第3話 俺の兄その二





 手首に湿布を貼り、今日は部屋で大人しくすることにした。

 またあの場所に行って会ったら、今度は怪我をするかもしれない。それに無理に動いて、手首に変な癖がついたら大変だ。


 でも何もしないというのも時間の無駄だから、勉強のために読書をすることにした。部屋の中にある本棚から適当なものを取り出すと、ソファに深く寄りかかってページを開く。


 選んだ本は、帝王学と経済について書かれていた。どこかから流れてきたものだろうか。俺の部屋に置かれるわけがないから、何かしらの手違いで来たのは明らかだ。

 だって、家族が俺にこれを読ませることは絶対ないのだから。


 でも家に置いてあるだけのこともあって、中身は興味深いし面白い。俺はついつい時間を忘れ、夢中になっていた。







「ぃ、おいって」



 この本は誰が読んだのだろうか。父か兄二人、いやみんな読んでいる可能性が高い。


 あの三人がどうして俺のことを嫌っているのかは情報として知っているが、納得出来るのかと言えば違ってくる。全く納得出来ない。



「……めんどうくさい」


「おいって!」



 思わずというふうに呟きがこぼれてしまった時、勢いよく後ろから背中を押された。



「っ」



 あまりにも強い力だったから、前にあるテーブルに体が倒れる。転ぶのを阻止しようと手をついた瞬間、鋭い痛みが走った。

 先ほど掴まれた手首だ。突然のことだったから、何も考えずに動いてしまった。


 なんとか悲鳴は飲み込んだが、痛みがなくなるわけではない。なんてことをしてくれるのだと文句を言いたかったけど、言ったら面倒になるのが分かっていたから口をつぐむ。

 その代わり、俺は振り返って睨む。



「なんだよ、その目。なんか文句でもあるのか」



 視線の先には、腕を組んでこちらを見ている次男の姿があった。


 五十嵐いがらし暁二きょうじ。ゲーム時点の年齢は俺よりひとつ上の十八歳。今は十三歳。

 父と長男よりも暗めの茶髪に青い瞳。今は小生意気そうな顔をしているけど、これが成長したら少し冷たい印象を受けるイケメンになる。当たり前のことだとしても、攻略者の顔面ひいき具合はえぐい。


 主人公には少し意地悪な俺様キャラだが、俺に対してはただの敵意しか向けてこない。

 さらに年齢が近いせいか、それともまだ子供のせいか直接的な暴力に訴えることもあるから、今の俺にとっては関わりたくなさでいえば上位に君臨している。


 向こうも同じで、わざわざ別館の俺の家に来るなんてこと無かったはずなのだが。一体何をしに来たんだ。


 相手の目的が分からず、ただぶり返した手首の痛みを我慢しながら黙っていると、大きな舌打ちが聞こえてきた。



「いつもみたいにぴーぴー話しかけて来ないのかよ。黙って見ているだけなんて、気持ち悪いな」



 つきまとったら嫌がるくせに、大人しくしていたらしていたで文句を言うのか。あまりに理不尽な態度に、俺の方が舌打ちしたい気分だった。



「……何の用ですか」



 この短時間で兄二人に怪我をされられるなんて、そんなに俺は悪いことをしてきたのだろうか。ゲームが開始してからは主人公をいじめたかもしれないが、現時点ではわがままを言っているだけだ。まだ子供なのだから、そこは大目に見るところだろう。


 そんな苛立ちもあり、素っ気ない聞き方になってしまった。いつもとは違う俺に、最初は驚いていたがすぐに偉そうな態度に戻る。



「お前、運動場にいたんだってな。はじめ兄様が言っていたぞ。お前の様子がいつもと違うってな」



 長男は大学の勉強や教師になるための準備をしているはずだし、次男はすでに後継者としての勉強が始まっているはずなのだが、もしかして暇なんだろうか。

 そうじゃなきゃ、わざわざ嫌いな相手に時間をとろうなんて考えない。



「大人しくするって言ったらしいけど、俺達は騙されないからな。どうせろくなことを考えてないんだ。それだって、なにを読んでいたんだ」



 そっちの方がうるさい。刺激出来なくて黙って聞いていれば、読んでいた本を取り上げられた。



「なんだこれ。帝王学と経済の本なんて、お前が読むものじゃないだろ。馬鹿のくせに。全く理解出来なくて、泣くのがオチだ」



 大人しくすると決めたんだから、今は我慢だ。好き勝手に言わせておけば、満足してそのうち帰る。

 理性がそうなだめてくるが、言葉が傷つけていないわけじゃない。



「もしかして、家にしがみつこうとでもしているつもりか。無駄無駄。どうせお前は使えない。父様だって、早く捨ててしまいたいと思っているはずだ」



 どうして俺は、ここまで嫌われているのだろう。言葉のナイフが、体を切り裂いて見えない傷を作っていく。

 よく俺は心が死ななかった。いや、死んだ結果があの状態だったのか。

 愛されようと頑張ったのに、そのせいでどんどん嫌われるなんて、どんな悪循環だ。今その立場に立っているからこそ、こんなにも同情の気持ちでいっぱいになる。



「あいつだって、お前そっくりの馬鹿で、傲慢で、顔しかとりえのないような人間だった。さっさと死んでくれて良かったよ」



 その言葉は駄目だ。昔の俺も今の俺も、母のことを悪く言うのだけは我慢出来なかった。



 大人しくしているという目標は頭から吹っ飛び、気がついた時には俺は次男の顔を思い切り殴っていた。





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