第214話 ママチャリで行こう ①
物語のカレンダーも、2月に突入。年明け早々のビッグイベント『バレンタインデー』にやたら街は賑わしい。しかし、よくよく考えてみて、このイベントが実際に大きな関心事になっている人なんて、日本の全人口の10パーセントもいないのじゃないだろうか?
さて、前回のお話までで、下働きをさせられていた叔母の下を辞した長瀬ゆかり。
ひまわりが丘の町での、彼女の日常がまた再び戻ってきたわけである。
それをもっとも喜んだのはおそらく喫茶「アネモネ」のマスターだろう。ゆかりが帰ってきて、また喫茶店のウエイトレスに復帰してくれたということで、それまで遠ざかっていた常連客もボチボチと帰ってくるようになった。
「辞めちゃったのかってホントに心配したよ」
「また今までみたいにこっちで働くの?もちろん、それならこっちも通っちゃうよ」
「ゆかりちゃんの顔みないと寂しくてさ」
そんなことを常連客から言われると、ゆかりは文字通り「帰ってきた」という思いを感じるのだった。が、よく考えたら自分がこのひまわりが丘に住むようになってまだ1年も経っていないのである。
不思議な話だった。
ちょうどそのころのゆかりのことである。
彼女が再びひまわりが丘で住むようになった時がちょうど2月に入った早々。
節分を横目に見ながらも、それよりもバレンタインデーのデコレーションが町では幅を利かしていたりするそんな時期。
ここひまわりが丘の商店街のアーケードも、世間のそんな華やかなイベントに合わせてデコレートされたりするのだった。
一番の目玉はなんと言っても、商店街出入り口、それも駅側のゲートに大きな「ST.バレンタインデー」と書かれた看板が飾られることだ。
毎年看板屋に発注するそんな看板を掛けて世間のムードとともに盛り上がろうというわけである。
折りしも、薄い桃色をした背景の中に大きなバラを真ん中に咲かせて、白い文字で「2・14 VALENTINE DAY」のロゴが入った横長の看板がゲートに掛けられようとしていたそんな時である。
クレーン車で吊り上げた幅4,5メートルもあるそんな看板を、アーケード天井の足場に陣取った二人の業者の人間が、手早く金具でぶら下げたあと、落ちないようにさらに針金で固定している。
「今年もいい看板ができたねえ」
「なんか華やぐもんですなあ」
吊り下げ作業をぼんやりと見上げながら、なんとなく満足そうな顔をしているのが、ここひまわりが丘商店街組合の組合長である仏壇屋と、理事の靴屋の二人だ。
世間のサラリーマンならもう定年退職していてもおかしくない年なのだが、自営業のこの二人はまだ現役。しかし仕事をほったらかして、こんなものを見学に来るぐらいに暇らしい。
そんなことで、商売やっていけるのか不思議だが、やっていけている不思議。
ひまわりが丘の駅を出たゆかりが、自宅へ帰ろうと、帰宅ルートの途中にあるこの商店街に差し掛かったとき、アーケードのゲートではそんな作業の真っ最中だった。
「おっ、センセイ!お帰り?」
「こんにちは。はい」
頭上で行われている看板の取り付け作業を見上げる二人の爺さんからそう声を掛けられたゆかりも、同じように今、頭上でぶら下がっている大きな横長の看板を見上げてみた。
なるほど、もうバレンタインデーが近いもんね。
「先生、どう?今年のバレンタインの看板は?」
組合長のずんぐり爺さんが、なぜか自慢げに聞いてきた。まあ、看板としては普通にバレンタインっぽくて可愛いと思うものだから
「いいと思います。かわいくて」
ゆかりがそう答えると、隣のほっそり爺さんの靴屋がうれしそうに言うのだった。
「こういうイベントごとに、ちゃんと看板を変えるのがこの商店街のポリシーでさ。やっぱり若い女性に好かれるようにならないといけないと思うし」
と言いながら、ウンウン頷いていた。
そこで、言わなくてもいいのだけど、ゆかりがうっかりとこんなことを言ってしまった。
「でも、私、クリスマスの時もちょっと思ったんですけど……」
「何?」
靴屋と仏壇屋が揃ってゆかりに聞いた。
すると、ゆかり、首を捻りながら、不思議そうに言うのだった。
「世間のこういうイベントって、この商店街には、あんまり関係ないような……」
この言葉を聞いた、靴屋と仏壇屋がゆかりの目の前で文字通り、膝からがっくり崩れてしまった。
「先生の言うとおりだよ……しかし、こんな寂れた商店街だって、世間の一部なんだ。少しは、余慶にあずかってもいいじゃないか」
「われわれだって、頑張ってるんだ。これ以上どうすれば、いいって言うんだ?」
綺麗なバレンタインの看板の下で、急に葬式みたいになってしまった組合長と理事の二人の姿を見て、ゆかりは改めて思うのだった。
(想像以上に、状況は深刻みたい)
と。
ちょうどその時、草壁圭介のほうはどうしていたかというと、実は自転車に乗っていた。
彼もバレンタインデーの看板の取り付け作業を見上げながらアーケードを通りかかった口なのだが、こっちは爺さん二人とは軽く挨拶する程度。
野郎の感想なんか聞いたって仕方ないとでも思ったのかもしれない。
そのまま自宅に帰るつもりが、途中で叔父に捕まった。
草壁の叔父。つまり、この商店街のちょうどど真ん中あたりで「宇宙堂」という古道具屋を営んでいるケチオヤジである。
「おい!ちょっと圭介!」
と手招きをする叔父に、また、やっかいなのに捕まったな、と思いながらも親戚としては無視するわけにも行かず、店の中に入ってみた。
すると、叔父が一台の自転車を草壁に押し付けて。
「この自転車、一応直してみたんだ……ちゃんと走れるかお前、近所をちょっと走って試乗してくれないか?」
というのだ。
これ、ただのママチャリである。しかし、見た目は相当に汚れている。
この店の品物である以上、間違いなくどこかに捨てられていたものに違いない。それにしても、至る所サビだらけで、グリップも長年の放置の結果、樹脂が風化してカサカサにひび割れている。
前についているカゴも、すっかりゆがんでしまって、もとの形が真四角だったのか、丸かったのかすらよくわからない状態。
さらに怖いのが、後ろの荷台。一本支えのネジが取れているのでグラグラ。人が乗ったら荷台が取れそうになっている。
「さすがに、こんなボロボロの自転車、走ろうが走るまいが売れないでしょ?」
ここの売り物がこんなものなのは、店を何度も手伝っている草壁には意外なことではなかったが、いくらなんでもこれは、と草壁も思った。
「それは俺の仕事だ。お前は試乗してくれればいいんだよ」
「はいはい」
というわけで、そんなボロチャリにまたがった草壁は言いつけどおり、近所をひとっ走りすることとなった。
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