第213話 すみおさめ ⑥
というわけで、その日の葉月家の晩御飯と相成った。
旅館も繁忙期で客が一杯という時にはあんまり悠長なこともしていられないが、今日みたいに暇な日には、旅館の業務は他のものに任せて、一家揃って夕食の食卓を囲むということも、たまにはあるのだった。
ましてや、今日は長い間ここでがんばってくれたゆかりの送迎会というちょっと特別な日でもある。
社長とその妻レイコ、そして長男である専務夫婦のアキラと芳江にその娘の真奈美という一家五人が勢ぞろいして、シャブシャブパーティーとなった。
もちろんこの家だって、収入という点に関しては一般庶民とはちょっと違う。
地元では評判のちょっとした温泉旅館のオーナー一家なわけで、正直な話、お金は持っている。
鍋がぐつぐつ言っている目の前に用意された肉は、いわずもがな最高級5Aランクだ。サシの入り方が大理石みたいに全部均一。
喧嘩しないように、各自目の前に一人前ずつ用意されているのだが、大皿の上に大きな牡丹の花みたいになって盛り付けられているお肉の量もたっぷり。
「急に僕が御呼ばれしちゃったっていうのに、こんなにいっぱいお肉があることに感激です」
しかも一枚が結構大きい。お昼のおっことした草壁の長サイフより一回りも二周りも大きい。それを立て続けに、2枚、3枚とダシの中でシャブシャブやったところで、お皿の肉の量に見た目大きな影響がない。
これなら、腹いっぱい高級肉を食べれそう。
「変なことに感心しないでよ。お客さんをおもてなしするのに、ケチケチしたことできないでしょ?」
はい、ブルジョアさんはそうでしょうね。庶民は、いかにコストを削るかを計算します。すみません。
「しかし、草壁クン。君も図太いというか、なんというか。割と平気で他人の家の夕食にやってくるんだな」
「あっ、そうですか?だって、同じシャブシャブって言ったって、社長のうちのシャブシャブなら絶対、高い肉に違いないと思いましたし……もう、思ったとおり、すごいいい肉で感激してます」
「ハハハ。まあ、君には旅館のほうでもお世話になっているって、評判も聞いているから、まあゆっくりしていってくれ。ビール、どうだ?一杯」
「あっ、すみません」
そう、あのあと、草壁はちゃっかり葉月家の食卓にお邪魔していたのだった。
おそらく一番驚いていたのは、草壁の隣で、サイドディッシュのお刺身を食べているゆかりだろう。
(この人、案外図太いところあるわね……まるで、私よりこのうちになじんでるみたいにして、遠慮しないんだから)
考えてみたら、草壁にとっては旅館の専務であるアキラも社長のほうも、ほぼ初対面である。
いずれもチラッと顔を合わせた程度。
実は、家に戻ってきたらたしか今日でやめるというバイトが客として座っていたのには、旦那連中のほうが驚いた。
「まあ、でも今日は草壁クンには改めて御礼を言わせてもらうよ、どうもありがとう」
そう、芳江の旦那のアキラとも口を聞くのは初めてであった。
いつもスーツ姿をしている。見かけるといつも異様に背筋をピンと張って颯爽と旅館を闊歩する、まだ20台の若者である。
話すといつも、ハキハキとやや早口に受け答えする人だった。
機敏とも言えるし、若干、セカラしいとも言える。
シャブシャブパーティーのことと言って特別これという事件があったわけではなかった。
ちょうど厨房では洗い物の山にバイトたちが追われているような時間に、みんなで高級肉を食べただけのことである。
ただそのとき、草壁のお調子者っぷりのためにちょっと、草壁とゆかりが大慌てした出来事があった。
「そういえば、草壁クンはゆかりちゃんとお隣さんなんだって?」
社長からそんな話を振られて、草壁が軽く頷いていると、芳江の隣でお母さんに小さくちぎってもらったシャブシャブ肉をゴマだれの取皿の中で、一生懸命、ぎこちない箸使いでかき回していた真奈美が突然大きな声をあげた。
「恋人なんだって!」
「ええっ!」
一斉に、驚きの声が上がる。
「チューしたんだって!」
皆の注目を浴びてご機嫌な真奈美はさらに大きな声を上げるのだった。
「ち、ち、違うんです。あれは真奈美ちゃんにちょっと冗談で言ったことをそのまま言ってるだけで!」
「そ、そうです!私たち、べ、別にそんな関係じゃありませんから!」
草壁とゆかりの二人が度を失って叫んだ。
「4歳の子の言うことを、そんなに真面目にとっちゃいないわよ……それより、お肉召し上がったら?固くなっちゃうわよ」
二人の様子を不思議そうに見ながら、レイコはあきれるしかなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
お客さんを招いてのシャブシャブパーティはその後、デザートにみんなでメロンを食べておひらき。
時間としては、ちょうど洗い場の仕事が終わろうかという頃である。
パーティーとしてはちょっと早い進行だが、葉月家の人間には、旅館での業務の締めというのも待っているのであんまり落ち着いても居られないのだった。
草壁以外、ほとんど酒に手をつけることがなかったのもそのせいである。
そして、草壁とゆかりの二人はどうしたか?
実は二次会みたいにして飲み会を行ったのだった。
場所は、あのオンボロ寮のゆかりの部屋。葉月家での鍋から随分と落差の大きな会場である。因みに参加したのは、ゆかり、草壁、ツルイチに、あや。
なぜ、ここに辻倉あやがいるのか?
簡単なことだ。本日本来なら洗い場に入るはずだった草壁が葉月家のディナーに顔を出せるように、代役として洗い場に投入されたのが彼女だった。
草壁の依頼を受けたゆかりが「あやちゃん、お願いだから、今から双葉荘の洗い場に入ってくれない?草壁さん急用ができて手が離せなくなったの!」と頼まれた。親友の頼みだから仕方ないということで、その場でアネモネのエプロンを脱ぎ捨てて双葉荘に駆けつけたのだった。
ちなみにツルイチは、ゆかりと草壁が洗い物のすんだ厨房に顔を出したとき、そのヘンをウロウロしていたのでついでに声をかけたら、ホイホイついてきた。
全員で手分けしてひとっ走り。
お酒とつまみを買って。
とは言っても、もう夕食を食べてしまっている。特にゆかりと草壁は高級しゃぶしゃぶをさんざんっぱら食べたあとなので、おつまみって言っても簡単なお菓子ばっかりがそろった。
ゆかりの部屋のちゃぶ台には、ベビースター、一口カルパス、チーザ、イカフライ(もちろん、齧るとパリっていうあの駄菓子のやつだ)、スモークチーズ、チップスター、プリッツ。
甘いものだって忘れちゃいけない。ポッキーときのこの山、m&m’S……
彩りだけはすごい派手だが、ものすごい安っぽいおつまみをつまみながらの飲み会。
それにしても驚いたのは、この場にまじったツルイチさんが、やっぱりギターを持ってやってきたことである。
「なんで、そんなものここにあるんですか?」
と草壁が聞いたところ。
「これですか?私、元々、この旅館のスナックでギター演奏のアルバイトを時々してるんですよ。だから、このギターも旅館に置いてあるものです」
そうなのか……たまに帰ってくるのが遅いときってそんなことしてたりしたのか。
だから、厨房の料理人のピンチヒッターみたいな話も来たというわけらしい。
そしてさらに驚いたことがあった。
飲み会も盛り上がると、いつものようにこのオジサンのギターに合わせて一曲歌おうか?なんてなったときのことだ。
「じゃあ、あれやってみようか?」
と言いながら、ゆかりとあやが狭いワンルームの片隅立ったと思ったら、素朴なギターの伴奏に合わせて、新しいデュエット曲を披露したのだった。
多分、近々スナックの客の前でやるつもりらしい。
なぜなら、歌だけじゃなくて、振り付きで最後まで息ぴったりに踊りきってのことなのだから。
とはいえ、なにぶん古い歌。最初っから最後までのすべての歌の振りはわからなかったという。
「ユーチューブとかで調べてみても、はっきり分からないところが多くて」
「だから、分からないところはオリジナルで振りをつけました」
ゆかりとあやが、あとでそんなことを言っていた。
どうでもいいが、あやは置いとくとして、ゆかりによくそんな暇があったものだ。この二人いつのまにレパートリーを増やしていたのだろう?不思議だ。
サプライズという意味では、そんな二人の歌の歌い終わりで、さらに驚くべきことがあった。
相当練習も積んだ様子の二人が、まるで、ライブ会場で歌っているみたいにして狭いワンルームの畳の上で息もぴったりに踊り、最後の止めのポーズも決めた時である。
”パチパチパチ”
ちょうど窓の外から、木でもはぜるような乾いた音が連続して響いてきた。
「ん?窓の外で何か音がしているけど」
ゆかりがそう言って、窓辺に近づいてカーテンを全開にしたところで、見事に彼女は固まった。
「お……叔母さん……」
ゆかりの部屋の窓の外では、女将のレイコが暗闇の中一人立って、こっちにむかって拍手していたのだった。
「レイコ叔母さん、何やってるんですか?こんなところで」
ゆかりが窓を開けて、外の叔母に声を掛けた。
「上手な歌声が聞こえてきたから、聞かせてもらってたのよ。踊りもチラッと見えたけど、お上手ね」
「あっ、見てたんですか?」
「ええ――」
ゆかりが、驚いていると、レイコは急に真顔に戻って、こう続けた。
「――けど、これじゃあ、修行前とあんまり変わってないみたいねえ。このままあなたを帰しちゃったら私、姉さんに叱られるわ。ぜんぜん進歩がないって。やっぱり、もうちょっと期間延長しようかしら」
「えっ!!」
そんなレイコの声が聞こえてきたので、部屋の中の一同が驚いた。
すると、途端に笑顔に戻ったレイコが一言。
「冗談よ」
と言って笑うのだった。
その後、歌のほうも一段落すると、ツルイチからこの寮も近いうちに取り壊されるという話を聞いたゆかりがポツリとつぶやいた。
「ということは、今晩ここに泊まる私が、この寮の最後の住人なのかな?」
「そうかもしれませんね。僕らがこうやって、最後の夜に飲み会できたのも、なんだか、ちょっと感慨深いですね」
そうして、このオンボロ寮の最後の客人たちの宴の夜は更けていった。
第43話 おわり
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