第244話 お地蔵さんが…… ⑥

 商店街組合長の爺さんが放った大声「草壁クン!」。


 商店街アーケードを先ほどの空き店舗を見て一度折れ曲がると、喫茶アネモネや、ゆかりのピアノ教室、そして草壁の叔父の経営する古道具屋なんかがあるわけだが、その古道具屋のすぐとなりで居を構えるのが今木恵の両親が営む「今木整骨院」の店舗兼自宅となっている。


 アーケードに面する二階の部屋が恵の部屋となるのだが、彼女がそこでゴロゴロしていると「草壁クン」が聞こえてきた。



 先輩だ!



 窓を開けてヒョイと右手下方を見下ろすと確かにそこにいるのは……(お兄ちゃんいる!)



 


 そして組合長と短い挨拶を交わした草壁もそこから立ち去って駅のほうへと向かおうとした瞬間。


「先輩!」


 と聞き覚えのある声。誰かは顔を見なくてもわかる。



 どっか行くんですか?先輩。いや、別にブラブラと……。暇なんですか?。うん、ちょっと友達と約束があったんだけど急にキャンセルになっちゃってさ――。



 もちろん草壁は注意深く「ゆかりとの約束」なんてことは言わない。言っていいことなんか何一つなさそうだし。ただ、そうなるとこの恵がそれで「そうなんですね?じゃあ私はこれで」なんて感じでさっきの組合長みたいに簡単に放してくれる訳はない。だからこそ、草壁の名前を聞いて家から飛び出してきたわけなのだろうから。



「先輩、予定つぶれて暇してるんなら、映画でも行きませんか?」


「……」



 困ったことに草壁には断る理由がない。暇を持て余してると言った手前、引き下がりようがない。無理やりひねり出すとして「金がない」かもしれないが、さすがにそれはカッコ悪い。まっいいか……映画ぐらい……。実際ヒマだし。そう思った草壁は


「恵ちゃんも時間大丈夫なの?」


「私も全然ヒマしてますから!」



 ということで、映画館デートと相なることに。とはいえ、草壁も心の中ではひそかに反省するのである。ゆかりの態度も問題だけど、こうして恵にあっさりと隙を見せてはいいように付け込まれている現状、これでいいのかと。


 良いわけない、のである。それが証拠に、恵とのデートが決まったその瞬間に草壁のスマホに着信が入った。



 そして発信者の名前を確認した草壁は話出す前に、うっかりその人の名前を呟いてしまった。


「ゆかりさん……」


 


 その名前を聞いて、隣の恵がおとなしくしているわけがない。



 草壁が話し出そうとするタイミングを見計らって、わざと通話相手にも聞こえるほどの声を張り上げた。



「先輩!早く行かないと映画はじまっちゃいますよ!」



 ゆかりからしても、その声ははっきり聞き覚えがある。そして草壁の周りで彼を「先輩」と呼ぶ親しげな存在は?といえば、答えはただ一つ。つまり今草壁は恵と一緒にいて今から映画でも見に行くということになっているに違いないと。


「ごめんなさい、掛ける相手間違えました」



 地蔵が眉ひとつ動かさずにそう言い終えると、相手の返答も聞かずに通話を打ち切った。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「もういいわ!コンサート一人で行くから!」



 むくれたゆかり。さっさと着替えを済ますと一人マンションを後にした。


 春風の中に小さく藤の花を散らしたような模様の浮かぶラベンダー色の春物ドレス。ネック周りと腕回りがシースルーの薄いレース地だったりすると、桜の花の舞い散るのにまだ間もあるこの時期じゃ少し肌寒いかもしれないと思い、同系色のショールを羽織ってのお出かけ。



 別にドレスコードがあるわけじゃないけど、あんまりラフな恰好も考えもの。学校の先輩つながりでチケットをもらったりしたものだから、どこでどんな顔見知りと鉢合わせするかわからない。


 元々プロのピアニストくずれなわけで、そこはちょっと気を使った。



 コンサートチケットには「マイカーでのご来場はご遠慮ください」。タクシーという選択肢もあったが、意外とこのお嬢様、タクシーをあまり使わなかった。理由は経済的なことではなく単に「慣れ」そういう機会があまりないだけなのだが、というわけで彼女はひまわりが丘の駅から電車に乗り込んで会場へ向かった。

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