第229話 ペパーミント スノー ④

「あの……」


 どれぐらい時間がたったか?やっとゆかりの口から言葉が漏れた。


「最近、泣いたことあります?」


 相変わらず、横顔だけでゆかりは答えた。



 急な質問に草壁がギョッとなっていていると、すかさず急に取り繕うような笑顔になったゆかり。


「ごめんなさい。そんなこと、簡単に他人に話せませんよね?さっ、私ちょっと楽譜も用意しとかないと……草壁さんはもうちょっとゆっくりしてってください」


 と言って、急に立ち上がった。




 と、そのとき。教室のドアが開いたと思ったら――


「おっ、圭介!いいところに来てくれた!今から仕入れの品物を店に搬入するから手伝ってくれ」


 隣の古道具屋の主人にして、草壁の叔父でもある茂男が顔を覗かせて、そんな言葉を早口でまくし立てたあと、草壁の返事も聞かずにすぐに消えた。



「な、なにが『来てくれた』だよ……ったくしょうがないなあ。こんなところで油売ってたら叔父さんにとっつかまるのも仕方ないけど……」


 


 草壁も案外人がいい。ぼやきつつもソファーから立ち上がった。


「お手伝いに行くんですか?」


「しょうがないですよ。ここにいるところ見つかっちゃってるし、アカの他人ではない親戚の叔父さんだから無視するわけにもいかないし……あっ、すみません、多分仕事はすぐ終わると思うから、カバンとマフラーここに置いといていいですか?」



 学校帰りに提げてきたカバンと、それからここのところずっと巻きつづけているゆかりからのプレゼントのマフラーは、彼の隣の席に置いてあった。草壁がそれを指差してそう言うと。



「どうぞ」


 と答えるゆかりを置いて、草壁は教室のドアに手を掛けた。



 彼はそこで、ちょっと立ち止まった。ゆかりがどうしたんだろうと思って彼の様子を目を上げて確認すると、ドアに向き合ってゆかりに背中を向けたまましばらくジッと立っていた草壁が言った。





「いつか、そんな話もできたらいいですね。じゃあ、行って来ます」





 いやな予感はしていた。叔父がわざわざ自分を呼びつけて荷物の搬入の手伝いをさせるなんて。


 裏手に回っていつもの商品仕入れ用のリヤカーが横付けになっている様子を目にすると、どこからこんなガラクタ拾ってきたのか、不思議なもので一杯だった。


 まず、餅つき用の杵と臼。それも石のやつじゃなくて、猿蟹合戦に出てくるような全部木製の臼が転がっていたのには驚いた。


 冷蔵庫と洗濯機は、中途半端に古いホコリだらけのものだ。他にもタワー型のパソコンの筐体かと思ったらとてつもなく重いので、よく見たら出回りだしたころのVHSのビデオデッキだった。


 よく古い住宅の古い解体現場から、産廃業者のトラックがどこへともなく運び去って、廃棄してしまうようなものが今まさに「商品」として店先に並ぶのが、この古道具屋「宇宙堂」の普段というのが分かっている草壁でも、改めて驚かずにはいられなかった。





 けど、たかがリヤカーで引っ張れるほどの荷物なんて男手二人で急げば、それほど時間も骨も折れる仕事ではない。



 仕事自体はものの15分もあったら終わった。


「これで、もう手伝いはいいですよね?」


「ああ、ありがとう、重いものもあったからお前が居てくれて助かったよ」


「じゃあ……お願いします」



 すべての荷物を運び終えた草壁が、軍手を脱いだ右手を叔父の前に広げて差し出した。



「ん?なんだ?」


「手伝ったんだから、バイト代ください!っていうか、バイト代の請求するたびに、こんなやりとりを2度も3度もしなけりゃならないここのシステムをなんとかしてください!」


「飴玉でいいか?」


「親戚じゃなければ、多分とっくにぶん殴ってますよ!」





 それやこれやで、ようやく叔父のもとを辞して草壁が再びゆかりのピアノ教室に戻ってくると、彼女はピアノの前に座って譜面を広げてなにやら書き込みでもしている様子だった。すっかりこれからのレッスンの準備に入っているというところだろう。


「すみません。今、ようやく終わりました。それじゃあ、僕もこれで失礼します。お茶、ごちそうさまでした」


「あっ、こちらこそ、ろくにお構いもできませんで……また、お茶でも飲みましょうね」


 


 二人とも時間に追われるようにして、すこし儀礼めいた堅い別れの挨拶をすませると、草壁はカバンとマフラーを手に取った。


 そしてゆかりとそんなふうに言葉を交わしていたとき、チラッと彼の目には、ピアノの上に開いた譜面の下に小さな四角い箱が隠れているのを目にした。見覚えのあるパッケージが一部譜面の下から顔を覗かせている。間違いなくあれはフリスクだろう。



 おもわず、自分のものか?と思ったが今日はフリスクは持っていなかった。


 ということは?


(あれは、ゆかりさんの?けど、あれは辛いから嫌いじゃなかったのかな?)



 と思いながらも、つまらない疑問はすでにお仕事モードな表情に変わっているゆかりには聞きづらかった。




 草壁はカバンとマフラーを手にすると教室を後にした。




 それからゆっくりとアーケードを通って帰路につく草壁。


 ちょうどアーケードの屋根が途切れるところまでやってくると、思わず


「あっ、降ってる」


 と一人でつぶやいてしまった。



 少し前、駅を降りてアーケードの中に足を踏み入れたときは降る様子もなさそうに見えた明るい空が、いつのまにか薄い雲に覆われて、空からはみぞれのような大粒の雪がヒラヒラと舞い降りていた。



「雪か……」


 アーケードの外れから空を見上げると、そこで草壁は手に持っていたマフラーを首に巻いた。


 


 そのとき、彼はしばらくジッと終わりかけの紙ふぶきみたいな雪を降らせる空を見上げていた。


 やがて、少し寒そうにして彼は口元を隠すほどに大きくマフラーのフチをつまみあげて、改めてそれを深く巻きなおすのだった。





 その日、ひまわりが丘に降った雪は、不思議なことに、かすかなペパーミントの香りがした。

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