第241話 お地蔵さんが…… ③
ひまわりが丘商店街にある喫茶「アネモネ」と言えば、ゆかりとその親友辻倉あやの二人が「完全自由出勤」という本人たちの都合だけで好きに顔を出せばいいという、いい加減なバイトシフトで時々ウエイトレスとして働きに出ているお店だ。
木枠格子のガラス扉を、カランコロンとドアベルの音高く中に入ると、少々くすんではいるものの黒光りする板張りのフローリングや妙に豪華なシャンデリアに出迎えられる。モダンのモの字もないような昭和の息吹きが漂う店内。
落ち着くといえば、落ち着ける空間である。ただ、スカッと垢ぬけた感じはハッキリ言って、ない。
ただこういう所だからこそ、比較的年齢層の高いお方たちは好まれるかもしれない。そして若者は敬遠しがちなのも確か。
そして、今日であるが、この店には珍しく若者が多いのである。
ちょうど、先ほどの飲み会で草壁とゆかりがコンサートへのお出かけを約束した次の日。
ウエイトレスのゆかりとあやの二人が同時出勤。これは稀にあること。いや、稀ではなく割とよくあること。本当は二人同時に必要なほど忙しくはないが、ここのマスターがこの客寄せパンダ1号と2号をなんとかつなぎ留めるために「完全自由出勤」といういい加減なことを許しているせいである。
とはいえ、この二人がいるだけで華がある。
知る人ぞ知る、ではあるが、「おたくの商店街にきれいな看板娘がいるんだって?」と言えば、答えるほうは「どっちのこと言ってんの?ピアノの先生?それとも電気屋の娘?」と返ってくるような二人なのである、それが揃っている。
さらに店のカウンターにも若いのが3人も腰かけている。
「ねえねえ、あやちゃん!もう草壁さんと付き合ってるなんて嘘、通用しないんだから、一度どこか一緒にお出かけしようって!」
「やめてよ!田村君。お願いだからエプロンの裾ひっぱらないで!」
以前からちょいちょいとあや目当てでここにやってくるナンパ高校生、田村隼人である。――いや、彼は実はもう高校を卒業して来年から大学生となるのだが、行動は相変わらず。しかもあやが田村から逃げるために「草壁と付き合っている」とつき通していた嘘が、前々回の草壁の失態によって崩壊してからはさらに彼がしつこく迫ってくるようになっていた。
で、もう一人だが
「結局、先輩、いくらもらって辻倉さんの彼氏役を引き受けてたんですか?」
「貰うわけないだろ!」
「ほら、そういうところが先輩が甘いっていうんですよ。その受け答えじゃ『なんにも貰ってないけど、確かに彼氏役は引き受けました』って言ってるようなもんじゃないですか!」
そう、彼女も商店街にある「今木整骨院」の娘の今木恵。ブラコンをこじらせた挙句、なんとなく実兄の面影の漂う草壁に片思いを寄せる彼女。こう言うと、秘めた思いを引きずって鬱々としていそうだが、違う。
狙いを定めたら割と思いを隠そうとはせずに、草壁を追いかけている。
そして追いかけられてる草壁だが、現在、しっかりアネモネのカウンターに腰をおちつけて、横にはべったりと恵に張り付かれている状態で固まったままである。
「……」
草壁にしても、やりにくいのだ。あやと付き合っていますなんて芝居は論外として、本命のゆかりが「わたしたちはただのお友達でございます」となっている状態で恵に付きまとわれている状態がなんとも宙ぶらりん。
恵が「恋人として付き合ってください」と言ってきたなら「ノー」とも言える。が、友達とも恋人ともはっきりさせないままに、親しげにされても断る理由がまったく見当たらない。まさか「君の存在が僕には迷惑だから、もう近寄ってこないでくれる?」なんて厳しいこと言えるわけもなく。そしてそんな彼の優柔不断なところに恵は付け込んで来ては……。
「そんな失敗繰り返すなんて、先輩お疲れなんじゃないですか?」
「そうかな?」
「ちょっと手を貸してください」
「ん?手?」
この光景を見ながら、少し苦笑気味ながらもマスターがまんざらでもなさそうな顔をしている。
「まあ、にぎやかでいいわ。この店で5人もこんな若者が恋愛話してるなんてあんまりないからね……」
じっさいは、全員すれ違いだらけの恋バナではあるが、年金と病院の話よりは爽やかかもしれない。
”ねえ、あやちゃん、じゃあさ、真面目な話。いままで彼氏作ったことないの?”
”ないです”
”く、草壁さんと同じミス犯してる!それじゃあ今までの『わたしたちお付き合いしてます』は嘘だって、あやちゃんも認めちゃってるわけじゃん!”
”だからと言って田村君とお付き合いしますってならないから!”
――すると、カウンターそばに立つあやの方へ体を傾けたまま、田村がそんな感じで調子よく喋っていたのを急に止めて、不思議そうな顔してこんなことを言い出した。
「5人の若者?それ正確に言うと、4人の若者と――」
そこで、田村、あやの横に同じように棒立ちしているゆかりの顔をちらっと確認したあと
「――1体の地蔵、じゃないっすか?」
彼の言う地蔵とは、あやのとなりの同じくエプロンをつけて突っ立っている、長瀬ゆかりのことである。彼女が不機嫌なときに時折見せる、あの能面のような無表情。その表情のまま、棒杭のように直立不動の仁王立ち。地蔵っちゃあ地蔵にも見える。
で、ゆかりがなぜそんなに不機嫌か?
「先輩、たまにはこうやって自分でハンドケアとかしたらリフレッシュできますよ?」
「あ、ありがとう……恵ちゃん……」
恵の言葉にうっかり乗って片手を差し出したところ、彼女からご丁寧なハンドリフレクソロジーを受けている真っ最中の草壁の姿。ちなみに、草壁の座っているカウンター席から、現在ゆかりが仁王立ちしている場所はやや右後方、4時方向と言った感じの位置となるため、草壁はゆかりがどんな様子をしているかは見えない。怖いから見たくもない。が、見えなくても分かっている。恵に手のひらのマッサージを受けている様子なんか目にした日には、そりゃどんな顔しているかぐらいは。そして田村が言った『地蔵』というワードが誰のどんな様子を指しているかも。
ゆかりが、ギロっとおちょくってきた田村を睨む。
「うわ!お地蔵さんが睨んだ」
「『だるまさんがころんだ』みたいに言わないで!」
ゆかりの隣で、思わずあやが叫んだ。なんか田村がこっちに目線をチラチラ投げかけながら「お地蔵さんが動いた」とか「お地蔵さんがレジ打った」とか言い出すから、まるで自分まで田村とツルんでゆかりをからかっているみたいになってしまっているじゃないの!
最終的に、あやが脇に抱えていた丸いトレーで田村が頭を張られて一応の決着。
(賑やかなのもいいが、毎回毎回、うるさい連中だよな……やっぱりうちみたいな喫茶店には、年金と病院の話題で盛り上がっているほうが平和かもしれんな)
付き合いきれなくなったマスターは、4人の若者と一体の地蔵に背を向けて、一人、店の仕込みのフルーツカットを始めるのだった。
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