第215話 ママチャリで行こう ②

 乗ってみると、動くには動く。


 一応、直したというだけのことはあった。


 しかし、ペダルは重いし、直しただけで油を差したりもしていないみたいで、チェーンが回るたびキーキーとうるさい。


 タイヤの空気圧も足りないから段差を乱暴に走ると、サドルの上の尾てい骨にとんでもない衝撃を食らった。




 かろうじて歩くよりは早いっていう程度のものだ。



 草壁にしてみたら、久しぶりにまともに自転車に乗ったという感慨のほうが深かったかもしれない。ボロでも走るには走るのだから。



(うん、まあ、こんなのだけど、久しぶりに乗る自転車ってのも悪くはない!)



 試乗というよりサイクリングを楽しむみたいにしてしばらく乗ったあと、あと10分も近くを漕いで見たら帰って、調整不足を指摘してみようか?と思っていたときだった。



 バスケットボールがすっぽり入りそうなデカイ箱をぶら下げているせいで、歩きにくそうな足取りでよろよろと路地を行く人影を見かけた。



 長い黒髪を背中に揺らせている、ロングコート姿は見覚えのある彼女と思しき。



 草壁は、スッと自転車に乗ってゆかりに近づいた。



「どうしたんです?大きな荷物を抱えて」





 草壁よりすこし遅れて商店街アーケードに到着したゆかりがゲートのところで、組合長と理事の二人としばらくお話していたのは、さきほど触れたとおりである。


 その後、ゆかりは商店街をまっすぐ進むと、ちょうど駅前側から見て、もっともアーケードの外れに近いところにある「辻倉電気店」の扉を潜っていた。


 言うまでもなく、ゆかりの親友である辻倉あやの実家である。



 実はその日、急に壊れてしまった炊飯器をそこで新しいものに買い換えたのだった。


 「配達しようか?」と向こうは言ってくれたが、たかが炊飯器一つ。しかも、帰ったらすぐに夕飯の準備にとりかかりたいので、すぐに使いたい。


 というわけで、支払いを済ますと箱に取っ手をつけてもらい、そのまま現物を持って自宅マンションに帰る途中だったのである。




 草壁に声をかけられたゆかりが、彼のほうを向くと、突然、驚いたように眉を開いた。



「あっ、草壁さん……その自転車……あの、たしか10万ぐらいするっていうロードレーサーを買いたいって言ってましたよね?」



「よく覚えてますね?ええ、そうです」


「それが、なんでそんなママチャリになっちゃったんですか?」



「僕のじゃないですから!これは!!」




 軽くゆかりにボケられつつ、互いの事情を理解した二人。



 見ていると重そうに、ゆかりが炊飯器の包みを提げているものだから、草壁はそれを乗っていたボロ自転車の荷台に置くように言った。



「送ってきますよ」


「いいんですか?」


「ただの試し乗りをしてただけで、暇ですし。そっからまた叔父さん所まで漕いで行ったら試乗もちょうどいいでしょうから」


「それなら、お言葉に甘えちゃおうかな?実はちょっと重かったし」




 本当なら、二人乗りしてゆかりをマンションまで送ってあげてもいいのだけど、あいにくこの自転車である。



「ゆかりさん後ろに乗っけたら確実に壊れると思いますから」


「私が重いみたいなこと言わないでください」


「別に、そんなつもりじゃなくて」



 そんなことで、草壁が押すボロ自転車の荷台にゆかりが持っていた炊飯器の箱をちょこんと乗っけて、軽く手で落ちないように支えると、二人は前後に並ぶようにして、マンションまでの道のりをゆっくりと進んだのだった。



「本当は、二人乗りで送れたら早いんだろうけど」


「二人乗りって、ちょっと怖いけど、この自転車じゃ余計にそうですよね?」



 ゆかりが放った何気ない一言に草壁はこんなことを言った。



「僕、二人乗り得意なんですよ!」



 荷台に置いた炊飯器とともに歩く背後のゆかりに向かって、自転車のハンドルを握って押す草壁が振り返ると、つまらないことを自慢げな顔をして言うのだった。



「そんなものに、得意とか不得意とかあるんですか?」


 ゆかりにしてみたら、そんな特技を自慢する人なんて多分彼女の人生で初めてのことでもあった。




 すると、草壁はゆかりの目の前でこんなことを喋りだした。



「僕の実家の近くって結構坂道が多いんですよ。うちからちょっと行ったところにある住宅街の真ん中を走っている道路っていうのが交通量があんまりないけど、道幅が結構広くって、それで、ずっとずーっとまっすぐ続いているんですけどね?」



 といいつつ、チラッと背後のゆかりを振り返る。


 聞いているゆかりのほうは、彼が急に何を言い出すのかよく分からずに、ただ「はあ」と簡単な相槌を打って相手の話を大人しく聞いていた。


 正直、だから、それがどうしたの?みたいな話だった。今のところは。



「そこがちょっとした下り坂になっているんですよ。ちょうど学校から帰るときには」


「へえ、そうなんですか」


「その道を二人乗りで駆け下りていくときの気持ちよさ……」



 草壁の話しの間、前の彼のうなじあたりをゆかりはじっと見つめていた。


 すると、ここまで話した草壁が、なぜかちょっとしばらく黙り込んだと思ったら、ふと空を見上げていた。



 雲ひとつない冬の空が、スカッと抜けるような青い色で広がっていた。


 残念ながら、ゆかりにはそのとき彼がどんな表情でその空を見上げているのはわからなかった。


 しばらく、そうして黙り込んだと思ったら、再び草壁は勝手に話を続けた。




「あと、海にも近いところだったから、風がきついんですよね。追い風のときはいいけど、向かい風のときはしばらく立ち漕ぎしていると足が痛くなるぐらいに。そんななかを、電車で二駅も三駅も離れたところから延々二人乗りで漕いで行ったりして……」


「ふうん」



 次第にゆかりの口調が重くなってきた。


 そのとき思うのだった。ところで彼はそのとき誰を乗せていたのだろうか?と。



「……なんてことをしょっちゅうしてたから、後ろに人を乗せるのは得意なんです」



 ゆかりが草壁の後ろで唇をへの字に曲げて、ちょっとそんなことを考えていると、草壁がまた、後ろを振り返って、つまらない特技を自慢するのだった。



「それ、女の子ですか?」


 それというのは、もちろんそのとき後ろに乗せていた人のことである。ひょっとしたら不特定の人かもしれないが、なんとなく聞いていると、誰か特定の人のことを言っているような気がするのだった。


 すると、聞かれた草壁は、わざとからかうような軽い調子で


「さあ……どうでしょう?」


 と言ってはぐらかす。



「男友達でしょ?」


 ゆかりはどうせ、そういうことに違いないと思って聞いてみたが、草壁の返事は相変わらず笑って



「それはナイショです」


 と言うばかりだった。



(思わせぶりなこと言って……)


 目の前で自転車を押している草壁の背中を見ながら、ちょっとゆかりは拗ねていた。


「それ、今作った話でしょ?」


 そんなふうに向こうを炊きつけようとしてみても、草壁は背を向けたまま


「そんな話つくってどうするんですか?まあ、そう思うならそれでもいいですけど」



 とゆかりを軽くあしらって、もうこの話題から逃げようとするのだった。



(何よ、その余裕の態度は……)


 なぜか、つまらない草壁の思い出話にちょっとイライラさせられたゆかりだった。

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