第17話 俺の中で壊れたもの






 怒鳴り声が聞こえた時に、怒られる覚悟はしていた。

 でもまさか、問答無用で叩かれるとは思ってもみなかった。


 頬を押さえてうずくまる俺は、地面を見つめた。


 地面にはアリの行列がいて、邪魔にならないように手の場所をずらした。



「何しているんですか!!」



 突然叩かれた俺を心配し、詰め寄っている声が聞こえる。



「あなた、五十嵐君……まさか」


「ああ、そうだ。これは俺の息子の一人だ」


「でも、どうして叩いたんですかっ」



 俺はのろのろと顔を上げた。

 そこには月ヶ瀬と親、そして父と兄二人がいた。

 月ヶ瀬達を守るように俺との間に立ち、そして冷たく睨みつけてくる。



「ここで何をしているんだ」



 それはこっちも聞きたい。

 きっと駅での俺の目撃情報から、ここに来ることを確信して先回りをしたとか、そんなところだろう。


 そして俺と月ヶ瀬達が一緒にいるのを見て、カッとなった。

 もしかして危害を加えるとでも勘違いしたのだろうか。

 その可能性は、かなり高そうだ。



「どうして、この人達と一緒にいる」



 俺は思わず笑ってしまった。面白くてじゃなく、息を吐くのと同じように、自然と出たものだった。

 でも相手は、そう受け止めない。



「何がおかしいんだ!」



 俺が馬鹿にしたとでも受け止めたのか、父がまた手を振りあげた。



「止めてください!」



 その後ろで必死に止めようとしているが、力の差が歴然としていて、全く邪魔になっていなかった。

 先ほどの叩かれた部分は、ジンジンと熱を帯びている。同じところでも、反対のところでも、あの勢いで叩かれたら痛くてたまらないだろう。


 それを覚悟して、俺はスローモーションのように手がこちらに向かってきているのを、じっと目をそらさずに見ていた。


 でもその手は、俺に当たることはなかった。

 俺と父の間に、人が出てきたからである。



「だめ!」



 背中しか見えなかったけど、俺と同じぐらいなはずなのに、とても大きく感じた。

 その背中は震えていて、絶対に怖いはずなのに立ち向かってくれているのが分かった。

 なんて優しいのだろう。



「は、はは」



 さすが主人公だ。俺とは格が違う。

 口から笑いが止まらない。涙が出てきそうだったけど、ここで泣いたところで誰がなぐさめてくれるというのだ。

 手のひらに爪をくい込ませて、必死に泣くのを耐える。


 俺はもう狂ってしまったのかもしれない。笑いが止まらなくて、胸が切り裂かれたように痛かった。


 視線を向けられているのは、なんとなく感じた。でも話しかけてこないのは、どうしたらいいのか迷っているのか。

 ここでどうするべきなのか。考えなくても知っている。



「勝手な行動をしてすみませんでした。でも、どうかお母様のお墓参りをさせてください。お願いします」



 土下座をするのは、これで二度目だ。

 プライドとかそんなものは、どうでも良かった。

 ただここまで来たのだから、母のお墓参りはしたい。それだけだった。


 ここに来られるのは、きっと今日で最後だ。

 きっと今すぐにでも連れ戻したいのだろうけど、俺は慈悲をかけてもらえるように頼み込む。



「五十嵐君、そんなことしなくてもっ」



 悲痛な声が聞こえてくる。自分の息子と同い年の子供が、土下座をしている姿なんて見たくないのだろう。気持ちは分かる。

 でも止めるわけにはいかなかった。



「お願いします」



 少しだけ、ほんの少しだけ、最近家族との関係が改善出来るんじゃないかと期待していた。

 仲がいいとまでは言わないから、嫌われることはない関係になれるかもしれないと思った。


 でも今ここに来て、そういう期待をするのは無駄だ悟る。

 目の前にいるこの人達の方が、よほど家族らしい。きっと幸せなんだろう。この様子だと、兄達とも前々から接点があるらしい。

 その幸せの上には、俺と母の不幸があるのを月ヶ瀬は知っているのか。知らないはずだ。


 知っていたら、あんなに幸せそうに笑えない。

 さすが父が愛した人と、その子供だ。どちらも守ってあげたくなる雰囲気と、誰にでも優しくする心の清らかさがある。

 でも母が冷遇される原因と考えたら、心の奥で憎しみの感情が生まれた。


 地面には、アリが列を作って歩いていた。

 邪魔をしないようにと思っていたけど、雫が一つだけ落ちた。



「……ここまで来てしまったんだ。さっさと行ってこい。帰ったら話がある」


「あ、りがとうございます。……今回の件は、俺が一人で判断して、勝手にやったことです。罰を与えるとしたら、俺だけにしてください」


「……行け」



 俺は足をもつれさせながらも、何とか立ち上がる。

 もしもここに高坂がいたら、俺の味方になってくれただろうか。迷惑だけはかけたくない。でも、こうなった今は迷惑をかけてしまうかもしれない。


 頭を下げて、母のお墓の場所も知らないのに、みんなの姿を見ていられなくて走った。

 月ヶ瀬の顔なんて、一番見られなかった。


 走りながら流れて止まらない涙を、そのままにして俺は唇を噛んでおえつを殺した。

 やはり誰にも頼ることなく、一人で生き残るしかない。

 それが分かっただけでいいじゃないか。


 この胸の痛みも、時間が経てば消えてくれるはずだ。

 後ろから誰かが声をかけて来ることは無かった。


 そのことに傷つく必要は、もう無い。

 俺は家族を切り捨てた。





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