第223話 センチメンタル バレンタイン ⑤
思わぬ流れで、先日の不首尾に終わったバレンタインデーのリベンジマッチの開催となったゆかり。
しかも、今度は堂々と渡せる理由もある。
それなら、もうショップで既製品を買うのはなし。
この流れなら『手作り』を渡しても言い訳はたつ。
というわけで、ゆっくり手間隙かけてチョコを作ってしまった。
そして、それをいつでも渡せるようにバックに仕舞い込んだ。
作り上げたらもういい時間だった。その日はピアノ教室もある。ちょっと喫茶店のほうのお手伝いまでやっている時間はないかな?
あわよくば学校帰りの草壁を捕まえることもできるかもしれないが、レッスン中の可能性もある。
まあいいか。別に今日中に渡す必要もないし。時間の余裕はあるから。
そう思ってマンションを出たゆかり。
商店街に差し掛かって、自分の教室に向かうまえにチラッとアネモネの中を覗いたら、エプロンつけてバイトに入っている辻倉あやがちょっと困った顔しているみたいに見えた。
店のガラス窓の向こうでこちらに背を向けて座っている誰かと口論でもしているみたいな様子だけど。
と思って見ていると、どうもその客というのが今木恵らしい。
なんなんだろう?と気になったものだから、ゆかりは仕事前に客としてお茶を飲むつもりで様子を伺いに店の中に入った。
ゆかりがアネモネに入ると、カウンター越しに恵とあやが
「絶対おかしいですよ!」
「ちゃんと付き合ってるけど」
「いい加減、ウソだって認めたらどうなんです?」
「ウソじゃないし……」
なんて調子で言い合っている最中だった。
もう会話の一部を聞いただけで、だいたいなにを揉めているかゆかりにも想像がついた。
あやちゃんも、つまらないウソいつまでもつこうとするからこうなるのよ。まったく面倒な子よねえ。まあ、この今木さんって子も相当うるさいと思うけど。
実は今木恵がなぜ今頃になってそんな話をまた蒸し返してきたかには理由があった。
ちょうど年明けの頃、草壁があやのせいで手を捻挫したときあやが付き添って恵の家の整骨院にやってきたのを見てから、ちょっとショックだった恵。
半ば以上信じていなかった、草壁とあやの恋人説が彼女の中で逆に真実味を帯びてきたのだった。
草壁を追い回す頻度も少なくなりつつあったそんな矢先。バレンタインデーに一応、意中の人である草壁のためにチョコレートを渡した。ちなみに、それはバレンタインの翌日の話である。つまり一日遅れでチョコを渡したのだった。
すると、もらった草壁が異様に喜んだ。やっと一個まともにチョコをもらった、と言うのだ。
おそらく事実に違いない。が、そうなると不思議なことがあった。
どうして、辻倉あやからももらえなかったのだろうか?
考えられる答えはタダ一つ。「やっぱり、お兄ちゃんと辻倉さんは付き合ってはない」
そんなわけで、ここいらで白黒はっきりさせようと、恵が喫茶店に乗り込んできて、ヒートアップしている最中というのが現在の状況である。
(へえ……草壁さん、あのあと恵ちゃんからはチョコもらったんだ……)
横で話を聞いていたゆかりが、一人そんなことを考えて恵から一つ席を空けた場所に座って客としてコーヒーを飲んでいると、恵がゆかりに聞いた。
「先生も知ってるんでしょ?草壁さんと辻倉さんって恋人じゃないって」
目の前では複雑な表情をして突っ立っているあやとチラッと目があった。なんと答えていいか分からないので
「そうなの?」
と、あやに疑問形の問いかけを投げつけて、向こうに下駄を預けて逃げる気満々なゆかり。
恵は目の前のあやに何を言っても黙秘を貫くらしいつもりなのを読み取って、今度はゆかりのほうへ話の穂先を変えていた。そのままゆかりに向かって続けた。
「おかしいじゃないですか?バレンタインの日にチョコ渡してないんですよ?あの日ここで顔を合わしてたって言うのに!」
その言葉を聞いて、あやが言い訳をする
「それは、あのときはお店の中だったし、他の人がいるから気を使って!」
恵がすぐに言葉尻を引き取って反論する
「チョコ渡すぐらいどうってことないじゃないですか?結局今まで渡していないんでしょ?」
あやが言葉を詰まらせている様子を見て、さらに恵の語調がきつくなる
「友達同士でも、義理チョコって言えば簡単なことを、チョコレート一つ渡すのに、まわりに気を使わないとできないなんてどんな関係なんですか!!」
恵の様子に言葉を詰まらせたままのあや。しかし、実は、その隣で静かにコーヒーカップを傾けていたゆかりも固まっていた。
恵は気づいていないが、言葉の刃先はあやよりもゆかりのほうに切り込まれていた。
そして、最後に冷たく恵が言い放った一言。
「もはや友達ですらないんじゃないんですか?!」
カバンの中で眠っている手作りチョコのことが、少し虚しく思えた。
こんなもの一つ渡すために、随分と回り道している自分が情けなくなって、ゆかりは固い表情のままサッと喫茶店を後にした。
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