第231話 彼女をその気にさせるコツ ②
そんなわけでただいま春休み真っ最中な草壁なのだが、要はそれまでの毎日から通学というスケジュールだけがぽっかりとなくなっただけで、あとはこれという用事のないごく退屈な日々。
やることも、行くところもない場合、暇つぶしに喫茶アネモネに顔を出す頻度が以前よりあがった。
実はそういう事情は辻倉あやも似たり寄ったりで、彼女も早くからこの店のカウンターでエプロンを付けてウエイトレスの仕事に入ることが増えた。
そして、長瀬ゆかりも、ピアノ教室だけが仕事となった今、割と頻繁にウエイトレスに入ることとなった。
かくして、この暇な店には、マスターにウエイトレス二人。そして客一人。という恐ろしい状況が久しぶりにちょくちょく見られるようになった。
ちょうど3月に入ったばかりのことだ。
まだ外は雪が降ってもおかしくないような寒い日の続くなか、ラフに羽織った黒い皮ジャケットの下に白いスウェットを覗かせてやってきたのは、以前からあやを付回しているナンパ高校生田村隼人だ。
それまでにも何度となく店には姿を現してなんとかあやを口説こうと必死な様子なのは知っていたし、あやはあんまり田村のことを好きになれずに、断りの名目として草壁と付き合っているという、猿芝居を打ってその場しのぎを繰り返していたのがそのころのことである。
カウンターの草壁が、そばの壁にもたれて並んで立つあやとゆかりと一緒に雑談の花を咲かせていると、来客を告げる古風なドアベルの音が響いた。と、同時にあやの表情がサッと曇るのがわかった。
振り返ると、ヤツは性懲りもなく花束持参だ。
そのまま、やっぱりわき目振らずにまっすぐあやの元へ歩み寄って、またもや例のセリフ
「改めて、僕の気持ち。お願いだから受け取るだけ受け取ってくれないかな?」
と、少しはにかんだように笑う。
全部芝居だ。だから、はにかんだような表情のわりには動作はスムーズでぎこちなさがこれっぽっちも感じられない。
あやはあんまりしつこいものだから、少しムッとした顔になった。
「だから、わたしはお付き合いしている人がいるから……」
と口走ったその言葉にすかさず田村が、自分のすぐ隣で座ってホットコーヒーを飲んでいる草壁を指差した。
「それは、バレンタインにチョコももらうことのできないこの人のことですか?」
「うるさい!」
カップを手に思わず叫ぶ草壁。
どうも恵経由でその手の情報は田村のもとに入っているらしい。
すると、あやは草壁のもとへ歩み寄って、背後から彼の肩に両手を乗せて少し覆いかぶさるような格好になりながら言うのだった。
「あれから、ちゃんと渡したましたから、ねっ!」
そうしてわざとらしい笑顔を浮かべるのだが、
「くれました?」
キョトンとなった草壁が思わずお芝居に付き合うのを忘れてそう言ったとたん、草壁の首筋ちかくに置かれたあやの手がかなりの力を込めて、ギュッと抓ってきた。
「あっ!もらった!もらった!」
「ねーっ!あげたもんね!」
そんな芝居を打ちながら、いつの間にか草壁に後ろから抱きつかんばかりにあやが草壁に顔を近寄せて笑い合っていた。
芝居としてはそれでいいのかもしれない。
が、その様子をさっきからずっと黙ってみていたゆかりのほうは、なんとなく面白くなさそうな顔でいるのが草壁には気になった。
だから、あやと話をしながら、ゆかりのほうをチラチラと見てしまう。
(いくらお芝居と言っても、あの距離は近づきすぎじゃないの?)
と思って見ているゆかりと
(ほら、この状況じゃあ、あっちもあっちで、あんな顔してこっちをジッと見ているし……)
と、内心ちょっと冷や冷やな草壁。
そんなのだから、田村からも草壁はこう言われる始末だった。
「草壁さん、今、どっちが気になってるんです?」
田村からあやとゆかりの両方を指差してそう言われて草壁は黙り込むしかなかった
「……」
「とにかく、そのお花はいただけませんから」
結局、あやはそう言うと田村から逃げるようにしてさっさとカウンターの中に入ってしまった。草壁は自分の隣でずっと花束持って突っ立っている田村を見上げて聞いた。
「花束だって高いだろ?高校生の小遣いでよく買えるね?」
「昨日、卒業式だったからもう高校生じゃないですけど」
田村はそう言いながら、スッと草壁のすぐ隣の席に腰を下ろした。普段あんまり顔を合わす訳でもない二人だったが、以前一緒に遊園地に行ったメンバーでもあるせいか、割と気軽に草壁の隣に座を占めた。
「まさか、その花、卒業式でもらったヤツとか言わないよな?」
「ハハハハハ、そんな訳ないじゃないですか?」
「けど、これまで何度もここ来て置いて、花束は二度目って言うのは、一体今回なにか特別なたくらみでもあったのか?」
「ち、違いますよ、草壁さん嫌なこと言わないで下さい。僕は純粋に気持ちを伝えたかっただけです」
「化けの皮はがれてるのに、まだがんばるか?」
「それ、そちらのこと言ってません?」
「うるさい、うるさい。座ったのならさっさと何か頼めよ」
「あっ!逃げた……じゃあ、僕もホットコーヒーでいいですよ」
「この時期にのんびりしてるってことは、もう大学決まったの?」
「あっ、こっち、もう推薦でとっくに決まってるので」
「よかったね、一応、おめでとうって、拍手してあげる」
「どうも」
「で、大学どこに行くの?……あ、あそこなら家から通えるからいいよね?」
「っていうか一人暮らししたかったですよ」
「素行悪いから許してもらえないんだろ?」
「どういう意味ですか!」
すっかり友達みたいな感じで話している田村と草壁だった。
そんな二人の様子をカウンターの中のマスターが少し驚きの表情で眺めていた。
(あれっ、この二人ってそんなに親しかったっけ?)
事実、田村にしてみたら不思議と警戒心なしに話せるような相手だった。悪い言い方をすると「スキの多そうな人」だから、そ知らぬ顔で隣に座って、さりげなく誘導尋問してみたりする。
「デートって、お二人はどんなところ行くんですか?」
と、草壁とあやを交互に指差しながら、探りを入れると、
「えっ……」
と咄嗟のアドリブが聞かずにちょっと言葉に詰まる草壁。
「あっ、付き合ってないから、デートもなにもないか」
そして煽る田村。煽られた草壁とあやが顔を見合わせて、芝居を続ける。
「あそこ行ったよね?」
「行った行った」
そんなやりとりをそばで聞いているゆかりは、そっぽを向きながら思うのである。
(どうせ、バッティングセンターであやちゃんに張り倒されただけじゃない……)
あやのほうはゆかりの思っているとおりに
「バッティン……」
といいかけたとき、暢気な顔をした草壁が大きな声でこう言った。
「水族館!」
えっ!という感じで急にカウンター越しに向き合っているあやと草壁を交互に見てしまうゆかり。あやのほうは驚きで目を丸くしていて、草壁はそんなことお構いなしに田村に向かってなぜかドヤ顔している。
(水族館?私、そんなところ行ったって聞いていないけど。……あやちゃんが焦ったような顔しているっていうのは、ただの出鱈目のウソじゃないってこと?この二人、私の知らないところで結構二人っきりで出会ってるってこと?なんなの?これ?)
ゆかりの様子が急変したことには草壁はまったく気づくことなく、田村相手に続けるのであった。
「たしかあのときはクラゲの特別展示があって、それからペンギンのショーとかも見たし。で、帰りに牛丼……」
そこまで口走って、自分が言ってはいけないことを言っちゃったことに気が付いた。
そう、随分前のことだが、あやのおばあちゃんちのお手伝いに行った帰り、あやと二人でデートみたいなことをしたことがあったのだがそのことは、ゆかりには話していなかった。
今更、言い訳みたいなことをする必要もないだろうから、黙っておいたらいい。
そう思っていたから……。
(しまった!これ、まだゆかりさんに報告あげてなかった!!)
草壁の失態にあやも怒っていた。彼女だって、誤解されるようなことはしたくない、けどあのとき草壁が最終的には黙っておいてほしいというような態度だったから今までゆかりには話していなかったことを、この男がうっかりゆかりの前で喋っちゃったわけだ。
(なんで、今頃になって半年以上前のことを言い出すのよ!)
と思って、目の前で急に黙り込んで動きの止まった男をにらみつけた。
一方のゆかりは半ば放心状態である。
(なんだろう?水族館って……どういう経緯で二人で行ったの?)
そして、田村はというと、急に静かになった喫茶店の雰囲気に驚いてキョロキョロしていた。なぜかは全く分からないが、空気だけは急に重くなったことだけは感じることができた。
「急に空気が変わった感じするけど……僕、なにか悪いこと言いました?」
電池が切れたロボットのような草壁、ゆかり、あやの様子に焦った田村が、素知らぬ顔でそっぽを向いているマスターに向かって問いかけた。
「なんでかはよくわからないけど、ここではこういうこと、ちょいちょいあるよ」
嘆息混じりのマスターの言葉が、小さく喫茶店の中に響いていた。
結局、理由のよくわからない田村はこんな空気の中に長くいたら自分が悪者みたいにされかねないと警戒してさっさと帰っていった。
そして、あやとゆかりから冷たい目で睨まれながらカウンターでずっと固まっている草壁に向かってマスターがポツリとつぶやいた。
「草壁クン、何があったか知らないけど、ダンゴ虫じゃないんだから、死んだ振りしても逃げられないと思うよ」
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