってあった。



「うちには関係のない話だ」



 五十嵐家はその点を考えると、とても異質かもしれない。長男でさえ、未だに婚約者は決められていないからだ。

 でもそれはゲーム時点で結婚していたら大変だと、補正されている可能性はある。


 そういえば、ゲームの中で俺に婚約者はいたのか。説明があったかどうか、全く覚えていない。

 もしいたとしたら、俺は見捨てられたわけになる。それなら思い出さない方が良いか。



「古城君は、いつまでそうしているつもりなんだ」



 天王寺と父の話に気を取られていて、自分の今の状態をすっかり忘れていた。

 大人しく抱きしめられていたなんて、しかもそれを大勢の人に見られていたなんて、あまりにも恥ずかしすぎる。



「ああ、すみません。抱き心地が良くて。それにしても興味深い話をされていましたね」


「君には関係ない」



 父は切り捨てたが、俺は古城が何を言おうとしているのか、なんとなく分かってしまった。



「いえ。今度僕の家からも、婚約の打診をさせていただきますので、これから当事者になる予定です」



 ただでさえ天王寺の件で頭が痛いのに、場をめちゃくちゃにして楽しむ気のようだ。

 本当に性格が悪い。





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