第226話 ペパーミント スノー ①

 お話のほうはあれから数日たった2月も下旬。


 北風吹く庭先にも、梅の花が小さなつぼみを白く覗かせるような時期。つまり、春近し。




 先日、ゆかりをママチャリの後ろに乗せて夜道を二人乗りして帰ったあの夜以来、彼女の様子がちょっとおかしいことに草壁圭介は気づいていた。


 よくある、ヘソを曲げていて不機嫌、ってやつじゃない。


 そうではなく、一言で言うと「元気がない」。なんだか、たまに会って話をしていてもぼんやりしているみたいだが、ときどき変に何か言いたげな目でこちらのことをジッと見つめてくる。


 なんだか恋の駆け引きでもされているみたいだが、何を彼女が考えているかがまったく読めないのだった。




 それにあの夜、なぜ自分の背中にしがみついて泣いていたのかも理解しがたい。


 口ぶりでは、一応約束どおりチョコレートを手作りで用意しようとしたのだが、作るのに失敗したらしい。それが残念で泣いていたのだろうか?


 いやいや、その程度のことで泣くか?




「女心というのはわからん」



 と、女もロクに知らない童貞はため息をつくのだった。





 ちょうどそんな頃、ようやく草壁はゆかりからチョコレートをもらうことができた。



 降水確率80パーセントの雪模様という天気予報が出た休日、さすがにこんな天気に自転車で遠出は得策ではないと判断した彼がバスでのお出かけからの帰り道のこと。



 少し早めについたバス亭で空を見上げながら、そろそろ白いものがちらほらと降ってきそうに重く厚い雲が灰色がかって広がっているのを確認していたとき。




「草壁さんもバス待ち?」



 と声をかけられて振り向くとゆかりが立っていた。



「あれ?ゆかりさんもバス?」


「ええ」


「クルマじゃないんですか?」


「これから教室のレッスンがあるから、直接行けるようにクルマは置いてきたんです」



 なるほど、商店街のゆかりの教室には専用の駐車スペースはないのだから、むしろ仕事前の外出ならクルマに乗るのは却って不便なこともあるのか。




 そして、目の前の片側二車線の幹線道路を行き交うクルマの流れをぼんやりと観察しながら並んでいると


「あっ、そうだ!遅くなったけど、これチョコレート。『義理チョコ』ならぬ『お情けチョコ』」


「いやな言い方しないでくださいよ!」



 とゆかりから小さな箱を手渡された。



「あ、ありがとうございます。やっともらえた!」


「ただそれ。私も中身よくわからずに買ったから、何が入っているか知らないんですよ」


「えっ!ほんと?」


「はい……だって、それバレンタインチョコの売れ残りを50パーセントオフのワゴンセールしてたやつですから」


「……あ、あんまり知りたくなかった事実……」




 そのとき、ゆかりが何かの気配でも感じたみたいに一人でキョロキョロしだした。


「ミントの匂いがする……」



 草壁がその言葉を聞いて笑った。


「じゃあ、僕のフリスクだ。今食べてたから」


「へえ、フリスク好きなんですか?」


「夜勉強しているときの眠気覚ましに食べることもあるから、たまに買って持ち歩いてるんです。ちょっと食べてみます?」



 というと、ゆかりはさっと草壁のほうへ手のひらを差し出した。が、そんなゆかりの手にミントの粒を落としてあげようと草壁がポケットの中にあるフリスクの容器を探っていると


「あっ!やっぱりいい!辛いから苦手かも」


 そう言って、ゆかりは急に手を引っ込めてしまった。


「はあ……そうですか」


 なんだか突然、フリスクが嫌いになったみたいなゆかりの態度の急変にちょっと草壁は驚いたが、いらないというのならということで、フリスクのことはそれっきりとなった。




 やがてバスもほぼ定刻どおりの到着し、二人がそれに乗り込んだ。


 乗り込むと同時に、運転手が時間に追われるようにして急な発進をするものだから、二人ともゆらゆら揺れるつり革を伝ってよろけるようにして一番後ろのシートに並んで腰を落とした。


 休日の昼間だというのに、天気のせいか客の少ない車内だった。





 バスが走り出すと、草壁はゆかりからもらった『お情けチョコ』を膝の上に置いた。


「これ、中身開けて見てみてもいいですか?」


「どうぞ。あんまり期待しないでくださいね」



 中身はウイスキーボンボン。チョイスが渋い。というかチョイスはしていない。たまたまこれだっただけだ。


とは言えチョコはチョコ。



「せっかくだから、一個食べちゃおう!」


 草壁はその場で洋酒の香りの立つ小さなドーム型のチョコをひとつ口の中に放り込んだ。酒を飲むには飲むが、彼にとっては、口の中に広がる薫香は果たして、ウイスキーのものなのかワイン、はたまたラム酒かどうかの区別はつかなかった。


 ただ、包み紙を見たらブランデーと書いてあったので納得できただけだ。



「けど、これいい匂い」


「ブランデー好きですか?」


「そんな高いお酒飲んだことないから、好きか嫌いかわかりません」


「アハハハ」




 そして草壁は隣のゆかりにもチョコをすすめたが、彼女は「せっかくあげたものだから、全部自分で食べちゃってください」と言って手をつけなかった。



 ただ、そのときにもまた草壁はあることがちょっと気になった。



 お情けチョコと言ってもゆかりからもらったもの。草壁は本心でうれしいと思ってそのチョコを一つ二つと齧っていたら、そんな彼の様子をときどきチラチラと伺うゆかりの表情が、またしても沈んで見えた。


 「そんな売れ残りチョコでごめんなさい」とか言いながら、遠い目をして彼を見るのだった。



 それに、


「もうちょっとマシなの、渡そうかとも思ったけど、結局それにしました」


 とゆかりが、ポツリとバスのエンジン音にかき消されそうなぐらいの小声でつぶやいた一言も気になった。




 どういう意味だろう?


 あんまりいいチョコを渡したら、自分に気があると男に考えられるのがイヤでわざと安物を買って来た、という意味だろうか?



 草壁がそんなことを考えて、こちらもふとチョコをつまむ手を止めた。



「あの……」


 隣のゆかりへと声をかけた


「はい?」


「最近、僕のこと迷惑に思ってたりしてますか?ちょっとしつこすぎたでしょうか?」



 草壁の一言に急にハッとなったゆかり。それまで囁くように喋っていた低いトーンが急に高くなり、叫ぶようにこう言い切った。


「そんなふうになんか思ってません!!」




 しばらく驚いたように二人は見詰め合っていた。


 やがて、急に大きな声を張り上げた自分に照れたような笑顔を浮かべてゆかりが言った


「草壁さんごときに、振り回されたりなんかしませんから」



 言われた草壁は絶句するしかなかった。


(なんだよ、『ごとき』って……)




 バスのアナウンスが馴染みのある停留所の名前を告げる。ひまわりが丘の駅前ロータリーはバスの路線も複数乗り入れるターミナルでもあった。信号を順調に潜り抜けたら、もうそろろそ小銭の用意もしておいたほうがいいかもしれない。



 しかし、二人はまだまだ降りる停留所には遠いみたいな様子で最後尾のシートに並んで、天井で揺れる中吊り広告を揃って眺めていた。何の広告かは二人にはよくわからなかったが。


 しばらくして、ゆかりが言った。



「私、こんなふうにしていられる今の生活、好きです。けど、私はそれ以上なんて思ってません。……だから、恋人がほしいなら私のことは諦めて、別の誰かを見つけてください」



 そして、草壁のほうを笑顔で覗き込むようにして


「ときどき、お姉さんがお茶ぐらいは一緒に飲んであげるから、それで満足しなさい!」




 言われた草壁は思うのだった


(なんだよ、普段は年上ぶったりしないくせに、急にそんなこと言い出すんだな……)


 そして、まるっきり年上のお姉さんにからかわれたみたいなふくれっつらをするのだった。



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