第218話 ママチャリで行こう ⑤
茶番のほうはこれで終了。しかし、ネットショッピングというのは、ボタン一発だけで購入が決まるわけじゃない。
何度か確認画面を通り抜けて手続き終了だ。うっかり防止のために。
というわけで、草壁も購入ボタン一発押してから、やはり何度かの購入確認ページを通らないといけなかった。
「もう手続き完了なんですか?」
ノリだけでなんとなくMCまで勤めたゆかりが、PC画面とにらめっこでクリックを繰り返す草壁の隣に再び戻ると、彼の見ているブラウザ画面を一緒に覗き込みながら聞いた。
「あと、確認画面を何回かクリックしたら、完了だと思います」
草壁が、そう言いながら、PCを操作していた時だった。
ダイニングにあった電話のベルが鳴った。
「ん?」
一応、部屋の固定電話というのはあるものの、各自携帯を持っているのであんまり鳴ることのない部屋の電話だ。草壁はふと手を止めた。
「誰だろう?」
草壁の背後で鳴っている。ということは部屋の人間でもっとも電話に近い場所にいる彼が受話器をとるのがもっとも自然。
草壁は購入手続きを完了する直前で手を止めると、立ち上がって受話器を手に取った。
電話に出てみると、電話の相手というのが草壁の母だった。
「あっ、お母さん……」
受話器を持つ草壁が第一声に放った一言で、部屋の一同は誰からの電話かを悟った。あんまり邪魔しちゃ悪い。しかも部屋で暢気に宴会しているような様子がバレちゃまずいだろうから、一同もフッと静まった。
ところで、ゆかりである。
草壁が席を立ったあと、彼がいじっていたノートPCをそっと覗きこんだ。
画面には、草壁が買うつもりでいるロードレーサーの画像と、そのしたに「確認」ボタン。
徐々に、酔いも回ってきているせいもあるのだろう。彼女はわりと遠慮もなく、草壁のPCを手元に引き寄せた。
高く持ち上がった小さなサドルと、綺麗な流線型を描くバッファローの角みたいなハンドルを持った、細身のフレームのそれ。
町乗りにも競技にも使えるらしい、無駄を排除したストイックな見てくれ。いかにも早く走りますよ。って感じなのは、興味のない人間にもよくわかる。
しかし、自転車に興味のない人間にとっては『こんなもの』にしか見えない。
「よく、こんなものに10万円も使えるわよねえ……」
すでに赤くなった顔をしたゆかりにとって、自転車と言ったら……。
サドルがあんまり高いのなんて乗りにくいだけ。サドルはハンドルよりも低いほうが体をまっすぐに起こせて楽だと思う。前にカゴは必須でしょ?あんまり大きくなくていいけど。フレームが軽いとかそんなことより、ハンドルとサドルをまっすぐつないでいる部分は不要。これだとスカート履いてたら、足を大きく上げてまたがるなんて無理だし。
つまり、ゆかりにとっての「自転車」とは……。
「あんなのじゃなくて……」
なんだかよく分からないが、背後で草壁が母親相手になんか言いにくそうにゴニョゴニョやってなかなか席に戻ってこないものだから、ゆかり、いつの間にかブラウザを操作して、ママチャリのページを開いてみていた。
「これで充分よ」
ブラウザは、同じ通販業者の別ページに記載されていたママチャリのページへと移動していた。
カラーは赤。まあ、色なんかあんまり変な色じゃなきゃなんでもいいけど。
一方の草壁、母親との電話が妙な方向にこじれていた。
最初は何の用か?と思っていた。元気か?金あるのか?ちゃんと食べてるか?そんな型どおりのおしゃべりが続いていた。こっちも宴会の途中なんだけどと思うが、そんなことうかつには言えない。
「なんで、こっちに電話したの?」
「あんた、今携帯切ってるでしょ?」
あっ、そうか宴会の邪魔だから切ってたんだ。
けど、それでいきなり部屋のほうへ直接電話してきて、なんなのだろう?
「年度末の休み。今度はちゃんと帰ってくるんでしょうね?」
また、それか!と思う草壁。だが、実はあんまり帰る気がしない。だって、お隣さんとあんまり長い間ご無沙汰してたくないし。けど、正月もバイトを理由に実家をぶっち切った手前、こんども帰らないじゃあ、収まりつかないだろうなあ。
そんなわけで、草壁、帰るような帰らないような、曖昧な返事を繰り返していたのだった。
「いや、まだ予定はなんとも……こっちも忙しいんだよなあ」
なるべくうやむやなまま電話を切っちゃおうとする草壁。電話の向こうでは母ががなりたてた。
「あんた、なんで2年生になってから、そんなにうちに帰りたがらないの?!」
そして草壁の背後ですでに赤い顔をしながらPCをいじるゆかりは、だんだん他人のPCをいじっていることに遠慮がなくなってきた。
ブラウザで開いた赤いママチャリの画面をじっと見つめながら、価格を調べてみる
「1万円で充分いいの買えるし!これでいいじゃないの?」
他人がどんな自転車を買おうが関係ないはず。
しかし、ゆかりは草壁がロードレーサーを買うのが気に入らないのだった。
まず第一に、危険。
(街中でこんな自転車乗ってスピード出したら危ないでしょ?事故でも起こしたらどうするつもり?)
それから、カゴがないとか、乗りにくそうとか、高すぎるとか……。
草壁のPCのブラウザに表示されているママチャリを見ているゆかりの目がだんだん据わってきた。
が、そんなことは実はどうでもいい話。実はゆかりがこの自転車をもっとも気に入らない理由は……。
(こんな自転車じゃあ二人乗りもできないじゃない?高校時代の誰かさんとは、二人乗り出来ても私とはできないていうの?……)
いつか、草壁が二人乗りが得意という自慢ついでに言ったそんな話をいつまでも引きずっているのだった。
草壁の背後でそんなふうにゆかりが一人ちょっとふくれっつらになりながら、ママチャリの通販ページを開いていたそのとき、受話器越しの草壁母子の会話がこのようになっていた。
「わざわざ今日電話したのも、あんたが帰ってくるの楽しみに待ってる人とお話させてあげたかったからなんだけどね」
「誰それ?」
「……ちょっと、待ってて……あっ、ほら、圭介から電話よ。」
受話器の向こうでボソボソ話し込んでいる様子になったと思ったら、元気な女の子の声が聞こえてきた。
「圭介おにいちゃん!こんばんわ!」
「あっ、美香子ちゃん、久しぶり!元気にしてた?」
受話器の向こうで無邪気に話す相手をすぐに悟った草壁、彼も相手に負けないぐらいの元気さで答えた。
草壁の放った『美香子』なる女性の名前が響いてくると、それまで大人しく酒を飲みながらPCの画面を覗いていたゆかりがピクリとなった。
思わず振り返ると、草壁がなにやらうれしそうに受話器の相手と話している。「今日はうちに来てたんだ?」「ああご飯食べてたの?」「こっち?元気だよ」
随分と親しそうに話す草壁。様子からすると、姉弟とか家族じゃないらしい。たしか妹は居たけど名前は「加奈子」って言ってたと思うから、それじゃあない。
(誰だろう?美香子ちゃんって……)
草壁の話し相手のことがどうも気になるゆかり。しばらく考え込んだ。
ゆかりは左手で頬杖付いて遠い目をしながら上目遣いで視線を泳がせて思案中。それはいい。
が、頭の中でそんな思案に沈んでいる間、マウスの上に置かれたままの右手への意識がまったく途切れてしまっていた。
普段考え事をするときにそんな癖があるのかどうかはわからないが、無意識にマウスの上の人差し指を上下に動かしていたりする。
心、ここにあらずのせいで、そのときスピーカーから流れる小さな「カリッカリッカリッ……」というクリック音には気づいていない。
(ひょっとして、高校時代いつも一緒に二人乗りして家に帰ってた彼女?……それにしても、実家からの電話に出てくるってことは向こうの実家に上がりこんでいるわけじゃないの?つまりは両親公認の仲?……なによ!みんなの飲み会だって言うのに、いつまでもいやらしい顔でヘラヘラと女の子とおしゃべりなんかしてる場合?話したければ、あとでゆっくり二人っきりで話でもなんでもすればいいのに!ホンット空気読めないんだから!)
草壁のPCを前に急にふて腐れた顔になって、右の人差し指をトントンやっているゆかりを見た亮作とツルイチがヒソヒソ
「なんか、お姉ちゃん急にイラついてないですか?」
「女の人というのは、男にはとかく謎なものです……」
一方、電話の前の草壁。
「そっかあ!ところで美香子ちゃんの小学校は、春休みいつからだっけ?」
草壁の発した一言で、急にゆかりの顔色が戻った。
(なあんだ!小学生のいとこかなにかみたい……なーんだ!)
”うん。お兄ちゃんもお勉強忙しいからよくわからないんだ……ごめんね。うん。じゃあ、うちのお母さんにまた代わってくれるかな。じゃあね……って、なんだよ!美香子ちゃんまで使うことないだろ!こっちだって都合ってものがあるんだから!もう切るからね!)
草壁のほうも、少々長かった実家との通話をそんな感じで終えようとしていたちょうどそのとき。
今度は、ゆかりの携帯が鳴った。
「あっ、こっちもごめんなさい」
ゆかりは手元に引き寄せていた草壁のノートPCを元の場所に戻すと、携帯片手にダイニングの扉を開けて廊下に出て行った。
そして、それと入れ替わるように、草壁が自分の席に戻ってきた。
「す、すみません、宴会の途中で……そうだった、いつまでも自転車の購入式だって言ってもいられない……おっと、もう注文確定画面だったっけ。よし、じゃあ、これをクリックしてっと」
かくて、草壁の自転車の購入注文が最終的に確定した。
ゆかりの電話はレッスンの予定変更の連絡ということで、簡単なやりとりの後に彼女もすぐダイニングに戻ってきた。
もうそのときには、草壁のPCは用事も済んだということで、畳んで脇の戸棚の上に置かれていた。
「じゃあ、改めて、ゆかりさんの慰労会ということで!」
席に戻ったゆかりを待ち受けるようにして二度目の乾杯が始まると、PCの話も自転車の話もどっかに飛んでいっていつもの宴会として大いに盛り上がったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから、数日後、草壁のもとに真っ赤なママチャリが届いた。
第44話 おわり
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